均されし土黒々と初時雨   廣上 正市

均されし土黒々と初時雨   廣上 正市 『季のことば』  十一月初旬、正月用の菜っ葉などを蒔くためであろうか、畑が丁寧に耕され、幅広の畝が立てられて種蒔きの準備がすっかり整った。そこにぱらぱらと雨。ならされた土は水分を吸収するやたちまち黒々と、いかにも柔らかそうな色合いになる。と思うと雨は間もなく通り過ぎ、弱い陽差しが戻って来る。これが時雨。和歌以来連綿と受け継がれてきた伝統的な初冬の季語である。  木々の葉に薄黄色やほんのりと赤味が差し、地面の草はすっかり枯れている。時折、遠くから渡って来たのであろう小鳥の声がするだけで、まさに静寂という言葉がぴったりくる。  「均されし土」という言葉が、雑踏喧噪の大都会に住む人達の多い句会ではすぐには浸透しなかったせいか、この句には思ったほどの点が入らなかった。しかし、しみじみとして、初時雨の気分を十分に伝えてくれる佳句である。「初時雨猿も小蓑をほしげなり」と詠んだ芭蕉には、「しぐるるや田のあらかぶの黒む程」という句もある。刈り取られたばかりの田圃の稲の切株がちょっと黒ずむ程の時雨である。掲出句はこの句に通い合う味わいがある。(水)

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機嫌よき老親とゐる小春かな      大下 綾子

機嫌よき老親とゐる小春かな      大下 綾子 『合評会から』(日経俳句会) 悌志郎 「小春」という季語を実にうまく表現していて、幸せに暮らしている家族の姿が見えてきます。 定利 こういう家庭もあるんですね。明るく素直に詠んでいて、山口百恵の歌を思い出しました。 てる夫 「機嫌よき」の理由を想像するに、きわめて健康で過ごしているからでしょう。そういう老いたる親を持つ子供の幸せ。目出度い雰囲気が見えてきます。 水牛 ほっとする感じがしみじみと伝わってくる。老人は気難しくなりがちだが、この日はとても機嫌が良かったのかも知れない。「小春」と付いて、いい感じだなぁ、と思った。 博明 「機嫌よき」がいいですね。親も子も良き時間を過ごしているのが伝わります。 実千代 小春日そのもの、ほのぼのとしてとてもいい句です。 反平 ついに親不孝のままだったが、作者の幸せな近況を味わわせてもらいました。 *              *  この句に出会い、「機嫌よき老親になるべきだ」と思ったまではよかったが・・・。(恂)

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短日や知らず捗る庭仕事      井上 庄一郎

短日や知らず捗る庭仕事      井上 庄一郎 『この一句』  私(筆者)は先ごろ、この句と全く同じ体験をした。わが家の植木が塀を越して隣の庭に延びていくので、二、三年に一度は切らなければならない。師走の前にやってしまおう、と決心した。小春日の午後、植木挟みや鋸を持ち出して枝切りを始めたところ、意外に早く仕事が終わってしまったのだ。  特に急いだつもりはない。始める前、日暮は早いからなるべく早く終わらせよう、という気持ちは持っていたかも知れない。しかし仕事中には「短日」のことを考えることなく、ごく自然に体を動かしていたと思う。陽の残るうちに全てを終えて、わが体力は衰えていない、という妙な自信も持った。  合評会のコメントを二つ紹介する。「四時くらいに終えないとヤバい。時計を見ずとも、結果的に捗っったのでは」(双歩)。「太陽の動きが体にしみこんでいて、ふだんのペースより自然に早くなったのでしょう」(好夫)。二つの言葉は同じことなのかどうか。この句はかなり深いところを詠んでいるのかもしれない。(恂)

