耕して温き大地と語りけり     大倉悌志郎

耕して温き大地と語りけり     大倉悌志郎 『季のことば』  歳時記は時代遅れ、と思わざるを得ない。「耕」とだけ書いて「たがやし」と読める人がどれだけいるだろうか。「耕馬」「耕牛」があって、「耕耘機」(耕運機)のない歳時記がかなりある。さほど古くない歳時記に「春の野良で鋤鍬をふるい、牛や馬に犂(すき)をひかせて…」という表現も残っていた。  「耕」を季語とした場合、かつては農耕の様子を遠くから眺め、その風景を詠むのが、句作りの常道であった。しかしそんな状況はめっきり減っているし、土地を耕す句では、家庭菜園や花壇が主役になっている。鍬やシャベルで土を耕す労働は、すでに一般人の手に移っているのではないだろうか。  「温き大地と語る」。いい表現だな、と思う。春に土を耕すとは、このようなことなのだろう。全力を尽くし、広大な農地を耕していくのであれば、土と親しむ以前に、土と格闘する意識が先行するのではないか。狭い土地を丁寧に耕すという、人間と土地の新しい関係が生まれてきたよう思われる。(恂)

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菜の花を茹でたる水の青さかな   星川 佳子

菜の花を茹でたる水の青さかな   星川 佳子 『季のことば』  菜の花は晩春の季語で俳諧の時代から読み継がれてきて名句が多い。だがそれ等はほとんどが菜の花畑の景色や、咲いている菜の花を取り合わせた叙情句である。ところがこの句は「食べる菜の花」を詠んでいる。菜花は昔から食べられてはいたが、あまり一般的ではなかった。今ではビニールハウスで栽培、早春から大量に出荷されてスーパーやコンビニにも出回るようになった。鑑賞用の菜の花も出荷時期はどんどん早まり、二月初めから出回る。今や菜の花は晩春ではなく「三春の季語」とした方がいいようだ。  「お浸し」にせよ辛子和えなどの「和えもの」にせよ、菜の花は花の黄色と葉の青さが命である。のんびり茹でたりしたら色は吹っ飛んでしまう。さっと茹で上げたらすぐさま冷水に取る。そうすると鮮やかな色が際立ち、食膳に供した時にいかにも「春の一品」という感じがする。  この句は対象を実によく捉え、表現している。菜の花は茹でると水が蒼くなるほど色が出る。それを冷水に放つとぱっと緑が浮かぶ。作者はその時、「春だな」と感じたのだ。(水)

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目刺焼く遠き昭和の夕支度   久保田 操

目刺焼く遠き昭和の夕支度   久保田 操 『この一句』  「目刺は路地裏なんかで七輪で焼いて食べるという情景がぴったりする。これは昭和前半生まれの人でないと分からないかもしれないが」(涸魚)、「昭和の夕支度というのが気にいった。『平成の夕支度』ではだめだろう。平成でも大正でもない遠き昭和がいい」(冷峰)。こんな評が次々に出て句会酔吟会は大いに盛り上がった。  この句が導火線になって時代論に発展した。「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」が引き合いに出され、「それにしても昭和は『遠き』なんですかね」「つい昨日のことのように思えるが」「そりゃ遠くなってますよ。昭和が終わってもう四半世紀以上たつんですから」。確かにそうだ。草田男の「明治は遠く・・」が載った句集が出たのは昭和11年だから、この句は昭和11年以前に詠まれたものだ。明治が終わって20年ちょっとの時期である。  今や目刺は洒落たキッチンの煙の出ない魚焼器で焼かれている。七輪で団扇バタバタの昭和時代はもうセピア色に霞みかかっている。(水)

