煮て焼いて炒めて漬けて茄子の膳   直井  正

煮て焼いて炒めて漬けて茄子の膳   直井  正 『季のことば』  句会では「茄子の食べ方をこれだけ並べるとは、珍しい句ですねえ」(庄一郎)と言われたが、確かに重宝な食材である茄子の特質を遺憾なく詠んだ。茄子はインド原産、奈良時代に中国経由で日本に入り栽培され始めた。野菜の端境期となる真夏にもよく生り、日本人の好みにも合って、たちまち全国各地に広まった。しかも日本人の得意とする改良技術によって優れた品種が次々に生まれ、室町から江戸時代に入る頃にはまるで日本古来の野菜のようになった。  料理法もあれこれ考案された。中でも「鴫焼き」なぞは傑作である。別にどうという調理でもない。丸ごとあるいは縦二つ割りにした茄子に串を二本刺して、紫紺の肌に油を引いて火に炙る。途中で味醂を少々混ぜた味噌を塗りつけてまたひと炙りし、好みで胡麻や粉山椒、七味唐辛子をかける。ただこれだけのものだが、すこぶる美味い。この他、小茄子の塩漬け、糠漬け、塩揉み、焼茄子、煮付け、炒め物、天ぷらとあらゆる調理法に合う。  現代俳句は真面目一方に傾いて、こういう俳諧味に富んだ句があまり出て来ない。その意味でもすこぶる珍重すべき句である。(水)

続きを読む

夏めくや塩気のつよき握り飯   大下 綾子

夏めくや塩気のつよき握り飯   大下 綾子 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 私も毎週握り飯を作ってもらっています。なるほどいいところに目を付けた。奥さんの愛情を感じているんですね。 啓明 おいしそうだなと思って。夏は塩気をきつめにした方がいいんでしょうね、茄子漬けとも合います。(注:「茄子」がこの日のもう一つの兼題だった) 実千代 夏めいてくると身体が要求してくる塩気です。上手に詠まれていると思いました。           *     *     *  「夏めく」という感じをとても気持良く詠んでいる。ハイキングに出かける朝のお母さんの一仕事。いつもより塩気を少々強めにするのも主婦の知恵である。夏だから塩気を強めるというと、なんだか理に落ちた感じがしないでもない。しかしこの句は握っているお母さんのはずんだ気分、あるいは新緑の野山でそれにかぶりつく子どもや亭主の笑顔が浮かんで来る。そこが理屈の句から抜け出せた所以であろう。(水)

続きを読む

夏初め箱根路巡る路線バス   久保田 操

夏初め箱根路巡る路線バス   久保田 操 『この一句』  秋の紅葉となると日光いろは坂に人気第一の座を譲るが、初夏のバスの旅となれば箱根路が断然一番であろう。箱根一帯の青葉若葉は実に素晴らしい。目が洗われるようだ。  これは団体の観光バス旅行ではなく、路線バスで箱根山のあちこちを回っている。一人でか、家族連れか、親しい友人達小人数の旅か。とにかく時間を気にせず、気ままに散歩しては、やって来たバスに乗って次のポイントに行く。かなり旅慣れた感じで、しかも箱根を十分に知っている様子が伝わって来る。  東海道線か小田急線で来て、小田原から箱根登山鉄道に乗る。そこから一気に終点の強羅まで登ってしまってもいいが、湯本や宮ノ下で降りて、路線バスを利用しながら名所旧跡を訪ねたり、温泉巡りしたりするのも楽しい。五月は新緑の中のツツジ、サツキ、六月は名物のアジサイが目を楽しませてくれる。  そんなのんびりした気分がほんわり伝わって来る佳句である。(水)

