若葉光鑑真和上の麻衣         高瀬 大虫

若葉光鑑真和上の麻衣         高瀬 大虫 『この一句』  俳句をやる人なら芭蕉の句「若葉して御めの雫ぬぐはばや」の本歌取りであることがすぐに分かるだろう。作者は僧籍を持つ人である。若葉の季節を迎え、鑑真和上に私もご挨拶申し上げます、と詠んだのだ。粗末な麻の衣もこの時期は涼しく、快適でしょう、という気持ちが込められている。  句会の後、私はあるテレビのドキュメンタリー番組を思い出した。唐招提寺の鑑真和上像の制作過程を追ったものである。和上を尊敬・崇拝する弟子たちが大往生の前から、生き写し像を残そうと制作を始めた。和上が実際に着ていた麻衣も乾漆像に被せた、というような内容であった。  作者に確かめたところ、テレビ番組は見ていなかった。僧侶はこの時期、袈裟の下に麻衣を着るので、今は心地よく過ごされているでしょう、と一句を詠んだそうである。この句は句会で一票を得た。選んだ人は僧籍にある女性であった。彼女も、そのように思います、と挨拶を捧げたのだろう。(恂)

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花びらに風のかよへり白牡丹      高井 百子

花びらに風のかよへり白牡丹      高井 百子 『この一句』  風はもちろん、一個所だけに吹くものではない。牡丹を見る人の顔にも、庭や公園一帯にも過ぎていったはずである。しかしその風は非常に柔らかく、感覚的には無風と言えるほどの状態だったのだろう。作者は風を感じていない。しかし眼前の牡丹の花びらが、わずかに揺れるのを見逃さなかった。  牡丹の花びらに風がかよって行くという、ただそれだけのことだが、何とも繊細にして美しい瞬間を捉えたものである。花びら全体が揺れているのではない。先に行くほど薄い先端部だけが、かすかに動いているのだ。牡丹の色は紅でも黄でも赤紫でもなく、絶対に白でなければならない。  この「みんなの俳句」欄は、「水」氏と私が一週間置きに担当している。週に四句か五句だから年間、二人で二百三十句ほどを取り上げるだろう。作者はもちろんアマチュアばかりだが、中には名句、秀句、佳句と呼びたいものも登場してくる。では、この句は・・・、私は「名句である」と思っている。(恂)

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夏めきて床屋のはさみ動き出す     植村 博明

夏めきて床屋のはさみ動き出す     植村 博明 『合評会から』(日経俳句会) ヲブラダ 床屋さんは年中やっているから、「はさみ動き出す」は理屈に合わないかも知れないが、これは写生句ではない。「夏めきて」と感覚的に合っています。 弥生 暑くなると、床屋さんや美容院が忙しくなる。それが「はさみ動き出す」なんですね。 好夫 「はさみ動き出す」は、はさみと床屋が活発に動き出すという、双方に掛っているのでしょう。チャップリンが床屋になる映画のハンガリア舞曲のような、音楽を感じます。 綾子 はさみがキラリと輝いて、お客はさっぱりとして店を出て行く。 反平 「動き出す」より、「床屋のはさみリズミカル」くらいがいいと思うが。 水牛 床屋とはさみのリズム。夏こそ床屋、という感じなんですね。               *         *  句を見た時、はさみが動き出すとは? と首を傾げた。しかし合評会のコメントを聞くうちに、句の感覚に理屈が溶かされて行った。今では「はさみ動き出す」でなければならない、と思っている。(恂)

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夏めくや夜風を入れるレストラン    堤 てる夫

夏めくや夜風を入れるレストラン    堤 てる夫 『合評会から』(日経俳句会) 正裕 素直な句ですね。夏が来たので窓を開けた、というだけのことですが、その場にいるような気がして。気持ち良い夜風が感じられます。 二堂 「夜風を入れる」がいいですね。夏めいた風に、涼やかさを感じます。 水牛 そのままを詠んで、気持ちのいい句です。庭のあるレストランかな? 青水 無駄なく、すんなりと情景が見えてきます。無造作に詠んでいるようで、結構推敲を重ねたに違いない。広がりがあって、この場面から物語が生まれそうでもあり・・・。               *           *  普通、夏めいたと思うのは、気温が上がって汗ばむほどになった時だろう。ところがこのレストランに居た人は、涼やかな夜風が室内に入ってきたので、「夏めいた」と感じたのだ。とても面白い瞬間を捉えており、居心地のよさも感じさせる。郊外か、あるいは地方都市の、洒落たレストランではないだろうか。(恂)

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職にありしごと大股に夏日影      横井 定利

職にありしごと大股に夏日影      横井 定利 『この一句』  夏日影は「日差しの当たらない場所」ではなく、「夏の日差し」のこと。日差しの当たる場所としてもいい。散歩だろうか、どこかに出かけるのか、作者が外へ出たのは初夏の晴れ渡った朝だった、と想像する。とても気持がいい。気が付くと、胸を張り、大股でずんずんと歩いているのだ。  こんな歩き方は最近、あまりしていなかった。しかし以前はいつも元気よく歩いて行ったものだ。いつ頃だっただろう。ああ、現役社員の頃だった、と思い出す。重要な仕事のある日は、挑戦する気分で大股に歩いて行った。前日の仕事の成功を、思い出しながら出勤する日も同様であった。  職を退いて十年ほど、少しずつ歩幅が狭まってきた。街のショーウインドに映った自分の猫背にがっかりしたこともある。しかし今朝は違う。初夏の日差しを浴びて、やる気が全身に漲ってきた。俺はまだ老いていない――。私(筆者)はこの句に非常な共感を覚える。作者と同年配だからだろう。(恂)

