引き揚げを生きて盤寿や春衣    田村 豊生

引き揚げを生きて盤寿や春衣    田村 豊生 『この一句』  「盤寿」は将棋盤の枡目「9×9=81」に由来し、八十一歳の祝を表す。前年の傘寿(八十歳)に続く祝だが、男性の平均寿命を超えているのだから、目出度さは年ごとに高まるはず。それに句の作者は引き揚の体験者であった。高齢に至っての一年一年に、より深い感慨を噛みしめているのだろう。  引き揚げとは戦前、中国大陸、朝鮮半島、樺太などにいた日本国民が、敗戦によって本土へ帰還するまでを意味する。引揚者が逃避の途中に受けた殺戮、暴行、さらに飢餓などの艱難は、数多の証言や手記類によって明らかである。国家が一般国民に及ぼした空前の罪、と言うべきだろう。  この句、「引き揚げ“後”を生きて」ではない。作者の記憶にはまず、引き揚げという巨大な塊が存在するのだ。その後に穏やかな一年、一年が積み重さなり、今日に至ったのである。年々に着替える春衣には特別な思いがあって然るべきだ。「昭和を生きた人、感懐の力作」という評があった。(恂)

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鳥帰る学校の上雲の下      植村 博明

鳥帰る学校の上雲の下      植村 博明 『この一句』  「空間」のイメージを、これほどはっきりと表現した句は珍しい。学校の上、つまり校舎の上に空間が広がっている。そして雲の下である。もし上空が晴れていたら、空間は限りなく広がるが、雲の存在が範囲をきっちり定めた。北を目指す渡り鳥の群が、その間を飛んで行くのだ。  学校は小学校か中学校だと思う。しかしその上空を眺めているのは生徒ではなく、定年を過ぎた、すなわち私のような高齢の俳句愛好者ではないだろうか。若い頃だとしみじみと空を眺めるようなことはなかったのに、いまは昔の木造校舎を思い出しながら、母校の上を行く鳥を見つめている。  鳥の群れは次第に小さくなり、目を凝らしても確認できなくなった。見つけて視界から消えるまで僅か一分足らずだ。鳥たちはすでに雲に入ったのだろうか。半世紀以上も前の校舎は消え、眼前には立派なコンクリート造り三階建ての校舎が見えるばかりである。不意に「時空」という語が浮かんできた。(恂)

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跳ね橋の高く開きて鳥帰る   大熊万歩

跳ね橋の高く開きて鳥帰る       大熊万歩 『合評会から』(日経俳句会) ヲブラダ あまりに美し過ぎる、絵のような句だ。 正市 構図の良さにつきる。 昌魚 目をつぶると絵のような風景が浮かぶ。鳥が飛んでいくきれいな景です。 定利 跳ね橋をどうとるかによって景が変わる。城にもあるし、勝鬨橋などもある。 反平 現実的にはほとんど見られない光景だ。これは思い出の句でしょうね。 恂之介 私はオランダの跳ね橋を思い浮かべた。短い橋でも、揚がった時は見上げる高さですよ。 十三妹 私もオランダの風景を思いました。跳ね橋の上を渡り鳥が…いい景色ですね。 てる夫 跳ね橋の名画が多いので、票を集めたのかな。             *             *  オランダは川や運河の水面と陸地が間近なので、水陸の交通に跳ね橋が欠かせない。普通の道路でも跳ね橋がしばしば立ち上がり、橋揚げのおじさんが手を伸ばして、小船から通行料を貰っていたりする。(恂)

