丁寧に新聞畳む広島忌        岡本 崇

丁寧に新聞畳む広島忌        岡本 崇 『季のことば』  九月から新暦も秋。日本人誰にとっても秋になって、旧暦を用いる俳句との齟齬(そご)もようやく解消された感がある。今年の立秋は八月七日であった。俳句では敗戦日(終戦日)も夏休みも秋になるのだ。原爆忌(広島忌、長崎忌)は歳時記によって夏だったり、秋であったりする。  俳句をやる者も、もちろん新暦の生活を送っているのだから、「夏去る」の思いはやはり九月になってからだろう。この夏は災害、政治、国際情勢などにいろんなことがあり過ぎた。それらが夏から秋を貫き、我々に迫ってくる。忘れてならぬこと、家族や子、孫に伝えねばならないことが余りにも多い。  そんな気持ちを込めて、上記の句を紹介したい。二発の原爆が日本に落ちた時、小学生だった人の作である。広島平和記念式典の日の夕刊だろうか。普通ならポイと投げる新聞も、この日は敬虔な気持ちで畳み、犠牲者を悼んでいるのだ。新内閣を組織した首相に、このような思いがあるのだろうか。(恂)

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朝顔や円錐形に空の青        後藤 尚弘

朝顔や円錐形に空の青        後藤 尚弘 『この一句』  なるほどねぇ、円錐形か、と考えた。その形状を教わったのは小学校か、中学校だったか。頭に描く円錐形は、当然ながら外側から眺めたものである。画用紙を切って普通に作ると丈が高くなり、それが円錐形と思いがちだが、高さの低いずんぐり型、つまり朝顔型ももちろん、あり得る。  青色の朝顔を上から眺めたとする。円錐形を内側から見ている、と言えないこともない。作者はこれに「空の青」を思い描いた。人間は露一粒に宇宙を感じられるのだから、朝顔に大空を思うのはむしろ当然。中心部は白いが、そこに空の奥を感じてもいいのではないか、と「この句びいき」に傾いて行く。  朝顔や、で句は切れている。ならば作者は空を仰ぎ、その青さの中に朝顔の円錐形を見つけた、と解釈することもできよう・・・。しかし俳句は理屈ではない。読み手がどう感じるか、が問題なのだ。私はこの句に「何か」を感じている。その何かが分からないので、いろんな理屈を考えていたのだと思う。(恂)

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