垂れ下がるメランコリーや藤の花    片野 涸魚

垂れ下がるメランコリーや藤の花    片野 涸魚 『季のことば』  「今年も見事に咲いたね」と近所の人が噂するような藤が、駅まで行く途中の家に咲く。家の人は毎年、毎年、人々の期待にそむかぬように咲かせているのだろう。その丹精に感謝しつつ通り過ぎて行くが、藤は盛りが来たかと思うと、すぐに葉を伸ばし、春の終わりを告げ始めるのだ。  「くたびれて宿かる頃や藤の花」(松尾芭蕉)。この句について、山本健吉(文芸評論家)が「藤の本意をよく捉えているといえよう」と書いている。かつてこの文を読んだ時は「そうかな」と軽く読み飛ばしていたが、上掲の句に出会い、本意というものについて考えざるを得なくなった。  私は藤の華やかさ、美しさ、たおやかさに目を奪われていた。藤に対して同じよう感じを抱いていた人が多かったようで、「言われてみて、メランコリー(憂愁)という藤の持つ別の一面に気づかされた」という評もあった。芭蕉や山本健吉、句の作者はそれを「藤の本意」と見ていたのだ。(恂)

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黄海に沈む若者初夏の難        藤村 詠悟

黄海に沈む若者初夏の難        藤村 詠悟 『合評会から』(酔吟会) 臣弘 誰にとっても痛切な事件です。あの悲劇を思えば、この句は選ばざるを得ない。後々まで忘れないように、という気持ちになりました。 正裕 大勢の若者の犠牲はインパクトがあります。彼らの心を思うと本当に心が痛む。 恂之介 ジャーナリストの多い句会でもありますから、会の記録に留めたい句ですね。事故の発生は春だったが、犠牲者がいまなお船内に残っている。「初夏の難」は頷けます。 水牛 未来のある若者たちだから、いかにも可哀そうだ。「黄海に沈む若者」という直接的な詠み方に、言葉もない。それに比べて、あの船長は・・・、なんたることだろう            *          *  わが身を省みず、乗客の命を救おうとして亡くなった三人の若い乗務員が、韓国政府から「義死者」に認定されたという。船内に取り残され、命を失ったなった高校生らとともに、「生きていたら、韓国の将来を担ったのでは」と思わざるを得ない。「無念」の気持ちに国境はない。(恂)

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初夏まぶし一年生は元気かな      金指 正風

初夏まぶし一年生は元気かな      金指 正風 『この一句』  「初夏」は「はつなつ」と読む方が格好いい、と思っていたが、句会にはなかなか快い「しょか」が登場してきた。「初夏の空」「初夏の朝」「初夏の雲」……。中でも「初夏まぶし」は、一年生という題材にぴったり合っており、なるほどこういう使い方があったのか、と大いに感心させられた。  一年生はもちろん、小学校の新入生である。親に付き添われての入学式から数か月。早くも仲良しが出来たらしく、真新しいランドセルを背に、おしゃべりしながら登下校する様子は、「まぶしい」と呼ぶに相応しい。「みんな元気だなぁ」と目を細める作者の表情が目に見えるようである。  私はしかし、ちょっと違って「元気かな?」とハテナマークをつけて解釈してみた。例えば午前十時過ぎとしよう。先ほど家の前を通っていった一年生たちは授業の最中だ。国語か算数か、音楽か体育だろうか。「あの子たちは元気かな?」。庭の木々も空も雲も、初夏のまぶしさに溢れている。(恂)

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迷いなく水玉シャツで初夏の朝     大平 睦子

迷いなく水玉シャツで初夏の朝     大平 睦子 『季のことば』  「暦の上では…」に続いて、「もう春ですが」「もう秋ですが」という風によく用いられるが、「もう夏ですが」は、あんまり聞かない。冬から春へ、夏から秋へ、には、心地よい季節の到来を待つ気持ちがり、一方、春から初夏への移行は、いい季節からいい季節へ、であるらかも知れない。  今年の立夏は五月五日であった。子供の日で、連休中ということもあり、「今日から夏」を意識しないまま過ぎて行った。青空に鯉幟が泳ぐようになると、気象予報で言われなくても、自然に初夏を感じている。夏向きの衣装への着替えも温度や天候を勘案し、自分の判断によっているのだろう。  句の主人公は、ある朝、迷うことなく「今日は水玉のシャツで」と決めた。彼女にとって、この日が初夏の始まりなのだろう。シャツは白地に水色の水玉模様だったと思われる。古くから人気のある乳酸飲料の包装紙が、同じ水玉模様であった。あの飲料の宣伝文句は「初恋の味」であったが・・・。(恂)