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春耕や土塊固し息白し   岡田 臣弘

春耕や土塊固し息白し   岡田 臣弘 『この一句』  吐く息が白く見える二月三月、田や畑を深く耕す。これが「耕」(春耕)である。掘り起こした土塊(つちくれ)が深夜早朝の霜や寒気に当たってほぐれ、新鮮な空気をたっぷり吸い込んで生き返る。それと同時に土中に潜んでいた病害虫が死ぬ。この耕しと草取りが農事の基本と言ってもいい重要な作業。しかしどちらも重労働。今では耕耘機があり、除草剤があるから、プロの農家は大分楽になったが、ジイちゃんバアちゃんの小規模農家や家庭菜園レベルでは相変わらず鍬やシャベルが頼りである。  若者にだってきついのに、高齢者にはことに堪える仕事だ。ひと畝耕すと鍬やシャベルの柄にすがって、大きく肩で息をする。畑の土質にもよるが、作物が根を張って、実り、枯れて、そのまま固く締まった土はかなり頑固で、掘り返すのに力が要る。「土塊固し息白し」の言い回しが、そうした苦労の場面をありありと描き出している。(水)

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風光る歩幅も広く手を振りて   高橋ヲブラダ

風光る歩幅も広く手を振りて   高橋ヲブラダ 『この一句』  晴れ晴れとした感じの、気分の良い句である。まだ外気は冷たく、東京でも最低気温が1度とか3度とかいう真冬並みの寒さだが、陽の光りはもうすっかり春の明るさを示している。  これは朝のウオーキング風景であろうか。引き締まるような感じの中で、眩しい朝日を浴びて力強く大股の一歩を踏み出す。もちろん両腕を前後に大きく振って。あるいは普段の朝の出勤風景ととってもいい。ほぼ決まった時間に玄関を出る、何の変テツもない毎朝の風景なのだが、晴れ上がった日にふと感じる、ことの外新鮮な気分がこうしたつぶやきとなり、句に仕上がったという風にも思える。  句会でこの句を見た時には、何だか朝のラジオ体操の「あーたーらしいあーさがきた、きぼーのあさだ・・・」というテーマソングみたいな、NHK的気分がして取り損なってしまった。しかし、改めてじっくり読むと、これは素直に無邪気に風光る朝の気分を詠んだ句であることが分かる。今では「取っておけば良かったな」と反省している。(水)

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病躯ゆるされて春野に歩きだす   吉野 光久

病躯ゆるされて春野に歩きだす   吉野 光久 『合評会から』(酔吟会) 正裕 「春野に歩きだす」というのがとてもいい。晴れ晴れした感じです。 恂之介 いきなり「病躯ゆるされて」としたところがなかなかいいなと思います。 正風 外へ出ていいよと(医師に)言われたんでしょう。勢いよく元気な感じ、喜びが伝わってきて、とてもいい句ですね。 反平 私もやはりこの「歩きだす」がいいと思いました。ただ歩いたんじゃない、喜んで、第一歩を踏み出したんだ。この気分がいいですね。           *     *     *  作者はガンで入退院を繰り返す生活をかなり長い間強いられてきたのだが、このところぐんと快方に向かい、一年以上休んでいた句会にも出られるようになって、句友たちの歓声に迎えられた。「医師の話だと私の場合は完治は無いということで、いかにうまく付き合っていくかなのだそうです」と、どきっとするような事を明るく、さりげなく語る。確かに、こういう句が詠めるということは、病との折り合いをつけることの出来た証拠であろう。(水)

