新蕎麦や旧街道はよく晴れて       大沢 反平

新蕎麦や旧街道はよく晴れて       大沢 反平 『合評会から』(酔吟会) 涸魚 新蕎麦と街道の晴れた条件がぴったり合っている。爽やかですね、感じのいい俳句ですよ。 正裕 実感そのままでしょう。中山道ですかな。固有名詞の街道と旧街道とどちらがいいか。 冷峰 旧街道ががいいですね。東海道などよりも、やはり旧街道が似合います。新蕎麦と旧街道、新と旧との言葉の対比もあるし、そんなことを考えて選びました。 反平(作者) 冷峰さんのコメントには、びっくりした。新と旧なんて、作者も気が付かなかった。この句の場所は木曾の奈良井宿です。あそこで食べた蕎麦は美味かったですよ。            *             *  前回の句、同じ新蕎麦を詠んだ「一茶の在所」は「との曇り」だった。こちらは「よく晴れて」である。双方とも場所は信濃で雰囲気にも通じあうものがあるのだが、二句を見比べて、どちらも悪くないと思う。前句には一茶という俳人の人生が全体を覆っているように思われる。こちらは好天気を迎えた旅の日の喜びが感じられよう。私はこのように理屈をつけてみたのだが・・・(恂)

続きを読む

走り蕎麦一茶の在所との曇り       徳永 正裕

走り蕎麦一茶の在所との曇り       徳永 正裕 『季のことば』  蕎麦には春播きと夏播きがあるという。その結果なのかどうか、季語としての蕎麦は相当ややこしい。「蕎麦」や「新蕎麦(走り蕎麦)」は秋の季語である。では「蕎麦の花」は? これも「秋」なのだ。そして「蕎麦刈」「蕎麦干す」を「冬」とする歳時記が多く、一体どうなっているのか、と首をかしげてしまう。(詳しくはNPO法人双牛舎のホームページ「水牛歳時記」を参照のこと)。  しかしこれらの中で季節感をくっきりと漂わせる季語がある。もちろん「新蕎麦」、そしてその傍題ながら存在感十分の「走り蕎麦」である。時期的に春播きが稔ったものと思われるが、ともかく固めにゆで上げた新蕎麦の香りや舌触りはまさに爽秋。さて、これに何を配して一句に仕上げるか。  この句は走り蕎麦を賞味する場に一茶の故郷を持ってきた。新潟県の黒姫山に近い北国街道の柏原宿、現・信濃町。「との曇り」は雲が一面にたなびき、曇っている状況だという。「梨咲くと葛飾の野はとの曇り」(水原秋桜子)を思い出す。曇り空もまた一興。晴天よりずっと味わいが深い。(恂)

続きを読む

新蕎麦や小さん師匠の箸遣ひ       金指 正風

新蕎麦や小さん師匠の箸遣ひ       金指 正風 『合評会から』(酔吟会) 百子 新蕎麦にはもう一つ、落語の句がありましたね(「新蕎麦や文治落語の切れのよさ」野田冷峰)。どちらを選ぼうかと考えましたが、箸遣いが目に浮かんできて、こちらにしました。 詠悟 小さんの落語を目の前で見たことないが、やはり仕草を思い出しました。 冷峰 「文治落語」は、実は私の句でして。文治は私の家の前に住んでいて、江戸弁で、歯切れがいい。蕎麦の食べる仕草も実に上手だったが、小さんが出てくるとは参った。 臣弘 落語のうまさは酒の飲み方と、蕎麦で決まるという。小さんは、上手かったなぁ。 二堂 小さんも文治も知っていますが、この句には箸遣いという具体的な表現があったので・・・。 反平 私は文治の句を選んだ。切れ味では文治でしょう。 水牛 新蕎麦なら文治が合っている。しかし選び手が頭に描き易いのはポピュラーな小さんだった。            *        *  人間国宝・小さんとテレビでも活躍していた文治(桂伸治)の勝負は、小さんの貫録勝ち。(恂)

