我が影と二人連れなる秋の末   久保田 操

我が影と二人連れなる秋の末   久保田 操 『季のことば』  「秋の末」は「行く秋」「暮の秋」「秋惜む」などと同義のものと解してよかろう。晩秋の月夜を歩いていれば、我が影ははっきりとついて来る。人通りの少ない郊外の住宅地だと、まさにこの句のような光景になるだろう。  この句を句会で見た時には、それにしてもずいぶん淋しい句だなと思った。芭蕉が死ぬ前月あたりに詠んだ「此秋は何で年よる雲に鳥」に通じるような感じであり、陰々滅々たる気分になったのである。その上「我が影と二人連れ」というのもよく見受けるフレーズだし・・、悪い句ではないが一寸頂けないなあと、拾わず仕舞いになった。  しかしこの句を見直しているうちに、淋しい句と断定したのは早まったかなという思いがしてきた。「秋の果」ではなく「秋の末」と言ったのは、単に秋の終わりということを客観的に述べただけで、必ずしも詠嘆を込めたものではない。「我が影と二人連れ」は、誰に気兼ねすることなく深まる夜の秋の散歩を独り楽しんでいるようにも思える。そう考えてもう一度見直したら、とても面白い句に思えて来た。もう今日は立冬。まさにこれはきのう今日の句である。(水)

続きを読む