戻る家なき生国の墓洗ふ       広上 正市

戻る家なき生国の墓洗ふ       広上 正市 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 もう自分の住む家はない、しかし墓参りの時だけは故郷に帰らなければならない。こういう人が多くなっているのだろう、と思いながら選びました。 実千代 これは男の人の句でしょう。「女三界に家なし」とは違う雰囲気です。地方に生まれ育って、東京へ出て行って、墓参りには帰る。たいへんだなぁ、と思います。 大倉 実家がなくて、先祖代々の墓だけがある、というのでしょう。その墓を洗い、拝む。寂しい、空しいという感じでしょうか。 啓明 やはり一抹の寂しさを感じました。「墓洗ふ家系に一人残されて(反平)」という句もありました。同じような立場の人が多いと思います。 正市(作者) これ、俳句というより、事実なんです。              *            *  「故郷」とはせず、「生国」とした。そこに作者の何らかの気持ちが込められているような気がする。(恂)

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父母の子供となりて墓の前      植村 博明

父母の子供となりて墓の前      植村 博明  仏教は大陸から日本に渡来し、世界の宗教に稀な特色を備えた。その第一が、亡き一族を仏(崇拝の対象)として祀る風習である。墓を守る者たちは、亡き父母、祖父母から先祖までを身近な仏として拝み、会話し、自分のこと、家族のことを報告し、やがて自分も墓中の一員になることを思うのである。  この句は以上のような日本人独特の宗教観や死生観を、一つにまとめて表出した。自分が父母の子供として生まれたのは、当たり前のようだが、宇宙的な奇跡でもある。誕生から今日まで、自分に関わる全ては、父母の子になったために生じている。喜びも悲しみも、仕事のこと、妻子や孫のことも――。  下五「墓の前」の一語が特に優れていると思う。ただ墓前に立っている様子によって作者の心情がじわりと浮かび上がってくるからだ。「墓参り」「墓洗う」のような、行動を具体的に表す言葉では、こうはいかないだろう。秀句、佳句の目立った墓参の句の一番目に、私はこの句を選んだ。(恂)

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もう少し生きてみますと墓参    大倉悌志郎

もう少し生きてみますと墓参    大倉悌志郎 『合評会から』(日経俳句会) 光迷 亡くなった父母に「もうしばらくこの世にいることにします」と報告しているのですね。私は作者の前向きの気持ちを感じて、素直に「いいな」と思いました。 智宥 映画のラストシーンのようだ。墓前で実際にこう報告したのか。作ったのかな、という気もしますが。 反平 墓参りに行って、亡き父母に「やすらかにお休み下さい。私はもう少し、生きてみます」と語りかけている。これは正直な心情でしょう。私はいつも、この句のようにお参りしています。 大虫 父母や祖父母への気持ちがにじみ出ている。この人、体調はそれほど悪くない、という感じですね。 悌志郎(作者) この句、かみさんに見せたら、「ちょっとふざけている」と言われたが・・・。 反平ほか数人 いや、これは真面目な句でしょう。           *           *  彼岸に墓参りして、亡き父母などと親しく会話を交わすのは、日本特有の風景と言えるだろう。「墓参」の兼題が出た日経句会では、先週の一句を含め、実にさまざまな墓参りの「心」や様子が登場した。(恂) ※今週の「みんなの俳句」は、墓参の句ばかりを紹介することにする。

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寝返りの背に新涼の来たりけり   今泉 恂之介

寝返りの背に新涼の来たりけり   今泉 恂之介 『合評会から』(酔吟会) 睦子 寝返った瞬間に背中に秋の訪れを感じたという、きちっと決まってます。 操 今年の夏は特に暑かったので、「新涼」が生きている。 春陽子 寝返って毛布から背中が出てしまう。面白い所を詠んだ。実感々々。 正裕 「新涼の来たりけり」というのがとても上手い。 二堂 私もよく寝返りを打つので、背中が冷たくなる。それと新涼を結びつけたのがいいなと思った。 臣弘 背中で感じる秋、上手い句だ。 反平 誰もが感じることを、豊かな感受性で詠んでいる。やられたなと思う。        *     *     *  明け方などにふと涼しさを感じて「やっぱり秋だなあ」とつぶやく。これが「新涼」とか「涼新た」という季語。新涼といえば周囲の景色の変化や風の変わりようなどを詠むのが普通だが、これはまた、ぐっと身近な下世話なところを捉えて、なるほど「新涼」だなあと思わせる。しかも嫌味の全く無い、素直な詠み方が気持良い。この鮮やかな手並みに句会参加者一同感嘆した。(水)