続きを読む

灯を消せば十六夜の月寝屋に入る   高井 百子

灯を消せば十六夜の月寝屋に入る   高井 百子 『この一句』  一見何と言う事もない平凡な句のようだ。しかし、じっくり反芻すると、なかなか味わい深い句だと思うようになる。  現代人は忙し過ぎて、昼も夜もだらだらと仕事を続ける癖がついてしまっている。はっと気がつくともう真夜中である。慌てて後片付けをして、烏の行水のような風呂に入って、寝る。  灯を消した途端に窓から月光が射し込んで来た。まん丸のお月様が中天に輝いている。もう一度電気をつけてカレンダーを見ると、昨夜が十五夜。とするとこれは十六夜なんだと合点しながら、しみじみと眺める。おかげでとても満ち足りた気分になれた。  「~すれば」という言い方は、物事に対して抱く想念の広がりをわざわざ狭めてしまうマイナス要素があって、俳句詠みにはあまり好まれない。しかしこの句の「ば」はどうしても欠かせない。灯を消さなければ、こんなロマンチックな世界を見ることが出来なかったのだから。(水)

続きを読む

鈴生りの柿の木の庭荒れにけり   田中 白山

鈴生りの柿の木の庭荒れにけり   田中 白山 『季のことば』  柿は中国大陸原産の植物とされているが、日本でも奈良時代、いやそのずっと前から植栽され、その後品種改良が繰り返されて立派な実をつける優良品種が数々生まれた。幕末明治時代に来日した欧米人が「こんな旨い果物があったのか」と驚き、持ち帰り栽培するようになった。「KAKI」という名前も世界中に広まり、日本の果物というイメージが定着した。  柿はよほど日本の気候風土に合った果樹なのだろう、植えっぱなしでも、自然に花を咲かせ、実をつける。昔はどこの家も庭に柿を植えた。秋も深まるにつれ、柿が朱色に色づき、真っ青な空に映える。渡って来た小鳥たちが、それをついばむ。日本の秋を表す代表的な景色になっていた。  しかし、時移り柿には気の毒な事態が生じた。田舎は過疎化で折角の柿をもぐ人がいない。都会でも老人家族が施設入りしたり、死亡したりで無住家屋が増え、残った柿はただただ実るだけ。鴉も食べ飽きてカアと飛び去るばかり。(水)

続きを読む

いつもより頤上げ歩くサングラス   流合 研士郎

いつもより頤上げ歩くサングラス   流合 研士郎 『この一句』  九月は仲秋。しかし近頃の九月は、朝晩こそ気温が下がるが、日中はまだかなり暑く、それに日射しが昔に比べると強くて、なんだか夏がいつまでも続いているような感じがする。そんなこともあってか、繁華街にはおしゃれなサングラスをかけた人が相変わらず目につく。  茶褐色の虹彩を持つ日本人は、青色の西洋人に比べて日の光りをあまり眩しがらないとされてきたのだが、どうも身体の出来具合まで洋風化したのか、眩しがり屋が多くなり、サングラスの実用度が高まって来たという話も聞く。  この句のサングラスはどうだろう。これはやはりお洒落や粋がってかけた部類であろう。思い切ってかけてみたら、世界が違うように見えるし、気持も高揚してきた。町を歩いているうちに、いつのまにか背筋が伸びて、大股になっている自分に気がついたというのだ。「いつもより頤上げ歩く」というのが、サングラスを初めてかけた時の高ぶりを実にうまく伝えている。(水)

