墓参してロシア兵にも手を合わす   村田 佳代

墓参してロシア兵にも手を合わす   村田 佳代 『この一句』  ロシア兵の墓。日露戦争の時に日本軍の捕虜になり、抑留中に亡くなったロシア兵士たちの墓と思われる。愛媛県松山市、大阪府泉佐野市などいくつかの地にあり、望郷の念を抱きながら亡くなった彼らの霊を慰めるために、それぞれの地で墓をつくり、清掃なども行なわれてきたようだ。  作者は自分の家系の墓に詣でたと思われる。子供の頃から何度も行っていて、同じ墓地のロシア兵の墓のことは、親などから聞いていていたのではないだろうか。日露戦争はもう遠い過去のことだが、異国で寂しく亡くなったロシア兵士のことを思うと、墓に手を合わせずにいられなかったのだ。  インターネット情報によれば当時、松山市に4千人ものロシア兵がいた。捕虜と言うと第一次大戦後、徳島県鳴門市でのドイツ兵の「第九」演奏が有名だが、松山などでも市民とロシア兵との心温まる交流がたくさんあったという。その心、今なお、と言えるのだろう。こういう墓参もある、と教えられた。(恂)

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