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鮭の稚魚放ちて四年帰郷待つ   藤村 詠悟

鮭の稚魚放ちて四年帰郷待つ   藤村 詠悟 『この一句』  鮭は生まれた川に戻って来る。鮎もそうだが、鮎が河口近くの海に住み着いて育つのに対して、鮭は遥か何千キロも離れた北洋を回遊した挙げ句に、生まれ故郷の川をちゃんと探し当てて戻って来るのだから、その能力は驚きである。卵から孵って翌春海に出て、通常、三年か四年で親鮭になって産卵のために帰って来るのだという。  鮭の産卵河川は北海道を中心に太平洋側は千葉県銚子近辺まで、日本海側は島根県まであるが、やはり北海道と東北が本場である。この回帰性を利用して、遡上してくる親鮭を捕獲し採卵、人口受精、孵化して育てた稚魚を放流することが明治時代から行われてきた。この句の作者は若い頃、岩手支局勤務だったから、鮭の孵化場も取材先の一つとしてなじみのものだったのだろう。  孵化場の作業員が一生懸命手塩にかけた稚魚を、「無事に帰って来いよ」と祈るように送り出す。そして秋の声を聞くや、四年前に放った稚魚が帰って来るはずの川面を熱心に見守る。鮭の句としては珍しい場面を詠んでいる。現場を知っていてこその句である。(水)

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その背中義父さんみたい墓洗ふ   池村 実千代

その背中義父さんみたい墓洗ふ   池村 実千代 『この一句』  墓参の情景がありありと浮かんで来て、琴瑟相和す実年夫婦の様子もよく分かる。墓を洗っている夫の後ろ姿が、墓石の下に入っている舅によく似てきたなあと、思わず笑っちゃったのだ。子育ても終わり、孫ももうずいぶん大きくなった。夫婦ともここまで無事に過ごして来られたのも天の恵み、ご先祖様のお蔭と、秋彼岸の日射しの下で幸せな気持になっている。それが日常会話のような「その背中義父さんみたい」によく現れている。  普段の喋り言葉をそのまま用いると、生き生きとした感じが出るが、いつも成功するとは限らない。しばしば軽佻浮薄、嫌味臭味が鼻につくものになってしまう。機知に富んだ、軽妙な句は、十分に言葉を選び、言い回しを熟考することが必要であり、同時に「言い過ぎない」ようにすることが肝心だ。  この句はその点、素直で全く嫌味がない。恐らく、実際にそう感じたことをそのまま句にしたのだろう。ツクリモノには無い強さである。(水)

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ハゼ釣りの竿が縁取る東京湾   片野 涸魚

ハゼ釣りの竿が縁取る東京湾   片野 涸魚 『季のことば』  「鯊釣」は大昔から江戸っ子にとって秋の遊楽の決まり物だった。春の「潮干狩」と共に、獲物は素晴らしいおかずになる。実益を兼ねた遊びとして、また季節を知らせる行事として庶民の喜びだった。芭蕉十大弟子の一人服部嵐雪に「はぜつるや水村山郭酒旗の風」という楽しい句がある。  初秋仲秋の東京湾沿岸は、大げさに表現すれば鯊釣り竿がびっしりと、巨大な首飾りで海を取り囲むような状況になった。昭和三十年代までは見慣れた景色であった。  やがて東京湾の都区内部分は言わずもがな、横須賀、横浜、川崎、さらには房総半島のかなり先まで、埋め立てや護岸工事で大変貌を遂げた。それに加えて川が垂れ流す悪水に湾内は汚れ、腐臭漂い、公害に強いハゼすら姿を消した。それが、最近また盛んに釣れるようになったという。嬉しい話である。  少年時代を深川に過ごした作者にとっては、秋の声を聞くとすぐに思い出すのがハゼ釣り。「もう一度やりたいな」と傘寿の青年は遠くを見つめる表情を浮かべた。(水)

