春の燈や媼翁は赤ワイン      前嶋 厳水

春の燈や媼翁は赤ワイン      前嶋 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 じいちゃん、ばあちゃんが春の宵に赤ワインを酌む。ほほえましく、暖かい雰囲気が感じられます。熱燗じゃないのが洒落ていますね。 而雲 媼(おうな)を先にしたところがいい。「赤ワインにしましょうよ」「ああ、そうしよう」と・・・昔は亭主関白だったが、老いて婦唱夫随に変わったのかも知れない。 大虫 赤ワインは身体にいいということもあるのかな。なごやかな感じがします。 白山 まさに今の時代の句。(長く住んだ)韓国でもそうなんです。年寄ると女の人の方が飲めるんですね。酒の選択も女性主導になる。これからも、どんどんこういうことになって行くんでしょうなぁ。 双歩(メール選評) 赤ワインを少しだけいただくのは健康に良いとか。元気な爺さん婆さんに乾杯!              *         *  「何で赤ワインなのか」「白も悪くないよ」の声も。しかし赤の「健康にいい」という定説は動かし難い。それに春燈下に老夫婦が仲良く一杯やるなら、あの落ち着いた赤紫色が似合うのではないだろうか。(恂)

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男坂押してくれたる春はやて     田村 豊生

男坂押してくれたる春はやて     田村 豊生 『合評会から』(三四郎句会) 恂之介 神社か寺への上り坂ですね。左右に急な男坂と緩やかな女坂があって、これはきつい方の坂です。 敦子 普通なら大変な坂ですが、強い風のお蔭で登っていけた。句には感謝の念が感じられます。 尚弘 男坂だから、男が登っているのかな。風が人の体を押してくれるほど強かったんだ。 信 息を弾ませて上るような急坂でしょう。風の力を借りて登って行くことが、よく分かります。 進 しかしこの風、暖かいのか、冷たいのか。冷たいけれど、助けてくれた、という感じがする。 豊生(作者) 八十の坂を越すと、足も腰も痛いですよ。しかし後ろから、ふっと風が押してくれた。風への「有難い」という気持ちを込めています。              *              *  子規が「月並句」を批判して挙げた特徴の一つに「擬人法」がある。動植物、自然など、いろいろなものを人間に当てはめて表現する手法だ。この句の「(風が)押してくれたる」も一例だが、「場合によってOK」と考えるべきだろう。ちょうどこの時期の「山笑ふ」のような擬人法の季語もある。(恂)

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白梅やテレビ砂漠を映しをり     竹居 照芳

白梅やテレビ砂漠を映しをり     竹居 照芳 『この一句』  庭に白梅が咲いている、目をテレビに転ずると砂漠の風景を映している、ということだろう。テレビを見ていて、ふと庭を眺めると・・・、としてもいいが、双方に大差はない。俳句の形からすると二句一章であり、白梅と砂漠の取り合わせ、と言うこともできる。今、この句が難解だ、という人は少ないだろう。  しかし七、八十年も前ならどうか。例えば「鰯雲人に告ぐべきことならず」(加藤楸邨)。この句を見て「何が何だかさっぱり分からん」と語った俳人がいたという。「鰯雲」と「人に告ぐべき――」の関係が離れ過ぎていて、理解できなかったらしい。俳句は作り方に応じて、解釈の仕方も進歩していくのである。  白梅と砂漠は離れているようで近い関係にある。居間でテレビを見ていれば、中東の砂漠の風景がいやでも目に入ってくる。湿潤な日本と乾いた砂漠。その先に、彼の地の戦闘や殺人、虐げられた人々の生活などに思いを馳せざるを得ない。楸邨の句「鰯雲」にも戦争への思いが込められているという。(恂)

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風花や頬に一ひらとけにけり     石黒 賢一

風花や頬に一ひらとけにけり     石黒 賢一 『季のことば』  「風花」とは、晴天なのにちらちらと舞い降りてくる雪のこと。東京ならば埼玉県や群馬県あたりに降った雪が風に乗ってくるのだろう。空を見上げると、キラキラと輝いていることがある。顔に触れて「オヤ」と気づくこともある。「雪だな」と思って目で追っても、すぐに見えなくなってしまう。  晩冬の季語ではあるが、むしろ立春の後に出会うことが多いような気がする。掲句は二月半ば過ぎの句会に出され、「春」ばかりの作品中に並んでいても違和感はなかった。私はその日、句会に出るために街を歩いている時、風花に出会っていたのだ。このところ特に、このはかなげな雪を見ることが多いと思う。  風花という語感はたおやかで美しく、多くの句はそのイメージに沿うように柔らかに表現されている。この句、「一ひらとけにけり」と後半に仮名を並べたのは、その意識によるものだろう。「消えにけり」としたらどうか、とも考えたが、「とけにけり」でよさそうだ。作者の頬には水が残っていたに違いない。(恂)

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