梅雨明けて暦の丸に心浮く   大平 睦子

梅雨明けて暦の丸に心浮く   大平 睦子 『季のことば』  今年は梅雨明けが遅い。今日も関東地方はどんよりと曇り、時々ぱらぱら降って来る。山沿いでは激しい雷雨のようだ。  「雷が鳴ると梅雨が明ける」と昔からよく言われている。「それは間違い」と気象庁は素っ気ないが、やはり昔の人は正しい。梅雨明け頃の日本上空は大気の状態が不安定になるから、雷が発生しやすくなる。あちこちでゴロゴロ鳴り出し、ザーザー盛大に降る。それが終わると晴天が巡って来て、「梅雨明け」となる。つまり、「雷が鳴ると梅雨が明ける」のではなく、「梅雨明け頃には雷が鳴りやすい」というのが正しいというのだ。しかしそんな理屈をこねるところがいかにも小役人めいている。  それはともかく、そろそろ梅雨明け。この句は梅雨明け後の予定がカレンダーにたくさん書いてあるのを眺めて、わくわくしているところを詠んだものだ。薄暗い梅雨曇の下、作者の心の中はもう梅雨明けである。「心浮く」という言い方が耳慣れないが、「わくわくす」などと使い古された言葉を安易に用いずに、こういうのを考え出したところが素晴らしい。(水)

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赤い傘小さくなりゆく梅雨の中   流合研士郎

赤い傘小さくなりゆく梅雨の中   流合研士郎 『この一句』  映画のラストシーンでも見ているような句である。暮れ方であろうか。しとしとと朝からの雨がまだ降り止まない。太陽は梅雨雲に隠されてしまっているが、まだ西の空に残っている頃合いだから、薄暗いとはいっても、かなり遠く迄見通せる。そんな一本道を赤い傘がだんだん遠ざかって行くという。  この句はただそれだけを述べているに過ぎない。感情表現を消し去った、典型的写生句と言う人がいるかも知れない。いや、写生ではなく、極めて叙情的なポップス調だという意見も出て来そうだ。つまり、写生そのものに見えて、実は心情を吐露した句というのだ。  確かに、描かれた情景から、この句には作者の置かれた状況や心情が裏打ちされていることが容易に想像できる。このように、あまりにも素っ気なく、情景描写だけぽんと提出されると、読まされた方はいろいろ考え始める。そして例えば、これは別れの場面なのだと推察すれば、次から次へと想像が広がって、読者自身が物語を創作してゆく。下手すると演歌やシャンソンのようになってしまうが、面白い作り方である。(水)

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窓枠に天下窺ふ青蛙   堤 てる夫

窓枠に天下窺ふ青蛙   堤 てる夫 『季のことば』  体長四、五センチの鮮やかな緑色の蛙。瞼が金色で黒目がぱっちりして可愛らしい。五、六月が繁殖期で、田圃などでオスが「コロロ、コロロ」と高い澄んだ声でメスを呼ぶ。畦道の草や土のくぼみなどに泡をいっぱい噴き出し、その中に卵をたくさん産む。やがて泡の中で孵ったオタマジャクシは田圃の水に落ちて自前で生きて行く。  窓枠にぴたっと貼り付いてあたりを睨み廻している青蛙は、恐らく灯りを目がけてやって来る昆虫類を捕食しようとしているのだろう。青蛙にとってはこの窓が自分の大事な領土の一つ。日が暮れるとここに陣取って、天下の形勢をうかがいながら、よき獲物ござんなれというところ。  昭和四〇年代までは東京都内でも小川や池、田圃などに近い住宅地ではよく見かけた。しかし川や池は埋め立てられ、コンクリート護岸になり、人間様の住みやすい町になるにつれ青蛙は姿を消した。作者はすっかり忘れていたこの小動物に巡り会い、感激したのだろう。「窓枠に天下窺ふ」という実に面白い五・七でアオガエルに声援を送っている。(水)