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ひょいと首伸ばす白鷺稲の秋   堤 てる夫

ひょいと首伸ばす白鷺稲の秋   堤 てる夫 『この一句』  黄色く実った稲穂が重そうに垂れる稲田。遠くから眺めると見渡す限り黄金色に輝いている。これぞ大昔からの日本の秋の風景である。そこに白鷺を据え、焦点定まった色彩鮮やかな句が生まれた。  こういう句はごみごみした町中で、部屋に閉じこもって頭の中でこねくり回していたのでは出来っこない。実際に見た強さが感じられる。その証拠が「ひょいと首伸ばす」という白鷺の動作を活写したところにある。獲物を見つけた白鷺は、S字形に縮めていた首を瞬時に延ばし、長く鋭いくちばしで獲物を捕らえる。あるいは外敵など不穏な空気を感じ取った時に、茂みからひょいと首筋を伸ばし、周囲をうかがう。どちらにせよ、サギの首筋の伸縮自在なること感嘆すべきところがある。作者はそれを巧まずに、見たままを詠んだ。  白鷺は夏場に鷺山(コロニー)を作って雛を育てる。その景観と啼き騒ぐ様子が強烈な印象を与えるので、夏の季語になっている。しかし、実際は一年中活動しており、特にこの句の場合は稲の秋の一景物。よもや「季重ね」などと見当違いを言う人はいないと思うが、あえて一言。(水)

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海鼠壁くづれし宿場秋の声      大澤 水牛

海鼠壁くづれし宿場秋の声      大澤 水牛 『この一句』  前句、銀天街に対して、こちらはオーソドックスな秋の声である。仲秋の名月の前日、信州の姨捨(おばすて)を訪ねた際の吟行句。関東は雨、全員が傘を持って出かけたのに、長野に到着後は晴れに転じた。夜はたまに雲が流れる中、月の名所の十四日月に見入ったものである。さて、その翌日・・・。  ジャンボタクシーに乗って武水別神社などを巡るミニツアーに出発した。やがて海鼠壁(なまこかべ)の点在する町を通過する。北国街道のかつての宿場町、千曲市稲荷山である。句会でこの句を見て、ああそうだった、と思い出した。私は作者と違い、車中からぼんやりと町の風景を眺めていただけであった。  稲荷山は絹織物などの取引で栄えた北国有数の商業地だったという。海鼠壁の様子や強気の発言で知られた政治家・倉石忠雄の生家などがはっきりと記憶に蘇ってきた。ただ見ているだけでは俳句は出来ないと、気づいた頃、古びた街並みから秋の声が聞こえてきた。時すでに遅し、である。(恂)

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シャッターの銀天街や秋の声       澤井 二堂

シャッターの銀天街や秋の声       澤井 二堂 『季のことば』  「秋の声」。いかにも季語らしい言葉である。「春の声」はワルツの名にあるが、夏の声、冬の声とともに季語にはない。なぜ秋にだけ・・・、それが季語の季語たる所以ではないだろうか。四季にはそれぞれ違いがあり、日本人はその特徴を捉え、季節を感じてきた。「秋の声」はその代表的な一例と言えるだろう。  歳時記には欧陽脩(中国)の詩に由来する、とある。調べてみたら結構、長い詩で、童子の語る「四方に人声なし、声は樹間にあり」あたりが、出所らしい。この秋声が日本に定着し、延々と今日まで俳句に引き継がれ、いかにも日本らしい秋の気配を、無数と言えるほどに創り出してきた。  上掲句の銀天街とは、長いアーケードのある商店街の名で、福岡・小倉に発し、関西に目立つという。作者が出会ったのは山口・宇部の銀天街。繁華な愛媛・松山などと違って、典型的なシャッター街になっている。作者は寂しげな商店街にそこはかとない秋の気配を感じた。いかにも現代的な秋の声である。(恂)

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