続きを読む

冷奴親父の声を背に受けて       野田 冷峰

冷奴親父の声を背に受けて       野田 冷峰 『この一句』  一読、はてな? と思ったが、すぐ自分なりに状況を判断した。親父は亡き父なのだろう。背中から声が聞こえたというのは、後ろに仏壇があったからか。父親は豆腐が好物だった。冬なら湯豆腐、この時期になればもちろん冷奴だった。「お前も好きになったな」という声が聞こえたのである。  この句会、兼題の冷奴には「家庭もの」の句がかなり出てきた。妻とのこと、これからの夫婦のこと、離婚した子供のことなどなど。この句も同じグループと見ていいのだが、選んだ人は案外、少なかった。生きているお父さん、と考えてしまって、状況が浮かびにくかったのかも知れない。  分かりやすい表現にしたらどうだったか。「亡夫」を「ちち」と読ませる表記はあまり感心しないが、「亡き父」などもあり得た。しかし作者は「親父」としたかったのだろう。「好物は肉料理ばかりだったのに、ようやく冷奴か」。そういう親父の声を聞きたかったのだ、と私は思っている。(恂)

続きを読む

肥後守錆びて候走り梅雨        玉田春陽子

肥後守錆びて候走り梅雨        玉田春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 何と言っても「候(そうろう)」がいいですよ。肥後守(ひごのかみ)ですからね。 水馬 梅雨だから錆びる。肥後守の刃を出してみたら錆びていたのですね。しかし今の子はあの小刀を知らないだろうな。 大虫 鉄製だから。今はもう錆びるナイフなんてないでしょう。 水牛 しかし「錆びて候」とはうまいもんだ。              *           *  句への感想が終わった後、肥後守の思い出話がにぎやかに続いた。鉄板を折り曲げた鞘の中に刃が収まっているあの小刀。もちろん鉛筆削り用だが、あれを持つとちょっと大人になったような気がしたものだ。「学校の帰りなんか、ポケットの中に入れておいてね」「しかし、あれは切れ味が悪かった」「切り出しの方がよく切れたよ」。今の子供が聞けば目を白黒させるだろう。(恂)

続きを読む

素足にて土踏んでみる喜寿の朝      大澤 水牛

素足にて土踏んでみる喜寿の朝      大澤 水牛 『合評会』から(日経俳句会) 反平 喜寿を超えて新しい時代に入った。それをこの人は歳をとったなぁ、ではなく、新鮮な気持ちで迎えた。素足で土を踏むとはね、読んでいて嬉しくなる句です。 大虫 これは「素足」が季語ですね。私も喜寿ですが、勇気をもらえる句です。 正市 土の上に素足で、自然の中に居て・・・。この心境がうらやましい。 悌志郎 年齢が増えるに従って、歳をとるのが心細くなる。しかしこの人は子供のようで、歳が増えるのを喜んでいるらしい。うらやましい限りだ。 操 素足で土に触れてみた、という気持ち。喜寿を迎えた作者の感慨が伝わってきます。 光迷 喜寿、おめでとうございます。素直な行動、素直に詠み方に共感を頂きました。 水牛(作者) 遠藤のまねをして、四股を踏んで見たのですが、彼のようには足が上がらなかった。             *            *  往年の名横綱の還暦土俵入りを見たことがある。周囲ははらはら、足が少し上がって大拍手だった。(恂)

続きを読む

ミャンマーは寺院の中や夾竹桃      井上 啓一

ミャンマーは寺院の中や夾竹桃     井上 啓一 『この一句』  ミャンマーと聞いて「ああ、ビルマね」と応ずるくらいだから、私のこの国に関する知識はお粗末なものだ。すぐに頭に浮かぶのはアウン・サン・スーチーさんくらいのものである。パゴダは? と聞かれれば「そう、そう、あの仏塔ね」なんて答えるが、あれはお寺なのかな、と考える始末だ。  だからこそ、なのだろう、この句を見たとたんミャンマーという国の様子が、一気に頭の中に膨らんできた。普通なら「国中、寺院ばかり」と表現するところだが、「国が寺院の中にある」のだという。ちょっと調べて、国民の十三%が仏教の僧侶と知ったが、そんな説明より、ずっとインパクトがある。  決め手は夾竹桃だ。インド原産だからミャンマーに咲いていて当然だが、日本でもおなじみだから、この花が点在する風景がすぐに浮かんでくる。花の色は白もピンクもある。しかしミャンマーの夾竹桃はすべて真紅に違いない。ミャンマーをよく知らないから、そんな想像が可能なのである。(恂)