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憲法九条絶滅危惧種になりし夏   金指 正風

憲法九条絶滅危惧種になりし夏   金指 正風 『この一句』  「これが俳句なのか」という批判的意見もあるだろう。花鳥諷詠を掲げ、いわゆる「俳句らしい俳句」を好む向きは、恐らく目をそむけるだろう。  しかし、俳句には「これが俳句である」という金科玉条は無い。あえて言えば、「季節を感じさせ、多くの人に『なるほどそうだ』と頷いてもらえる十七音詩」ということになろうか。つまり、どんな題材でもいいし、どのように詠んでもいい。この句など、およそ俳句の材料にはなり得ないような事を詠み、しかも平成二十六年のこの上なく暑苦しい夏の気分を刻んだ。というより、作者の怒りと心配と落胆とが吐き出された感じである。これもまた俳句である。  作者は昔鳴らした名物政治記者。何者にも媚びず、さりとて一方的に人を攻撃することなく、穏和な姿勢でなおかつ正論を押し通す人として世間の評価は??かった。今や一線を退き市井の片隅から世の動きを睨んでいる。「俳句らしい俳句」でも名句を数々ものしているが、憲法を閣議決定などで骨抜きにする暴挙を見たりすると、俄然、こうした「俳句らしくない俳句」を突きつけて来る。(水)

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向日葵の出迎へありて無人駅   前島 厳水

向日葵の出迎へありて無人駅   前島 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 向日葵と無人駅の取り合わせが二句出て来まして、実は「向日葵を看板代り無人駅」は私なんですが、こっちの方がだいぶいいなと思いまして・・・。 大虫 「出迎へありて」は自分が降りて行く感じで、「看板代り」だとただそこに咲いているという感じ。それで動きのあるこちらがいいかなと思いまして・・・。 克恵 いかにも元気をいただけそうな向日葵の出迎え。 斗詩子 田舎のひっそりした無人駅に向日葵。絵が浮かんできます。        *       *       *  指宿枕崎線のJR日本最南端駅、西大山駅での眺めだという。大きな向日葵が一本、明るい日射しに輝きながら出迎えてくれる。遠くには薩摩富士の開聞岳が優美な姿を現している。さすがにここまで来ると乗降客もまばら。観光客がわずかな停車時間にホームに降りて南国の雰囲気に浸っている。一方の「看板代り」の句は上田市の別所温泉へ行くローカル線。「駅はどこですか」「ほれ、あの向日葵のとこだ」なんていう会話が聞こえて来るようでこれまた面白い。(水)

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向日葵やむかし健康優良児       谷川 水馬

向日葵やむかし健康優良児       谷川 水馬 『この一句』  健康優良児とは懐かしい言葉が出てきたものだ。今から半世紀も前、健康優良児は学内のヒーローであった。身長体重が平均以上、学習、運動に優れ、性格明朗というのだから候補に選ばれるだけでも大変である。花に例えれば、抜きんでて背が高く、光輝いている向日葵、ということになろうか。  この句から、昔は健康優良児だったのになぁ、という嘆きの思いが聞こえてくる。どんなに立派な体格や頭脳も、星霜を重ねれば見かけが悪くなり、錆びてもくる。やっぱり酒のせいかな、と思っているが、生活は改まらない。日曜の朝、目をこすって庭を眺めれば、向日葵がばかに眩しい・・・。  かつて「健康優良児」は一般用語でもあった。新聞社、文部省などに選ばれた本物でなくても、「お宅の子は健康優良児だから」などと用いられていた。しかしあの表彰制度や言葉自体はいつ頃に消えたのだろうか。広辞苑を引いてみたら、出ていない。何だか白昼夢を見る思いであった。(恂)

