蕗の薹庭から摘みて友来る       高井 百子

蕗の薹庭から摘みて友来る       高井 百子 『季のことば』  家を訪れた友人が、門か木戸から入って庭を通り、そこで蕗の薹(とう)を摘み、「はい、これ」と作者に手渡した、というのだろう。この句を見たとき、どんな家の、どんな庭なのだろう、と考えてしまったが、作者が明らかになって事情が判明した。これは長野県上田にあるご主人のお宅でのことらしい。  ご夫妻の生活スタイルは別に置くとして、私が知りたいのは蕗の薹のその後である。蕗の薹なら一個でも使いようによって何人もが口にすること出来よう。刻んで味噌と和えれば、少しずつつまんでも乙な酒の肴になる。しかし私なら細かく刻んで味噌汁にパラリとかける、というのを選ぶだろう。  五十年余り前、山梨県の親戚の家でしばらく過ごしたことがあった。春先のこと、行商のおばさんが来て、家の人に「はい、これ」と蕗の薹を一つ手渡した。峠道で摘んできたのだという。それを刻んで振りかけた味噌汁の香りが未だに忘れ難い。句の蕗の薹は、どのように食されたのだろうか。(恂)

続きを読む

一日寝る雪解の音につつまれて     大倉 悌志郎

 一日寝る雪解の音につつまれて     大倉 悌志郎 『合評会から』(日経俳句会) 正裕 「一日寝る」の措辞がなかなか考えられない。一日寝るごとに雪解けが進むと取った。雪解の音というのは屋根から落ちる音かな、情感があっていいなと思いました。 綾子 実感たっぷりですね。 研士郎 句全体の感じが整っていて、「雪解の音」がうまく生きているなと思いました。 恂之介 風邪でしょうね。一日中寝ていて、雨だれのようなポトポトした音をずっと聞いている、という感じを受けました。私も昔こういうことがあったなあと、懐かしい感じもします。 正市 風邪で、寝ているのでしょう。しかしポトポトより、雪解川の響きのように、もっと大きな音でしょう。「つつまれて」の静かな感じが、出て来そうで、なかなか出てこない。 万歩 厳しい季節からようやく解放された安堵感が、大自然の音とともに表現されています。             *            *  私は雨だれのような音と受け取ったが、「雪解川の音」「大自然の音」に驚いた。なるほど、そうか、と思う。(恂)

続きを読む

春の日や辞令一本西へ行く       野田 冷峰

春の日や辞令一本西へ行く       野田 冷峰 『合評会から』(酔吟会) 二堂 勤め人はみな、辞令一本でどこへでも行かなければならない。春はこういう季節なんですね。 正裕 そう、サラリーマンの人生劇場です。こういうこと誰にも起こりうる。身につまされました。 春陽子 春の日と転勤という取り合わせの措辞に納得した。梅の香りがすっと漂ってくる、という感じもあって・・・。 百子 「北へ」ならかなりの雰囲気ですが、春、西へ、は柔らかな感じです。仕方がないなぁ、くらいでしょうか。 岡田 この句、「北へ」がいいのでは、と思います。春に背いて、というのが、転勤に伴う私の実感なんですよ。 反平 「北へ」の辞令を貰ったことのある私の思いを言えば、「春浅し」がいいな。 冷峰(作者) これ、私の知人なんですが。この人に「東風吹きて夢の残りの一人旅」という句も贈りました。「春の日」には、今までよくがんばったねぇ、というねぎらい気持ちも込めています。              *            *  「春の日に」「西へ」ねぇ? と首をひねった。左遷でも栄転でもなさそうである。作者のコメントを聞いて、事情が分かってきた。これは「挨拶・存問の句」なのだ。俳諧の伝統、今なお、ここに生きていた。(恂)

続きを読む