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枯蓮の蠅ゆつくりと身繕ひ     金田 青水

枯蓮の蠅ゆつくりと身繕ひ     金田 青水 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 天気の良い日、日当たりのいい蓮田に蠅がきていた。枯蓮にとまった蠅が、のんびりとした一瞬を得たのですね。蠅への目配りがいいと思います。 大虫 陽の当たっている枯蓮で、蠅が手を擦る足を擦る、という風景が浮かんできました。骨になったような蓮に対して、蠅の元気さが出ていて面白い。 臣弘 衰えた蓮の葉とは対照的に「冬の蠅」には生命力が残っている。静と動の対比も感じられます。 弥生 枯蓮のイメージは寂しい。そこに蠅が身繕いしている。ほっとするところに目が届いています。 水牛 こういうこともあるんでしょうな。              *           *  「枯蓮」は句会の兼題だった。普通なら枯蓮が主役、蠅は脇役になるべきだが、この句では立場が逆転しているように思えた。しかしさらに句を眺めていると、枯蓮からそこはかとない温みが漂ってくる。小春の一日、冬の蠅がひと時の安らぎを得ているのだ。日だまりの主役はやはり枯蓮なのだろう。(恂)

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枯蓮や昔のままの片笑窪     高石 昌魚

枯蓮や昔のままの片笑窪     高石 昌魚 『この一句』  「昔のままの片笑窪(えくぼ)」とは高石先生、言ってくれましたね。懐かしい女性の現在の写真を見たのかも知れないけれど、実際に会った、としなければ、この句は面白くなりません。再会の場所は、と考えて「あそこに違いない」と勝手に決めました。枯蓮に覆われた上野の不忍池(しのばずのいけ)です。  不忍池の弁天堂に向う途中に佐藤春夫の詩碑「扇塚」があり、日本舞踊の女流名手・初代花柳寿美の死を悼んだ詩が碑面に彫られています。「ああ佳き人のおも影は しのばざらめや不忍の・・・」。佳人の面影を、偲ばずにいられようか、という意味でしょう。思う人と久々に会うならここ、と決めた所以です。  句の主人公は昔の恋人を上野駅に出迎え、枯蓮の不忍池にやってきました。面影を偲んできた人を間近に見て、ああ、笑窪も昔と変わらない、と胸を熱くしたのです。ただし句の作り方からして、フィクションの可能性があると私は思います。「先生、その後は?」などと聞くのはヤボというものでしょう。(恂)

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新聞にへばりつかれて蓮の骨     横井 定利

新聞にへばりつかれて蓮の骨     横井 定利 『この一句』  前句に続いて季語「蓮の骨」の登場である。新聞紙が池の中にひらひらと舞い降りてきたのだ。初めは水面に浮き、風で流されたのかも知れないが、ともかく枯れ果てた蓮の茎に居所を得た。「へばりつかれて」という表現によって、枯蓮のいかにも迷惑そうな様子を感じることができよう。  「枯蓮」という季語が生まれたのは案外新しく、日本大歳時記によると「江戸時代に作例はあったが、明治になって『枯蓮』の題が立てられた」という。その後、「枯蓮」の傍題として「蓮の骨」という季語が誕生。近年の作例を見ると、この奇怪な枝が次第に存在感を表し始めたように思える。  作者によると「実景の句」だそうである。しかしこの景は、見たことのない人でもすぐに思い浮かべられるだろう。紙は変色していても、岸から少々離れていても、見出しくらいは見えるに違いない。「新聞は何かな」の声が聞こえた。新聞社内の俳句会だけに、そんなことまでが話題になっていた。(恂)

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風土記よりつづく社や蓮の骨   星川 佳子

風土記よりつづく社や蓮の骨   星川 佳子 『合評会から』(日経俳句会) 正市 リアルで寒々とした「蓮の骨」という季語と、「風土記」の取り合わせに感心しました。 弥生 「風土記」に記録されている神社というのですから由緒が思われます。 大虫 由緒ある社と蓮、この組み合わせが上手い。 智宥 蓮の多い所で風土記となると常陸風土記か、これはすごい教養の持主(大笑い)。 正裕 そうですね、「風土記」ですね。枯れ蓮とぴったり合います。 綾子 想像力をかきたててくれ、枯蓮の姿もくっきりと見えるようです。 万歩 うまい。由緒ある社を背にした蓮池。輪廻転生の歴史が伝わります。 操 歴史ある社の佇まいが感じ取れます。           *     *     *  「風土記よりつづく社」に拍手喝采。作者は「最初は縄文蓮だったんですが、そのうちに風土記という言葉が浮かんで、こうしちゃったんです」と怪我の功名に照れていた。そういった経過で名句が生まれることはよくある。(水)