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高尾山スカイツリーの遠霞   堤 てる夫

高尾山スカイツリーの遠霞   堤 てる夫 『この一句』  日経俳句会春の恒例行事「村田英尾先生のお墓参りと桜吟行」。八王子霊園に眠る日経俳句会創設者英尾先生を訪ねた後、近くの森林科学園桜保存林の花を愛でる。公式行事を終えて、一行中の“帰りたくない”四人組が高尾山に足を伸ばした。  草臥れた足をなだめすかして出かけた甲斐があった。お山は花真っ盛り、急斜面にはシャクナゲや山ツツジが満開だった。人気急上昇の高尾山だけに、肌の色さまざまな人達が入り混じり、外国語が賑やかに飛び交う。3時過ぎという中途半端な時間なのにケーブルカーは満員。山頂展望台の望遠鏡にも人だかり。誰かが「スカイツリーが見える」と言う。  とにかく北東から南の方向は遮るものが無く、素晴らしい眺めだ。新宿副都心が空中楼閣のように漂い、そのずっと先にスカイツリーがある。衰えた目で懸命に見つめると、マッチ棒のような物が霞を透かして浮かび上がる。果たしてあれがそうなのか定かではないが、勝手にそうだと思い込む。なんとものんびりした雰囲気である。(水)

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朝まだき手水鉢にも花筏   星川 佳子

朝まだき手水鉢にも花筏   星川 佳子 『この一句』  この桜の花びらは一体どこから飛んで来るのだろう。見回しても花の木は無いのに、朝まだき、縁側に立つと手水鉢に一杯浮かんで花筏を作っている。一抱えに足りないほどの手水鉢の中だから、花筏と洒落て言ってはみたものの、可愛らしい小人の花筏だ。昇り始めた春のお日様が燦々と輝く。何とも言えない、満ち足りた、気持の良さだ。  「今どき手水鉢(ちょうずばち)のある庭付きの家に住んでいるんですかねえ」という評もあったが、自宅と限らなくてもいいだろう。旅の宿の朝かも知れないし、早朝散歩のお寺の境内でもいい。  俳句界には「大景」のみを良しとする、何とかの一つ覚えと言いたくなるような、勘違い人が目につく。そんな人には、こういう句をじっくり玩味することを勧めたい。別にどうということも無い、ただ見たままを述べたに過ぎない「小さな句」なのに、この一点景から読者は自由にいろいろな想念を広げて行ける。小さな手水鉢の中にだって大千世界が盛り込める。(水)

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人混みに独りと思ふ花の下   吉野 光久

人混みに独りと思ふ花の下   吉野 光久 『合評会から』(双牛舎俳句大会) 啓明 群衆の中の孤独、というのはありきたりの内容だと思いましたが、鮮やかに句に仕立て上げた語り口に脱帽しました。言えそうで言えない表現です。 厳水 花見の人混みの中の孤独感を通じて現代人の孤独をも表現している。 正 花見客には団体で来て騒ぐのが多い。独りで静かに桜を鑑賞したいと思っている作者の心境は孤独感そのものである。 操 雑踏のなかの孤独、よく言われることですが、桜の下で感じる「独り」は、より孤独で重いです。           *     *     *  第六回双牛舎俳句大会でたくさんの票を集め「地」賞を射止めた。「類句あり」という声もあったのだが、あらためてじっくり反芻してみると、やはりこの句は多くの人が花の下で抱く想いを言い当てている。誰もが感じることをこうしてそのまま詠む。よしんばそれが、先人の詠んだものと似通っていようと、それはもう問題ではない。百千の画家が富士山を描くのと同じである。(水)

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限界村まぼろしのごと紫雲英咲く   鈴木 好夫

限界村まぼろしのごと紫雲英咲く   鈴木 好夫 『合評会から』(日経俳句会) 大虫 限界集落というのは、人口減で寂れてしまって、住めるかどうか分からない限界の集落を言うが、そこに明るいれんげが咲いている。「まぼろし」という言葉が印象的です。 悌志郎 年寄りばかりの村なんですね。 操 かつて大勢の人々の営みがあった村落、「まぼろしのごと…」のフレーズに哀しさを感じます。 頼子 もうほとんど人がいなくなって、れんげ草を敷き込んでの農作業もできなくなっているんでしょう。           *     *     *  高齢者ばかりで自動車の運転もままならなくなっている。村と鉄道駅のある町を結んでいたバスも乗客減で廃線になってしまった。耕されなくなった田畑に、野生化した紫雲英が叢立ち咲き誇っている。桃源郷と言えば聞こえはいいが、実体は姥捨山の様相を帯びる。そんな村の一角に紅紫の炎が立ち上がり、そこだけが奇妙に明るい。白昼夢のようだ。(水)

