吾が刻を追ひ越して行く年の暮れ   高瀬 大虫

吾が刻を追ひ越して行く年の暮れ   高瀬 大虫 『この一句』  「吾が刻」というのが少々分かりにくいが、おそらくはマイペースで生きる人の「時計」であり、「時間割」を言うのであろう。自分なりの生活リズムがあり、それに従って自分流の生き方をしているのだが、年の瀬ともなるとそうはいかなくなる。どうしても世間の時計に合わさざるを得ない場面が生じる。  “世間時計”は自分の時計よりも進み方がだいぶ早い。若く元気な頃はそれに負けない早さで動き回り、手際よく仕事を進めていた。自然にそれが出来た。ところが、だんだんそうではなくなって来た。確かに年のせいに違いはないのだが、還暦以降五年ごとくらいに世間時計との落差がカクンカクンと大きくなっていくようなのだ。あれもしようこれもしなければと人並みに考えてはいても、ほとんど中途半端のままで、時間ばかりが過ぎて行く。  でもいいや、と思う。いらついたり焦ったりするのは「まだ若い」うち。八十の声を聞く頃ともなれば世間時計に遅れても気にしない、なるがままに任せる。これぞ安心立命の境地であり、人によってはそれをボケとも言う。(水)

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