引き揚げを生きて盤寿や春衣    田村 豊生

引き揚げを生きて盤寿や春衣    田村 豊生 『この一句』  「盤寿」は将棋盤の枡目「9×9=81」に由来し、八十一歳の祝を表す。前年の傘寿(八十歳)に続く祝だが、男性の平均寿命を超えているのだから、目出度さは年ごとに高まるはず。それに句の作者は引き揚の体験者であった。高齢に至っての一年一年に、より深い感慨を噛みしめているのだろう。  引き揚げとは戦前、中国大陸、朝鮮半島、樺太などにいた日本国民が、敗戦によって本土へ帰還するまでを意味する。引揚者が逃避の途中に受けた殺戮、暴行、さらに飢餓などの艱難は、数多の証言や手記類によって明らかである。国家が一般国民に及ぼした空前の罪、と言うべきだろう。  この句、「引き揚げ“後”を生きて」ではない。作者の記憶にはまず、引き揚げという巨大な塊が存在するのだ。その後に穏やかな一年、一年が積み重さなり、今日に至ったのである。年々に着替える春衣には特別な思いがあって然るべきだ。「昭和を生きた人、感懐の力作」という評があった。(恂)

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