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向日葵に負けぬブラウス選びけり    岩澤 克恵

向日葵に負けぬブラウス選びけり    岩澤 克恵 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 向日葵(ひまわり)の色に負けない服を選んだ、ということですね。明るい句です。 春陽子 いろいろ想像できるし、刺激も受ける。向日葵の柄のブラウスなのかな。楽しい句だ。 光迷 向日葵の黄色か橙色に負けない派手な色のブラウスでしょう。装いに女性の気力を感じます。 水馬 そう、負けるか、という意志。女の力瘤が見えます。「けり」で終わって、調子もいい。 冷峰 これ、買う時なのかな。出掛ける際に選んだのか。 水牛 とにかくプラス思考の句だ・・・。これ、どなたの句。ほう、岩澤さん! 彼女、元気になったんだ。               *         *  作者はこのところしばらく、健康がすぐれなかったようである。毎回、投句はされるのだが、メンバーにとっては、句会で会えないのが淋しいことであった。この句が彼女の作と分かった後、「よかった」「よかった」の声が相次いだ。句会の人数は「五七五」の十七人ほどが、好ましいともいう。本会(番町喜楽会)の会員数は、それをいくらか上回る程度である。(恂)

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色紙のくさりで舫ふ星の恋       高瀬 大虫

色紙のくさりで舫ふ星の恋       高瀬 大虫 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 色紙(いろがみ)で星の恋を舫(もや)う、というのが七夕らしい。 俊子 そうですね、星まつりは恋の祭ですから。折り紙の鎖がいかにも美しい。 百子 色紙の鎖が懐かしく、幼い頃を思い出しました。「舫う」は舟と舟を繋ぐ、という意味でしょうか。 水牛 いかにも伝統的な詠み方だが、色紙の鎖を作るのは幼稚園か小学校でしょう。恋はどうなのかな、と思って選ばなかったのですが。まあ、小学生でもいいか。 而雲 保母さん、ということもあるし。 厳水 デパートやショッピングセンターでも、色紙の鎖は見られますよ。 大虫(作者) 年齢のことはあまり考えず、七夕の恋を抽象的に詠んだつもりでした。              *          *  前句、星祭の「追伸」の一語に続き、この句は「色紙のくさり」が人の心を捉えた。誰もが知っていて、思いつきにくい語である。俳句は一語を得るかどうか・・・、かも知れない。(恂)

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短冊に追伸もあり星祭り        玉田春陽子

短冊に追伸もあり星祭り        玉田春陽子 『この一句』  「あれっ、今日は七月八日。これは去年の作かな」と思われた方があるかも知れない。実は昨夜(七月七日)の句会に出たばかりの句だ。「次回は七夕の日だから」と兼題を決めたので、こういうことになった。紙の会報などではあり得ないことが、ネット上で生まれているという一例である。  さて、この句、合評会では「追伸」の一語が話題になっていた。私も、着想がいい、ということでこの句を選んでいる。短冊には実際に「追伸」と書かれていたのだろうか。私は幼い子が願いを記入した後に「それとね、お人形さんも欲しいの」などと書き加えてあったのでは、と想像した。  作者に聞くと、願いを書いたのはご当人(句の上でのこと)だという。願いは何であるかは言わなかったが、「早く叶えてくれないと、あの世へ行ってしまうよ」という追伸だそうである。短冊に実際に書くわけではないが、誰もが七夕への願いを持っているのだ。大人になっても、老人になっても。(恂)

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にわか雨柿の花寄せ流し去る     印南 進

にわか雨柿の花寄せ流し去る     印南 進 『この一句』  あたり一面に散らばっている柿の花を、にわか雨がまとめて溝などに流し去った、という情景である。小さくて、たくさん落ちていて、ぷかぷかとよく水に浮く柿の花の特性を捉えており、面白い句だと思うが、合評会では異論も出た。「寄せ流し去る」という動詞の使い方が気に入らない、というのだ。  言われてみればその通り。句の意味はよく分かるのだが、調子がしっくりこない、ということだ。「柿の花」は五音である。下五の「流し去る」との間に二音しか入らない。「寄せ」を「寄せて」「集めて」など、字余りにしたら、という案が出たが、どれもリズムが悪くなってしまう。  「柿の花」が手詰まりの原因なのだ。例えば「落葉を寄せて」「花びら集め」なら上手く行きそうだが、兼題が「柿の花」なのだから、どうにもならない。こういう時は「柿の花」を上五か「下五」に置くといい、という案が出たところで時間切れ。後日の勉強会で、いい答えが出てくるだろうか。(恂)

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