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春眠やろくろの芯も狂ひがち    大澤 水牛

春眠やろくろの芯も狂ひがち    大澤 水牛 『合評会から』(番町喜楽会) 水馬 手回しの轆轤(ろくろ)ですか。うまいし、ユーモアがある。普通、句の中に「も」があると私は採らないことにしていますが、この場合は、作者も芯を外しているし・・・。 光迷 手回しではなく、電動でしょう。私にも覚えあるが。一定のリズムだから、眠くなる。 春陽子 この光景、目に浮かんできますね。さもありなん、という納得感がある。 厳水 上手な句だなと感心した。こういうことがあるんだ、と想像できます。 佳子 同じ速度で、ぐるぐる廻るから、眠りを誘われるのですね。 而雲 「芯も狂いがち」は非常に感心したが、仕事中の眠気は春眠とちょっと違うような気がする。 水牛(水牛) 「春眠や」で切って春眠の季節、という意味にしたつもりだが。この季語は「春眠暁を覚えず」のイメージが強すぎますね。別の季語にした方がよかったかな。             *            *  「春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ…」(夏目漱石「草枕」)。「春眠」の中に「春は眠くなる」の意味を加えてもよさそうにも思うがが、歳時記を調べると…、なかなか頑固ですね。(恂)

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女房の買い物待つや春眠し     谷川 水馬

女房の買い物待つや春眠し     谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 誰もが経験していることでしょう。嬉しくてついて行く、という時代があったかも知れないが、少し年取ると、もう行かなくなります。 てる夫 買い物付き合うと、不思議に眠くなる。 白山 ただ待っているだけ、というのはいやですね。この句、普通の詠み方だが、私も被害者だから・・・。 水牛 ウチなんか、あくびすると怒るんだから。(笑) 百子 スーパーのベンチでうたた寝をしているご老人をよく見ます。やさしい旦那様なんでよ。 水馬(作者) デパートの実景でして、私の実感でもあるんです。 六甫 待つ間も眠い。(欠席選句のコメント) 誰か数人 えっ、それだけ? 山頭火のようだな。             *           *  あれを買うかな、だめだ買わない。また別のを…。もう見るまい、と決めると、あくびが出て怒られる。(恂)

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人生の放課後にゐて日向ぼこ    玉田春陽子

人生の放課後にゐて日向ぼこ    玉田春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 思い当たりますね、私も。自宅近くの公園に行きますと、沼の周りにベンチがありまして、とても日当たりがいい。お年寄りが何人もうとうとされています。この句の通りの風景です。 啓一 「人生の放課後」という措辞がすばらしい。 斗詩子 そうですね。この言葉、大好きです。 光迷 社会保障費の70%が年寄りのために使われ、子供には3~4%だけ。こういう現実を見ると・・・・・・年寄りにとって実にいい時代だ、と思わざるを得ない。(「そう来るのか(笑)」の声も」 而雲 中学や高校の頃、放課後ほどいい時間はなかった。 水牛 厳しい句だが、肯定する面も含まれているんだ。               *          *  「老人がベンチで日向ぼこ」では平凡である。「人生の放課後にゐて」で、ぐんと面白みが増す。コメントの中の「措辞」とは、言葉の使い方のこと。俳句における措辞の重要性を思う。(恂)

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白鷺の下り立つ河原冴え返る    前島 厳水

白鷺の下り立つ河原冴え返る    前島厳水 『季のことば』  春先の河原はおおよそ寒々としている。緑色はまだ少なく、ススキやオギなどが枯色の大群落をつくり、大小の石に届く日差しも弱々しい。そこに白鷺が下り立ったのだ。「冴え返る」状況を頭に描くと、夜の情景が浮かびがちだが、この句を見て、昼の方がむしろ身に迫ってくる、と感じた。  「白鷺」は夏の季語である。初夏に巣を作り、繁殖するから、ということらしいが、もちろん一年中、そこいらを飛んでいるし、田畑や水辺に降りてくる。この時期、粛条とした河原に下り立てば、これぞ「冴え返る」に相応しい風景となる。季重なりだ、ととがめる人がいるかも知れないが・・・。  この句について、「鷺が飛び立つ方がいい」というコメントがあった。白鷺が河原から失せた後に「冴え返る」のではないか、ということだ。頷ける意見だが、これも白鷺がいたからこそである。白鷺を雀、鳩、鴉のような「無季」の鳥にしたらどうか。白い点景として、もっと気軽に使いたいのである。(恂)

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