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口紅を控へ目にして花衣   高橋 楓子

口紅を控へ目にして花衣   高橋 楓子 『季のことば』  四月十九日に行われたNPO法人双牛舎第六回俳句大会で見事「天」に輝いた句である。なるほどなあと唸り、女でなくちゃ詠めない句だなあと思う。  「花衣(はなごろも)」とは花見に出かける時に女性が着る華やかな衣装を言うのだが、そもそもは平安時代の宮廷女性の十二単を構成する袿(うちき・うちぎ)から出ている。袿は非常に薄い絹布の袷で、色の異なる表地と裏地を重ねた。色の組合わせである「襲の色目(かさねのいろめ)」の一つに表が白、裏が蘇芳(すおう=濃い紅色)の「桜襲(さくらがさね)」というのがあり、その袿を花衣と言った。恐らく裏地の紅色が白の表地を透かしてほんのり桜色に見えるのだろう、春の装いの定番となり、そこから花見の宴などに着る着物を「花衣」と呼ぶようになり、時代が下って元禄時代になると派手な柄の花見衣装全般を指すようになった。  今では「花衣」は花時の女性のお洒落着を幅広く指すようになり、晩春の気分をうたう季語としてよく用いられる。この句などもそうだ。それにしても、口紅を控えめにしてとは心憎い。男どもの心をしっかりと掴んだ。(水)

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げんげ田は疎開の村の涙道        大澤 水牛

げんげ田は疎開の村の涙道        大澤 水牛 『合評会から』(日経俳句会) 博明 疎開先でいじめられて、涙道ですか。 啓明 紫雲英(げんげ)田は子供の頃の遊び場だったが、こういう思いをした人もいるのですね。 庄一郎 疎開の思い出ですね。「涙道」がうまい。 智宥 しかし「涙道」は演歌調ですよ。採るのは止めようかと思ったけれど、まあ、しかし・・・。 臣弘 いじめられての帰り道。私も演歌調の涙道に迷ったが、自分の思い出とも重なっていますし。 てる夫 戦時中の疎開か、いや、福島県で放射能によって退去した人のことか、などと思いましたが。 反平 私は引き揚げて来てから、田舎の村に住みましてね。紫雲英がよく咲いていて忘れられない。 昌魚 うちの家内は昭和九年生まれで、「この通りだったわ」と言っていました。 水牛(作者) そうですか、くれぐれも奥さんによろしく(笑)。私は千葉に疎開して、毎日泣かされましたよ。                *           *  作者は締切の直前、一気に五句作る早業で、高点句を揃えた。ゆっくり考えたら「涙道」としたかどうか。(恂)

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野良猫の仔猫咥へる塀の上        徳永 正裕

野良猫の仔猫咥へる塀の上        徳永 正裕 『この一句』  かつて東京の町中にも野良猫がたくさんいた。家の床下などに栖(すみか)を作り、何匹も産んで家の人を困らせた。仔猫一匹くらいなら家で飼うこともあるが、多くは処置に困って捨ててしまう。野原に置いてきたり、川に流したりした。親が捨てに行くのを、子供たちが泣いて見送ることもあった。  仔猫がいなくなると、母猫は半狂乱になり、あちこち走りまわる。この句は、自分で外に出て迷ってしまった仔猫を、母猫が連れ戻す場面かもしれない。しかし私は人間が捨てた仔猫と親猫だと想像してしまう。昭和の二、三十年代に毎年、このような“猫の悲劇”を見ていたからだろう。  ともかくこの場面は、母猫が仔猫を探し当てて戻ったところである。人間の親や子供たちが塀の上の親子猫を見上げている。親猫は怯えているに違いない。しかし人間の子供には毅然たる態度に見えた。「飼っちゃだめ?」と子供が母親に聞く。母親は泣きそうな表情で猫の親子を見つめている。(恂)

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