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初夏や網戸かがりに日は暮れて   岡田 臣弘

初夏や網戸かがりに日は暮れて   岡田 臣弘 『合評会から』(酔吟会) 睦子 「はつなつや」と来て「網戸かがりに日は暮れて」という、流れの良さがいいと思った。 二堂 夏の声を聞くと網戸が気になって、ほつれを直したり、レールに油をさしたりする。「日が暮れて」が効いている。 詠悟 私も網戸をつくろったがうまくいかなかった。この句はうまい。きっと修繕もうまくいったんでしょう。           *     *     *  この時期のホームセンターは目立つところに網戸を陳列し修繕用具を並べる。気の利いた小物がいろいろあって、そうしたものを使えば簡単に直せるように見える。しかし、大きな破れをかがるとなるとなかなか厄介である。初夏のひと仕事になる。  実は「網戸」も夏の季語なのだが、この場合は「網戸かがり」だから問題ない。長くなった日も暮れてしまったと、腕や肩をさすっている様子がうかがえて、微笑ましい。(水)

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老犬の息遣ひ聞く薄暑かな   山口 斗詩子

老犬の息遣ひ聞く薄暑かな   山口 斗詩子 『この一句』  薄暑と愛犬とは合性がいいらしく、似たような句がたくさんある。しかし、それらを「類句あり」と切り捨てるのは人情を解さぬ朴念仁である。こういう取り合わせは何百年にわたって、寄せては返す波の如く詠まれる素材であり、その波の形が千変万化するように、作者の思いがさまざまに揺れ動く様子を読み取れば、そこにまた新たな感慨も生まれる。  これは少々暑さを感じるようになった頃、足取りの覚束なくなった愛犬を散歩に連れ出したところであろうか。ほんの数十メートルで早くもぜいぜい喘ぎ始める老犬を気遣っている作者の心配そうな顔つきが浮かんで来る。  恐らく十数年共に暮らして来たに違いない。人語は喋れないが、こちらの言うことはかなり理解出来るようになっている。こちらも鳴き声、しぐさ、息遣いでどんなことを訴えようとしているのかがかなり分かる。「そうかい、そうかい。もう歩きたくないのね。たまには外の空気もと思ったんだけどね」なんて言いながら抱き上げる。人と犬との老老介護である。(水)

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犬連れのいつもの仲間夕薄暑   田中 白山

犬連れのいつもの仲間夕薄暑   田中 白山 『季のことば』  五月初旬の立夏から下旬まで、いかにも夏らしくなったなと感じはするものの、まだうんざりするような暑さではない頃合いを「薄暑」と言う。十月の爽秋と、この薄暑の頃が一年中で最も気分がいい。もちろん、犬の散歩にも最高の季節である。  犬はとても暑がりだ。汗腺が無いから、人間のように汗をかいて体熱を発散することができず、炎天をちょっと遠道すると長い舌を出してはあはああえぎ、時には木蔭にへたり込んだりする。都会では小径まで舗装してあり、夏場はそれが熱くなっているから、素足の犬には酷なのだ。  しかし、薄暑の夕方は天国である。勝手知ったるいつもの道を、嬉しそうに歩く。そういう犬と人間が幾組もあって、いつの間にか顔見知りになっている。犬同士がふんふん嗅ぎ合って挨拶を交わしていると、双方の飼主も世間話を始めたりする。だが深刻な話題や長話はしない。犬同士の交歓が終わって「じゃぁね」といった感じで離れるのをしおに、飼主も左右に分かれて行く。世は事も無しといった風情である。(水)

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仏壇のカーネーションに語りかく   岩沢 克恵

仏壇のカーネーションに語りかく   岩沢 克恵 『季のことば』  「母の日」を詠んだものであろう。アメリカ発祥の風習で、5月の第二日曜日を母親に感謝と愛を捧げる日として、母親が存命ならば赤いカーネーションを贈り、亡くなっていれば白いカーネーションを手向けるものとされている。日本には元々親子の間でこのような取って付けたような“儀式”は無かったのだが、暮らしの洋風化が考え方にも影響を及ぼしたのか、近ごろはごく自然に行われるようになっている。  この句は「仏壇のカーネーション」だから、もちろん作者の母親は仏様である。しかし、「語りかく」とすっと詠んでいるせいか、まるでそこに生身の母親がいるような感じがする。きっと、作者もそのような気分なのではないか。カーネーションを供えて、「今日はね、こんなことがあったのよ」と、昔帰宅後にいつもそうしていたような調子で語りかけている。そうするとお母さんは、「ふーん、そうなの。それは大変だったわねえ」とか、「でもうまくやったじゃないの」なんて答えてくれるのだ。(水)

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月見草陸軍伍長の墓の裏        大沢 反平

月見草陸軍伍長の墓の裏        大沢 反平 『合評会から』(酔吟会) てる夫 陸軍伍長に全部かぶせて、うまい作り方だと思います。月見草を見た記憶はないのですが、雰囲気はよく分かります。 正裕 戦死したのですね。伍長の位が月見草とよく合っています。 水牛 上等兵くらいだった兵士が死んで伍長に昇進したのでしょう。 詠悟 上等兵の上が兵長で、伍長はその上。軍曹の下の位だから、下士官の一番下になりますね。 睦子 実際の月見草を見たことはないのですが、華やかではなく、ひっそり咲いている、という印象を持っていました。陸軍伍長の墓に相応しいと思いました。 反平(作者) 我が家の近くに無住寺があります。そこで陸軍伍長の墓を見つけました。墓の裏に黄色い花が咲いていまして、それを月見草に見立てたわけです。               *            *  戦死して伍長に昇進、なんて・・・。待てど暮らせど息子は帰らず、英霊の母になったのだ、この母は。(恂)

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