続きを読む

キャンパスに戻りし声や葉鶏頭   岩沢 克恵

キャンパスに戻りし声や葉鶏頭   岩沢 克恵 『合評会から』(番町喜楽会) 水馬 いい句ですね。若い学生のパワーと葉鶏頭という、取り合わせの距離がちょうどいい。 白山 そうですね。葉鶏頭が若い男女の声と合っています。 而雲 夏休みが終わった後でしょう。学校にも花壇があるが、隣接の家の葉鶏頭かも知れない。        *     *     *  個人的な好みから言うと、葉鶏頭は暮れに出回る葉牡丹と共に好きではない。自分の庭には植えたくない。あの毒々しいまでの赤紫。時には朱色や黄色、オレンジなどが織り混ざったようなのもある。押しつけがましく、圧倒されてしまう感じがする。  しかし、この句を見て、葉鶏頭に対する固定観念を改めねばと思った。若々しさと勢いがあって、こちらも元気づけられるような気分になる。「物事肯定的に捉えることも大事ですよ」と教えられたような気がしたのである。(水)

続きを読む

事多き一日終えて柿をむく   山口 斗詩子

事多き一日終えて柿をむく   山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 大虫 忙しい一日が終わり、柿をむく。ほっとした感じに柿が合っている。リンゴではダメでしょう。 春陽子 「事多き」がいい。いろいろなことがあったが、やれやれ、という感じがよく出ています。 百子 この句はたぶん、実体験でしょう。ばたばたした一日が終わり、柿をむいている気持ちがよく分かる。        *     *     *  「事多き」というのがやや大づかみ過ぎる詠み方だと思うが、夜もかなり更けてようやく全てにけりを付けて、ほっとした雰囲気がよく分かる句である。「柿をむく」が実にいい。大虫さんが言うように、他の果物ではなかなかこの感じは得られない。自分のいま置かれている状況と思いを託すに足る素材を見つける。これが作句要領の要諦の一つなのだが、この句などそれがぴたりとはまった例と言えそうである。(水)

続きを読む

夏空の藍極まりて暮れ残る      徳永 正裕

夏空の藍極まりて暮れ残る     徳永 正裕 『合評会から』(日経俳句会) 正市 散文風の句で、気に入らないところがあるが、リズムが良くて、気持ちがいい。 恂之介 空の藍がとても深く澄んだ感じで、上手くまとまっている。かっこいい句だ。 弥生 きれいで、すっきりしている。私もこういう情景を見たことがあるんです。日が暮れても藍色がずっと残って空に広がっている。私の実感が句になっています。 操 夏空の一シーンを切り取った美しい情景が、目の前に広がってきます。 万歩 「藍極まりて暮れ残る」がすばらしい。晩夏の夕暮れ時の微妙な雰囲気を、美しく表現している。 正裕(作者) 毎日、高速バスで帰宅しますが、窓から藍色の美しい夕空を眺めています。             *           *  山、森、家、さらに雲など、周囲の様子や情景はまったく無視して、夏の夕空だけをまともに描いている。まさに横綱相撲、と私は思った。なぜこのように作れたのか。「大きな風景を詠もう」というような、よこしまな気持ちを、初めから持っていなかったからではないだろうか。(恂)

続きを読む

隧道の滴るあたり国境       嵐田 啓明

隧道の滴るあたり国境       嵐田 啓明 『合評会から』(日経句会) 正裕 隧道(ずいどう)の中に水が滴っていて、この辺が国境だろうと思う。俳句らしいいい句だ。 冷峰 だいたい隧道は国境にある。隧道には滴りが多い。コンクリで固めたていると水は滴らないが、このトンネルは掘ったままなのだろう。あるがままを詠んだ、いい句だ。 博明 隧道の暗い中に滴りがある。そして、確かにこの辺りが国境だ、と思う。このように詠まれると、「そうだ」と思うが、自分ではなかなか作れない。 万歩 ドライブをしていると峠道でよくトンネルをくぐります。壁面が滴りで濡れ、トンネルを抜けると別の県だったりする。 正市 隧道はおおよそ峠にあり、そこが県境に当たる。「滴るあたり」が効いている。              *        *  「滴り」は夏の季語。清水、泉、噴井と同系統と言えよう。隧道内の滴りを詠んだ例はありそうだが、「このあたりが国境(県境)」と見たのが卓抜である。誰もが頷く句ではないだろうか。(恂)

続きを読む