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納豆のおかめ印と古女房   今泉 恂之介

納豆のおかめ印と古女房   今泉 恂之介 『季のことば』  「納豆」は一年中あるということで、季語に取り上げない歳時記も多い。四季を問わず食べているものだから季感が伝わらないというのがその理由らしい。  しかし、刻み葱と花かつお、辛子を入れて醤油をたらし、ぐりぐり掻き混ぜて十分に糸を引いたのを温かい御飯に乗せて掻き込む、その食感はやはり冬場のものである。昭和三十年代までは「なっとなっと、なっとー」と売り声を長がーく引き延ばした納豆売が真冬の風物詩であった。冬の晩のご馳走として納豆汁が持て囃され、これは今でも冬の季語として歳時記に載っている。それやこれやで、俳句の世界では納豆を「冬の季語」とすることに定まったようだ。  この句、納豆のトップブランドを糟糠の妻と合わせたところが面白い。おかめ納豆は本場茨城県の老舗会社で、今や首都圏のスーパーには隈無く行き渡り、納豆嫌いと言われた関西、中国、九州ばかりか全世界に納豆を広めている。  おなじみの納豆に、慣れ親しんだ古女房・・・すべて世は事も無しの小春の雰囲気が漂っている。一見いかにも軽い句だが、冬なほ温かしの感じが大方の胸に響き句会では最高点を得た。(水)

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木枯しや列の乱れぬ通学路   高井 百子

木枯しや列の乱れぬ通学路   高井 百子 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 集団登校で列を乱さずに歩いているんですね。情景がよく出ている。 二堂 木枯らしが寒いので隊列を組んで寄り添いながら歩いていく。そんな景が見える。 反平 暑ければバラバラにおしゃべりをしながら登校するのだろうが、寒いので物言わずに整列しているんだな。 睦子 列を組んで歩いていけば、お互い風除けになるのかもしれませんね。        *     *     *  そうか、そういう情景だったのだと、合評会で皆の話を聞いて合点した。なるほどさもありなん。いつもならすぐにふざけてリーダーを困らせる腕白坊主も、まともに吹きつけて来る北風にうつむき加減に、神妙に歩いている。「列の乱れぬ」集団登校というところに珍しさと微笑ましさを感じた。それを目ざとく見つけるのも俳句眼であろう。(水)

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陽を残す秩父連山冬隣   久保田 操

陽を残す秩父連山冬隣   久保田 操 『合評会から』(秩父長瀞吟行句会) 臣弘 秩父吟行の素晴らしさを絵に描いたような句です。晴れた秩父の連山に弱い陽があたり、やがて来る冬に身構える。良く出来ているなと思います。 春陽子 目の前の風景をスパッと切り取ったのが素晴らしい。もう小半時もすれば秩父の山は暮れる、そんな時間まで感じさせてくれます。季語の冬隣が絶妙。 綾子 三十四番の水潜寺を出て仰いだ景色を思い出します。 光迷 結願寺の坂道か下の橋の辺りでしょうか、あるいは宿へ向かう車中からでしょうか、心に残る光景でした。虚子の「遠山に…」を思い浮かべたりして。 てる夫 秋天の秩父の一日の終わりの気分を余さず詠んでいます。季語もぴったり。        *     *     *  昨日の句と並んで最高点を得た句である。見たままを十七文字に写しただけという印象を受けるかも知れないが、みんなが述べているように、もう数日で立冬という秩父の山間の夕暮れの雰囲気を遺憾なく表している。(水)

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