ミャンマーや痩せた仔猫の擦り寄りぬ     井上 啓一

ミャンマーや痩せた仔猫の擦り寄りぬ     井上 啓一 『季のことば』  「猫の恋」は江戸時代、芭蕉らによって詠まれて以来、長らく人気季語の一角を占めてきた。ところが恋の結果に誕生する「猫の子(仔猫)」は敬遠されがちで、句会の兼題になることはめったにない。ならば、と番町喜楽会の兼題にしたところ、現代の猫世界を表すような句がたくさん登場した。  いま日本の都会では野良猫の生息できる環境は狭まる一方で、仔猫を見ようとすれば、ペットショップや各地の「猫の島」などに出かけていくようなことになる。糞害などによって衛生面でも問題が多く、野良猫に避妊・去勢手術をほどこす例もあり、子猫は町から姿を消していく運命にあるようだ。  この句はミャンマーの仔猫を詠んでいる。痩せた仔猫が観光客の足元にすり寄ってくるのだから、哀れな風景、と見ることもできよう。一方、日本では部屋に閉じ込められたまま恋の季節をやり過ごし、子供を作らずに一生を終える猫が多いようである。どちらの猫が幸福なのだろうか。(恂)

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日を忘れ月をも忘れ春霞         野田 冷峰

日を忘れ月をも忘れ春霞         野田 冷峰 『この一句』  高齢期に至ると、まず人の名を忘れる。往年の名優だと不思議に忘れないが、テレビに出てくる若いタレントなどは、名を思い出そうにも初めから覚えられないのだ。これが知人へ及んでくると、笑ってはいられない。会合に出る際は、事前に出席者の名と顔を一致させる頭の作業が必要となる。  人の名の次には日にちと曜日を忘れがちになる。今日は火曜日かな、と新聞の日付を見て、「あれ、水曜日なのか。句会の日だった」と慌てて支度を始めるたりする。スケジュールの決まった俗事から、すっぱりと身を引いてみたらどうだろう。中国の仙人のような心境で、悠々と暮らせそうな気がする。  「あれ、三月なのに句会の兼題は“行く春”だ」といぶかる。ところがカレンダーは何と四月だ。窓の外を見れば景色がぼんやりと霞んでいた。「春霞だなぁ」。頭の中も春霞なのだが、却ってそれを楽しんでいるようなところもある。句の作者も私も、仙人になりかけているのかも知れない。(恂)

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つちふるや駱駝色なる城下町       三好 六甫

つちふるや駱駝色なる城下町       三好 六甫 『季のことば』  春の季語「黄砂」は「黄沙」とも書き、「霾(つちふる、ばい)」「黄塵」「つちかぜ」「つちぐもり」などのほか、歳時記には「蒙古風」「胡沙」という傍題も並んでいる。「蒙古」「胡(外国・異民族の意味)」の語が示すように、中国における黄砂は、モンゴルや西域方面から飛来する土埃なのだ。  モンゴルの大草原の下は粉のような土の層であり、草が枯れ切った春先、風に舞い上げられた土が黄砂となる。それが中国大陸に舞い落ち、また舞い上がることを繰り返して日本にやってくる。中国もまた被害国なのだが、PM2・5など気味の悪い汚染物質を黄砂に混じり込ませ、日本への加害国となる。  西域やモンゴルで黄砂の降り積もる中、目をつぶり、うずくまる駱駝の姿を何度か見たことがある。あの黄塵が日本にまで飛んできて俳句の題材になる。上掲句は愛媛・松山城下の情景を詠んだものだという。それにしても「駱駝色」とは、何とも黄砂に相応しい色を見つけたものである。(恂)