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蟻の巣の開門記念角砂糖   澤井 二堂

蟻の巣の開門記念角砂糖   澤井 二堂 『季のことば』  むかし、「コドモノクニ」という児童向けの絵画雑誌があった。大判多色刷りの豪華絵本で、童話・童謡作家のお伽噺や歌に一流画家が自由奔放、きらびやかな、夢の溢れる絵を描いていた。子ども向けの童話、童謡、童画なのだが、大人も楽しめる奥の深い雑誌だった。戦争へまっしぐらにのめり込む中もこの平和の象徴のような雑誌は頑張っていたのだが、真珠湾攻撃の昭和16年だったか、ついに姿を消した。子供心に実に淋しい思いをしたものである。  この句を見た時に、なぜだか突然目の前に「コドモノクニ」が浮かんだ。絵本の中にたくさんの蟻がぞろぞろと列を作って行進したり、角砂糖をかついだところが描かれていたのかどうか、もちろんそんなはっきりした記憶があるわけではないのだが、とにかくこの句から「コドモノクニ」のページをめくっているような感じを受けた。  3月初旬の「啓蟄」以降、蟻をはじめいろいろな虫が冬籠もりの巣穴から這い出して来る。その開門記念に角砂糖をプレゼントしてやったのだという。この作者の眼と心は澄み切っている。(水)

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春うらら雷門に車夫群れて   篠田 義彦

春うらら雷門に車夫群れて   篠田 義彦 『この一句』  浅草界隈の人気が鰻上りだ。2012年5月に押上に東京スカイツリーができて、ここから向島、吾妻橋を渡り雷門、仲見世、浅草寺と経巡る観光ルートが出来上がった。雷門前には人力車が群がる。これが現れたのは平成になってかなりたってからのことだが、今やそれが浅草名物に成長した。  第二次大戦直後、浅草はいち早く立ち直った。戦災の瓦礫の跡にバラック建ての店が建ち並び、蕎麦、ラーメン、寿司、一膳飯屋、ちょっと高いが天麩羅、蒲焼、泥鰌鍋などなんでもあった。永井荷風、高見順などの文士が徘徊してはそのあたりのことを書くから、一般庶民がどっと押し寄せた。食い物だけではない、レビュー、ストリップ、落語、漫才、浪曲から軽演劇の小屋が熱気を醸し出していた。  ところが銀座、新宿、渋谷と次々にお洒落な街が復興するにつれ、JR(当時は国鉄)の駅がない悲しさで徐々に客足が遠退き、昭和40年代以降は死んだようになってしまった。それが平成の世とともにリバイバル。欧米人ばかりでなくアジア諸国からの観光客がどっと押し寄せ、人力車に乗ってはしゃいでいる。平成天国のうららかさを素直に詠んだ句である。(水)

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花冷えや客が列なす鯛焼屋   石黒 賢一

花冷えや客が列なす鯛焼屋   石黒 賢一 『季のことば』  「花冷え」は今や季語と言うより、日常会話になっている。これもテレビの天気予報が人目を引こうと映像に凝ったり、ウンチクを傾けるようになったせいではないか。天気図と一緒に、夜桜の下で襟かき合わせる美人が映し出されたりすると「花冷えだなあ」と納得してしまう。  染井吉野が東京近辺で咲く3月下旬から4月上旬、長野以北の5月上旬、時として10℃を下回る寒さに襲われる。洒落た春衣でおめかししたはいいが、くしゃみに鼻水では台無しである。行ける口なら熱燗の花見酒で内側から温めることもできるが、下戸やご婦人方はどうしようもない。もう色気どころではなく、後片付け用に持って来たゴミ袋を貫頭衣のようにすっぽりかぶっているオバサマもいる。そこへまあ何というタイミング、屋台の鯛焼屋が現れた。たちまち行列ができた。  とても面白い写生句なのだが、困ったことに「鯛焼」「鯛焼屋」は冬の季語。鬼の首でも取ったように「季重なり」と言う人もいるだろう。しかし今では鯛焼は一年中売っているから季節感は無くなっている。むしろ「花冷え」などには打って付けの小道具とも言えるのではないか。(水)

