明早し妻に淹れし茶冷え置かる   深瀬 久敬

明早し妻に淹れし茶冷え置かる   深瀬 久敬 『季のことば』  「明早し」は「短夜(みじかよ)」の言い換え季語で、他に「明易し」「明急ぐ」「夜のつまる」という言い方もある。夏は夜明けが早く夜が短くなる。夜明けから日没までを「昼」、日没から日の出までを「夜」としてそれぞれを六等分して時刻を定めていた明治五年までは、冬の夜と夏の夜とでは長さが大きく異なった。冬至の夜は13時間もあるが、夏至の夜はわずか8時間10分しかない。恋しいひととの逢瀬もすぐに別れの朝が来てしまう。職人や農民にとって夏場は大変で、睡眠時間が短くなり、労働時間が冬場の5割増しくらいになってしまう。「昼寝」が夏の季語になるくらい一般化したのもむべなるかなである。  この句、情景がいろいろに取れる。この妻は病床にあるのだろうか、あるいは朝早くから活発に家事に取り組んでいる元気な奥さんか。とにかく亭主はひまである。愛妻に新茶を淹れたのだ。しかし、それは飲まれずに置かれたままで冷めてしまい、いつの間にかあたりがすっかり明るくなってきたというのである。夏の早暁から早朝の年寄二人だけの静かな時間経過を、茶の冷める様子で上手に述べている。(水)

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ほととぎす門田の苗の青青と   水口 弥生

ほととぎす門田の苗の青青と   水口 弥生 『季のことば』  早いのは四月、大方は五月中旬に南方から飛んできて、主として高原地帯で夏を過ごし、涼しくなるとまた南国に帰って行く渡り鳥(夏鳥)。古来、春の「花」、秋の「月」、冬の「雪」と共に夏は「時鳥」と、四季それぞれの代表選手が決まっており、歌人たるもの夏が近づけば何とかして時鳥を詠まなければと意気込んだ。俳諧・俳句にもそれが伝わって、時鳥の句は掃いて捨てるほどある。  昼も鳴くが、夜中から明け方にかけて鳴きながら空を横切って行くのが特徴で、だから、昔の人達は卯月(旧暦四月、現在の五月)ともなると、初音を聞き漏らすまいと徹夜した。また、時鳥は田植えを督促するために鳴くと思われてもいた。農業と深い関係のある鳥で、勧農鳥、田長鳥などとも書かれた。  この句はそうした伝統を踏まえて詠んでいる。門田とは文字通り門の前の田、屋敷地の続きに広がる田圃で、その農家の看板とも言うべき最も重要な田である。丹精込めて植えた早苗が風にそよぎ、時鳥が豊作を約束するかのようにけたたましい声を張り上げて飛んで行ったという。清々しく気持の良い句ではないか。(水)

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短夜の諸行無常を平家琵琶    宇佐美 論

短夜の諸行無常を平家琵琶    宇佐美 論 『この一句』  「短夜」は作者にとって初めて出会う季語(兼題)であった。夏になれば夜が短くなることは知っていても、それを句に仕上げるのに苦労したようだ。上記の句のほかに「青春に戻れぬ我が身明け早し」を作ったように、短夜のイメージを自分の人生に求め、抽象的な詠み方になりがちだった。  そうしているうちに「諸行無常」という言葉が浮かび、「短夜の諸行無常の夢の中」と作った。短夜も諸行無常もまだ我が身に引き付けている。そのあたりで彼は私にアドバイスを求めてきた。自分のことを詠むのは悪くないが、客観的、具体的にものごとを考えることも必要、とメールで返信した。  そして上記の句が出来上がった。句会でさほど評判にはならなかったが、私は重厚な、立派な句だと評価している。このような場合、初心者ほど人に教わったことを気にするようである。しかし先輩からの助言はなかったと思うくらいでいいだろう。助言をやがて不要にするための助言なのだから。(恂)