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若草の顔出す土手を万歩計   井上庄一郎

若草の顔出す土手を万歩計   井上庄一郎 『この一句』  「お元気ですね」と言われると、満更でもない嬉しい気分になる。しかし、七〇代後半ともなると、身体のあちこちの衰えをはっきりと自覚させられる。ほんの少しの段差に空足を踏んでよろめいたり、若い頃ならなんなく除けられたものにぶつかったり、不意に後ろから声をかけられて振り向こうとした途端に首筋に痛みが走ったり・・傍は気付かぬちょっとしたことなのだが、本人にしてみれば「ああ情けない」と、落ち込むきっかけになる。  しかし、この句の作者のように八〇代後半ともなると、そういう悩める時期はとっくに通り越して「あるがまま」の心境になるようだ。喩えればヴィンテージカーを走らせている気分であろうか。急発進、急加速など乱暴な扱いをしなければまだまだ十分走れる。今どきの車のように機能一辺倒ではないだけに乗り心地は上々である。  ただ普段の手入れが肝心。今朝も馴染みの河原の土手を万歩計を付けて、いつものペースでいつもの距離を歩む。萌えだした若草が生気を与えてくれるようである。(水)

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春宵のどこかでジャズが響いてる   大下 綾子

春宵のどこかでジャズが響いてる   大下 綾子 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 ヨコハマを思い出しましたね。「どこかで」が効いています。スマートでおしゃれな句ですね。 水馬 やはりアメリカだなあ。サッチモですかね。 光迷 「響いてる」が最初はちょっと強すぎるかなと思いましたが、やはりこれがいいんだなと。新宿でもシカゴでも悪くはないんだろうが、やっぱりニューオーリーンズ。この町は歩いてるとまさにこうですね。 正裕 やはり春宵でないとだめですね。 冷峰 私は「どこかで」が素晴らしいなと思いました。春宵と来て、どこかでジャズが響いてる、素敵だなあと。        *     *     *  “若いオジイサン”たちが口を極めて褒めそやしているように、この句は確かに春宵の気分を遺憾なく発揮している。サッチモ(ルイ・アームストロング)のトランペットでビリー・ホリデイの唄う哀愁帯びたブルースが流れる。港町の夜は更けゆく。(水)

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囀りや合格の子の声明かし   前島 厳水

囀りや合格の子の声明かし   前島 厳水 『季のことば』  二月頃からゴールデンウイークあたりまで、小鳥たちが賑やかになる。時には騒々しいほどに鳴き交わす。鶯、メジロ、頬白、四十雀などが雌を引きつけようと懸命になっているのだ。野山に行けば雲雀をはじめあらゆる野鳥が囀っている。小鳥は一年中鳴いてはいるのだが、それはいわば日常会話で「地鳴き」と言い、地味で単調である。それに対して繁殖期の「囀り」は派手で明るく艶がある。  時あたかも人間界は年度の切り替えシーズン。大人は人事異動、子どもたちは受験という関門をくぐらねばならない。  どうやらこの句はお孫さんが「おじいちゃん、合格しましたよ」と声はずませて報告に来たところのようである。当人はもとより、親もオジイチャン・オバアチャンも大喜び。家中はちきれんばかりの賑やかさ。小鳥たちの囀りがそれに唱和しているようだ。「実は『合格』も季語なんですが」という異議申し立てなどかき消されてしまう。(水)

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土筆伸ぶ塩田平は粉糠雨   高井 百子

土筆伸ぶ塩田平は粉糠雨   高井 百子 『季のことば』  「土筆(つくし)」はのどかな春の田園を象徴する植物として古来親しまれてきた。河原、田畑、荒れ地、どこにでも生えて来る鮮やかな緑のスギナ(杉菜)というシダ植物があるが、ツクシはその胞子茎。スギナの芽生えは四月だが、ツクシはそれより早く三月からぴょこぴょこ生えて来る。  川の土手がようやく緑がかって来たなと思う頃、ツクシが出始める。大人も子どもも大喜びで摘む。長いこと日本の春の風物詩だったのに、都会周辺はコンクリート堤防や住宅地の密集で、土筆の生える余地が無くなってしまった。  しかし、信州の鎌倉と言われ、「日本の歩きたくなる道500選」に入る塩田平にはまだ盛んに生えている。年間降水量900ミリと日本有数の雨の少ない土地故に、至る所に潅漑用の溜め池があり、それがまた独特ののんびりした田園風景を作る。句会では「土筆と塩田平、そこへ降っているのかどうか分からないような小ぬか雨。この描写が、この里の雰囲気をよく表しています」(大虫)という評があった。確かにその通り、「土筆伸ぶ」と「粉糠雨」で塩田平へ行ったことのない人にものんびりした感じが伝わって来るだろう。(水)

