菜の花に散り込む谷戸の桜かな     大澤 水牛

菜の花に散り込む谷戸の桜かな     大澤 水牛 「合評会から」(番町喜楽会寺家吟行) 而雲 菜の花と桜、明らかな季重なりだが、これは二つの季語が必要な句ですね。 佳子 どちらが欠けてもだめでしょう。こういう風に詠むしかなさそうです。 光迷 菜の花、山吹、すみれなど、寺家にはいろんな花が咲いていました。これが谷戸(やと=丘陵地にある谷間、人家や農地などがある)の風景です。季重なりは全く気になりません。 てる夫 確かに桜が菜の花に散っていた。「ちり込む」という表現がいいですね。 啓一 季重なりが気にならないように、うまく作ってあると思いました。 水牛(作者) 皆さんが季重なりをどう言うか、楽しみにしていたのですよ。            *             *  「季重なり」はよくない、という考えは、実作を何百年にもわたって重ねる中で出来上がった“俳句の常識”である。では常識で割り切れそうもない場合に出くわしたどうするか。あくまでも常識を守る、というのでは自主性がない。作るも選ぶも自主的に。これも俳句の常識である。(恂)

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