煮詰まりし白菜残る一人鍋   山口 斗詩子

煮詰まりし白菜残る一人鍋   山口 斗詩子 『この一句』  「一人鍋」というものが流行っている。男も女も適齢期になってもなかなか結婚しない。都会では独身生活を続けている若者、中年にさしかかった男女がとても多い。スーパーやコンビニ、それにデパートの地下食品売場では、そうした人達向けの「個食」を沢山並べている。「一人鍋」もそのうちの一つだ。  「一人鍋」のもう一方の有力顧客が高齢一人暮らし。これまた激増している。この句はそちらの方である。「煮詰まった白菜」がそういう感じを伝える。  鍋物に欠かせない白菜。どんな鍋物にも合い、とても美味い。煮えばなのしゃきしゃきしたのもいいし、柔らかく鍋の味が染みたのも旨い。しかし、煮詰まって鍋の底にへばりついたようなのは困る。見た目にも情けない感じである。  この句は誰もが目にしながら気にも止めないことを切り取って、侘びしさを浮彫にした。あくまでも優しい物言いの中に、一人鍋の哀感をこれ以上厳しく表した句はそうそう無い。(水)

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乗り違へ逆行く電車暮易し   徳永 正裕

乗り違へ逆行く電車暮易し   徳永 正裕 『この一句』  これには作者自身よほどびっくりしたのだろう、その思いがよく伝わって来る。実は筆者はこの情景の発生する寸前を見ている。長瀞の吟行を終えての帰りの秩父鉄道電車、私は熊谷まで行ったのだが、この句の作者は仲間数人と東武電車に乗り換えるために寄居で降りた。  寄居では階段を上って別のホームに行かねばならなかったのだが、なんという勘違い、仲間の一人が同じホームの反対側に停まっていた電車に乗ってしまった。それにつられてみんな何の疑問も感じずに乗り込んだ。すぐに発車ベルが鳴り、元来た方向に走り始めた。驚くのも無理はない。すったもんだの逆戻りで、小一時間損をして都心部に戻ったという。  なんともバカバカしい出来事を日記風に詠んだだけのように見える。しかし、莫迦ばかしさの裏にひとくさり物思わせる感慨がある。「逆行く電車」という叙述に、人生行路上時にはとんでもない出来事に見舞われるということが示唆されているようだ。気はせくが、戻りの電車はなかなか来ない。お日様はまさに釣瓶落とし、田舎駅はたちまち薄暗くなって心細さもつのる。(水)

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母と子の小さき歩みや暮早し   水口 弥生

母と子の小さき歩みや暮早し   水口 弥生 『季のことば』  「暮早し」は「短日」という季語の傍題で、冬になるとあっという間に日が暮れる様子を表す。一年中で最も日が短いのは冬至で、この頃の東京近辺は夜明けから日没までが約九時間四十五分しかない。夜が十四時間十五分と圧倒的に長い。  しかし、「夜長」は秋の季語とされている。「短日(暮早し)」が冬の季語で、それを裏返しただけの「夜長」が秋の季語というのはおかしな話だが、これが俳句の面白さとでも言おうか。「ものの感じ」が先立つのである。激しい夏が過ぎ、あっという間に夜が明けてしまった頃と比べると、ずいぶん夜明けが遅く日没が早くなったなあと感じる。この「初めて感じる」さまを尊んで、「夜長」は秋のもの、「暮早し」は冬のものと決まった。  この句、若いお母さんが勤め帰りに保育所で我が子を迎え、我が家へ戻るところだろうか。勤務形態をちょっと変えてもらって早目に退出するのだが、五時過ぎではもうとっぷりと暮れている。小っちゃな手を握りしめて急ぎ足で歩くと、少し汗ばんでくる。「小さき歩み」が実にいい。(水)

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木枯らしの勢ひ借りて古書整理   大平 睦子

木枯らしの勢ひ借りて古書整理   大平 睦子 『この一句』  木枯らしにはこういう効用もあるんだなと面白味を感じ、またこういう詠み方をしたことにもすこぶる感心した。  「木枯」は冬の初めに吹くかなり強い北西風で、本格的な冬の訪れを告げ、厳しい季節に対する心構えを迫る。そういう趣の季語だからであろう、俳句では「木枯」の句は厳しく粛然たる感じのものが多い。「凩の果はありけり海の音 言水」「木枯に岩吹きとがる杉間かな 芭蕉」「こがらしに二日の月の吹きちるか 荷兮」など古句にはそういうものが多い。現代俳句でも「海に出て木枯帰るところなし 山口誓子」「凩の中に灯りぬ閻魔堂 川端茅舎」「凩や焦土の金庫吹き鳴らす 加藤楸邨」という具合である。  ところがこの句はどうだ。木枯らしの中で古本の整理だと言う。古い本はなかなか捨てられない。もう何年も読んでいないのだから、これから先も読むことはないだろうと思いつつも捨てられない。身も心も縮こまる木枯らしに、えいやっと立ち上がった拍子に思い切るのが一番かも知れない。異色の「木枯句」である。(水)

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