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猫の子や指全開の初湯浴   谷川 水馬

猫の子や指全開の初湯浴   谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 赤ん坊を湯浴みさせると気持良さそうに足の指を思い切り広げます。子猫も同じなんでしょう。 六甫 指全開とはねえ、気持いいんでしょう。よく観察してる。 厳水 ペットショップで猫を洗っているのを見たことありますが、指全開はのんびりじゃなくて、怖いからのように思えました。 啓一 私も怖がっているんだと思う。 楓子 伸びする時なんか、足の指開いてますよ。気分いいんじゃない。 綾子 私は緊張してるからだと思いました。 大虫 多分怖いんですよ。指を全開して掴むものがないかと必死なんです。 而雲 気持がいいんで、だらーんとしてるとこかなと思いましたがね。       *     *     *  子猫が指を全開するのは「のんびりしてる」からか、「怖がっている」からか。作者によると怖わくて嫌がってのことだそうである。とにかく猫の入浴とはあまり聞いたことがない。奇妙奇天烈な句だが、注目度抜群。この日の句会で断然一番人気になった。(水)

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花すみれ残して墓の草を引く     田中 頼子

花すみれ残して墓の草を引く     田中 頼子 『合評会から』(日経俳句会) 水牛 優しい感じの句ですね。 ヲブラダ こんなさりげないところを、よく見ているなと・・・。 冷峰 墓の周りの草から、花すみれだけを残しておいたのですが、私は抜かれた草のことも考えましてね。それらの草の思いも酌んで選びました。 臣弘 亡くなった故人への思慕が感じられる。それがすみれを残すという形になっているのでしょう。故人への思い出は引き抜けない。うまいなあと思います。 水牛 すみれは残しておいてあげましょう、ということですな。 操 雑草を取り掃き清められた墓に、楚々として可憐なすみれの花。爽やかさが伝わってきます。                *           *  すみれは生命力の強い野草である。小さな庭にも、ブロック塀の下も、もちろん墓の周りにも自然に芽を出し、花を咲かせる。春になると供華のない墓の周りにもすみれが咲き、故人を慰めてくれる。(恂)

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消しゴムの転がり消ゆる春の闇       大熊 万歩

消しゴムの転がり消ゆる春の闇       大熊 万歩 『この一句』  転がった消しゴムはどうしてあんなに簡単に行方不明になってしまうのか。長四角で、弾力があって、角が丸くなったりしているので、不規則に跳ねて行くからかも知れない。見つからなければ思考が中断する。いらいらしながら消しゴム付きの鉛筆を探し出し、誤字を直したことが何度もあった。  友人から「消えるゲルインキ」のボールペンを頂戴した。試してみたらよく消える。これは便利だ、と喜んだが、実際に使うことはほとんどないことに気づいた。今では原稿はすべてパソコン書きになっていて、簡単なメモ以外に手書きで字を書く機会はほとんど無くなっていたのだ。  この句を見ているうちに、ふと思いが浮かんだ。失せた消しゴムは一体、どこへ転がって行ったのだろう。見つけて拾い上げた記憶はないし、アレを使い切ったことはあり得ない。もしかしたら消しゴムがまだあるのかも知れない、と机の下を覗いて見たが、春の闇が広がるばかりであった。(恂)

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