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柿の花降る道抜けて五重塔      竹居 照芳

柿の花降る道抜けて五重塔      竹居 照芳 豊生 家内と二人で、奈良を旅行した時のことを思い出した。柿の花は桜など違って地味だが、独特の雰囲気を持っている。いい句だと思いました。 尚弘 柿の花と五重塔の対比がいいですね。 恂之介 奈良か京都か、人通りの多い表通りではなく、寺の裏道のような感じです。大きくはないが、風格のある五重塔があるのでしょう。柿の花のムードがよく出ていますね。          *           *  柿の花探訪のため散歩に出た句友がいた。家の周辺だけでなく遠出もして得た結論の一つは、古い家にあり、新しい家にはない、ということであった。寺社を含め、広い庭のある古くからの屋敷によく見かけるが、新築の家に植えるようなケースには出会わなかったという。結果として柿の木は減少の一歩をたどる。柿の花を見る機会も減り、どこかにないかと探しに出ることにもなるのだ。(恂)

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父の日やイトウを釣りし話など      広上 正市

父の日やイトウを釣りし話など      広上 正市 『この一句』  「~話など」の下五は、作句上の一つの類型と言えるかも知れない。しかし「父の日のイトウ」は句材としてたぶん前例がなく、釣りを知る人なら「オッ」と目を輝かすほどのパワーを持っている。開高健の著作や漫画「釣りキチ三平」でお馴染の淡水産・サケ科の魚。調べたら何と、最長二辰世箸いΑ  日本の生息域は北海道だけ。作者は北海道・旭川の“奥”の生まれだから、実際に父親とイトウを釣ったことがあるのだろう。あらゆる釣りキチの垂涎の「幻の怪魚」であり、今や絶滅危惧種の代表格でもある。この大物釣りの体験は、父子にとって今なお記憶に鮮やかであるはずだ。  ふと、「釣りし話など」の「など」って何か、と考えた。今、食用のイトウは養殖物に限られるらしい。しかし父子の記憶の中には「釣った」ことだけでなく、「食べたこと」もあったのではないだろうか。私は「イトウって、どんな味だった?」と、作者に聞いてみたい気がしている。(恂)

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父の日や区立図書館閉じるまで      鈴木 好夫

父の日や区立図書館閉じるまで      鈴木 好夫 『合評会から』(日経俳句会) 定利 この人、家族に遠慮しているのかな。時間つぶしだから、スポーツ紙なんかも読んだりして。 二堂 本当に閉館までいるのだろうか。ちょっと哀れな感じがする。 冷峰 私の行く図書館だと毎日、大勢の人が来て、開館から閉館までの人もいますよ。 光迷 地域差があるでしょう。わが家の近くの図書館はいつでも空いていますが。 植村 しかしこの句、眼のつけどころがいい。父の日くらい早く帰って、と言われても、特別な日じゃないんだ、というテレのようなものがある。 鈴木(作者) そうですね。家にいると照れくさい。父の日は日曜日だから、散歩行って、図書館に行って、まあいつものようにしているわけです。               *       *  日本に「父の日」がなかった頃、「母の日以外はみんな父の日」というジョークがあった。お父さんが家庭内でまだ権威を持っていたのだ。今は「父の日以外はみんな母の日」。これ、ジョークではない。(恂)

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父の日や無口息子のメール来る     高石 昌魚

父の日や無口息子のメール来る     高石 昌魚 『この一句』  大学の教員をしていた頃、学生が無口になった、ということが同僚の間で話題になった。話しかけても返事がない。分かったのか分からないのかも分からない。学内で出会い、ちょっとしたことを尋ねたら、硬直して聞いている。ところが「返事はメールでいいよ」と言うと劇的に変化するのだ。  パソコンにすぐ返事が返ってくる。そのうち、向こうから質問を寄せてきた。話を聞いたのか、別の学生も相談を持ちかけてくる。どうやら今の学生は目上の人と顔を合わせて話すのが苦手らしい。それを解決するのがメールなのだろうか。彼らはメールによって無口になった、という思いもある。  句の息子さんは立派な社会人で、別の世帯を持っておられるのだろう。父上には昔から無口だったそうである。しかし今年は父の日にメールが来た。「嬉しかったですね」と作者は言う。この句を見れば、メールも悪くない、と思わざるを得ない。全てメールでOK、とは決して言わないけれど…。(恂)