続きを読む

夏めきて水重くなる神田川       高橋ヲブラダ

夏めきて水重くなる神田川       高橋ヲブラダ 『この一句』  東京人にとって神田川のイメージは一定ではない。三鷹市の井の頭公園に発する上流部はかつて「神田上水」と呼ばれていたほどだから、清流とはいえないまでも、かなりきれいな印象がある。しかし中野区、新宿区と流れるに従って、都市河川の色合いを増し、不快感をもたらすようになる。  フォークソング「神田川」の影響もきわめて大きい。「二人で行った横丁の風呂屋」「三畳一間の小さな下宿」。あの頃の若者が大手町勤務のビジネスマンになり、昭和5、60年頃の思い出をそのまま引きずって、いまの神田川をのぞき込むと「こんな重たそうな水なのか」と毎回、がっくりくるのだ。  水がほとんど流れていない時がある。東京湾の上げ潮のためだろうか、逆流する時もあるし、異臭を発することもある。しかし「こんな川、ない方がいい」とは思う人は少ないらしい。先日、橋の上で「もう少しきれいになればなぁ」という声を聞いたばかりだ。みんなの心に生きる神田川なのである。(恂)

続きを読む

夏めきて初めてつかふシニアパス   池村 実千代

夏めきて初めてつかふシニアパス   池村 実千代 『この一句』  敬老乗車証とかシルバーパス、シニアパス等々、いろいろな呼び名があるが、東京、大阪、横浜など大都市の自治体が発行している地下鉄やバスの乗車証と、JRのジパング倶楽部という割引切符購入証が代表的なものである。  地方自治体のシニアパスは概ね男女70才以上が対象で、例えば東京都の場合は年間所得が125万円未満の人なら千円の費用で1年間有効のパスが貰え、都営地下鉄、都バスなどに無料で乗れる。それ以上の所得がある人は年間2万円少々納入しなければならないが、出好きなお年寄りにとってはそれくらいはすぐに元が取れると大人気。ジパングの方は女性60才以上、男性65才以上が対象で、年会費3770円でJR全線201km以上なら運賃、特急料金などが3割引になる。これまた利用者が非常に多い。  これらのシニアパスを初めて使う時の感慨は特別のものがある。「これで私も老人の仲間入り」ということを再確認させられるのだが、決して暗くはない。むしろ第二の人生のスタート台に立つ気分になる人が多い。この句もそんな感じである。「夏めきて」にとてもよく合っている。(水)

続きを読む

柿若葉力余って庭占拠   藤村 詠悟

柿若葉力余って庭占拠   藤村 詠悟 『この一句』  「若葉」は初夏五月にふさわしい季語で、これも五月の酔吟会に出された句である。ただ、六月初めの今日あたり、若葉青葉が急に勢いを増して、この句が言うように力が余って庭を占拠し始めたなあとつくづく感じるようになる。  ことに柿の木は勢い盛んである。葉が大きいから、木の手入れを怠ると四方に枝を広げ、狭い庭だと庭全体を暗くしてしまう。やや肉厚のつやつやした濃緑の葉が夏の太陽を照り返す様子は、生命力に溢れ、気圧されてしまうほどである。しかし、その木の下に入ると涼しく、フィトンチッドが漲っているようだ。  この句の作者は柿が大好きで、お嬢さんがその昔、富有柿を植えてくれたのだという。今は老夫婦二人住まいとなっているから、柿の木の剪定も思うに委せないのであろう。いつの間にか旺盛に繁ってしまった。それもまた良き哉。柿若葉から放たれる力で若返った気分になれると喜んでいる。(水)

続きを読む