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行く春やまだ眠たげな空残し   片野 涸魚

行く春やまだ眠たげな空残し   片野 涸魚 『季のことば』  今年は昨五月五日が「立夏」だった。いつものことながら春はあれよという間に去ってしまった。とは言え、この季節の変わり目は暦通りにはっきりとは割り切れない。八月初めの夏と秋との分かれ目が典型的で、立秋以後の方が気温が高くなってしまう。春と夏との境もまたはっきりしない。急に25℃を超えたと思ったら15℃くらいに下がって、立夏早々、夏風邪にやられたりする。  空模様がまた猫の目変わりである。いきなり初夏の真っ青な空が続くというわけにはいかない。PM2・5が飛来したのか、ぼんやりと霞がかかって、眠気を誘う。まさに春眠暁を知らずが尾を引いている。花粉症が抜けきらないことも影響しているのかも知れない。  この句はそういう行く春の風景、雰囲気を詠んでいる。「まだ眠たげな空」を残しているとは言い得て妙である。精一杯身体を伸ばして活発に、とは行かない気分をよく表している。ただ、そんなことを言ってぐずぐずしていると、行く春どころか初夏も瞬く間に過ぎ、鬱陶しい梅雨がやって来てしまう。(水)

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昭和の世語る仲間や花の宴   印南  進

昭和の世語る仲間や花の宴   印南  進 『合評会から』(三四郎句会) 賢一 平成のいま、同世代が花見酒を飲み、昭和を語っている。 信 いま元気なのは昭和生まれのジジババ。花見に来て大トラになって、意気軒昂、懐かしく語り合っている。 尚弘 昭和生まれは元気ですよ。 久敬 はげ頭もいて、賑やかでしょう。 豊生 激動の時代を生きてきた仲間ですから・・・、若い人への応援歌も聞こえてきます。            *     *     *  昭和2、3、4年生まれは海軍兵学校、陸軍幼年学校、あるいは予科練などに入って軍人の第一歩を踏み出したり、実際に特攻機に乗って散った人もいる。それ以後20年生まれまでは戦中戦後の飢餓時代をかいくぐった世代。とにかくあまりにも異常な時代を過ごしたものだから、「花の宴」などではどう振る舞っていいのか分からない、不器用さが目立つ。ただひたすら飲み続け、若者が呆れ果てるのも気付かず場違いな昔語りに興じるばかりである。(水)

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鳥帰るアジア語の声キャンパスに   金田 ??水

鳥帰るアジア語の声キャンパスに   金田 ??水 『季のことば』  いつの間にか大学が増え過ぎ、少子化の影響もあるのか、どこも学生集めに苦慮しているようだ。まさに何とかの一つ覚えで「国際化」を看板に外国人学生の呼び込みに躍起になっている。どうしても近隣の中国や東南アジア諸国の学生が多くなる。これは距離的な理由もあるが、このところ急増している日本企業のアジア市場開拓熱とも関係がありそうだ。かくて掲載句のような情景となった。  鶴、白鳥、鴨、ツグミ、ジョウビタキなどは日本で越冬し春になると中国北方、シベリアへと帰って行く。これが「鳥帰る」という季語になっているのだが、逆に春から初夏にかけて東南アジア方面からやって来るホトトギス、カッコウ、そして燕など夏の渡り鳥もある。とにかく渡り鳥は冬鳥も夏鳥も毎年、日本と諸外国とを往来している。  およそ俳句にはなりにくい散文的な素材を持ってきて、「鳥帰る」の季語に合わせたところに感心した。これはまさに現代版「鳥帰る」の句である。(水)

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