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思ふこと違ふ二人やソーダ水   大倉 悌志郎

思ふこと違ふ二人やソーダ水   大倉 悌志郎 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 智宥 甘いソーダ水を挟んで、二人とも黙っている。昔懐かしい風景ですねえ。 ヲブラダ 今はもうソーダ水なんてありません。あったとしても別のしゃれた名前になっています。昔っぽいソーダ水を持って来たので、甘い、レトロな感じになりました。 綾子 ソーダ水って緑色の鮮やかな色が印象的。それを前にした二人がそれぞれ別の事を考えている、と言ってます。この後、この二人は別れるんだろうかなんて考えちゃったりして(大笑い)、読む側がいろんなお話しを思い描く、面白い句だなあと思います。           *     *     *  「ソーダ水」という言葉を聞くのは久しぶりだ。メロンソーダという呼び方もあったが、とにかく毒々しいばかりの緑色の甘い水で、氷の間から炭酸ガスの泡がシュワーッと吹き上がる清涼飲料。少し贅沢なのは上にアイスクリームが乗っており、これはクリームソーダ。句会参加者はほとんどがいわゆる実年以上。ソーダ水という懐かしい言葉を巡って談笑花を咲かせた。もう昭和も遠くなりにけりである。(水)

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父の日や今年も特設靴下屋   村田 佳代

父の日や今年も特設靴下屋   村田 佳代 『季のことば』  「母の日」と比べて「父の日」はいかにもぱっとしない。その制定の由来からして情けない。1910年、米国ワシントン州スポケーンの男手ひとつで育てられたソノラ・ドッドというオバサマが「母の日があるのに父の日が無いのは可哀想」と州政府に働きかけた結果制定されたというのだから、まさに「付けたり」。  日本には昭和30年代に「母の日」(5月第2日曜日)と前後して入ってきたが、さっぱり広まらずに半世紀。それでも最近はデパートや商店街に「父の日プレゼント・コーナー」などが設営されるようになった。しかし、これまた母の日とは比べものにならない。母の日のカーネーションは誰でも知っているが、父の日がバラであると知っている人はあまりいない。6月第3日曜日という日取りすらあやふやだ。  プレゼントといっても、さて何にするか。なかなか思い浮かばない。あれこれ思案の末に、息子も娘も「靴下でいいや」ということになる。「よく歩き、いつまでも元気に働いて、スネかじらせて」というわけでもあるまいが。(水)

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どの田にも水走らせよ時鳥   嵐田 啓明

どの田にも水走らせよ時鳥   嵐田 啓明 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 綾子 日本の原風景である里山とその麓に広がる水田、ひろびろとした光景に「どの田にも水走らせよ」と動きのある言葉で、格調高く歌い上げています。 正裕 ちょうど田圃に水を注ぎ込む時期、ホトトギスが声高く鳴きながらさーっと飛んで行く様子、そんな情景が鮮やかに詠まれています。 光迷 「水走らせよ」という中七の命令形が強く響いて、軽快で実にいい感じです。これとよく似た句があったなあと、考えたら「野を横に馬牽き向けよほとぎす 芭蕉」だった。構造的にはこの句は芭蕉句と同じだが、「水走らせよ」が生きていて、とても良いと思った。 恂之介 ほととぎすは勧農鳥とも書くように、昔から農業と深い関係を持っていた鳥。田植えの頃の田の上を飛んでいるんですね。とても勢いのある句ですね。           *     *     *  皆さんの言うように、この句はまさに豊葦原瑞穂之国の看板のような俳句である。古格を備えつつ、しかも現代にも生き続けている風景をしっかりと詠み止めている。(水)

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