山降りて初めての家福寿草      井上庄一郎

山降りて初めての家福寿草      井上庄一郎 『この一句』  冬場の里山歩きなのだろう。朝から登山者に一人も会っていないのは、わざわざそのような山を選んだからである。独り歩きの寂しさや孤独感を味わいたいという思いが心の底にあったのかも知れない。しかし頂上をへて下りになり、人里に近づいてくると、やはり心安らぐものがある。一軒の家があった。山を下り始めてから初めての家であった。  庭に福寿草を見つけた。このあたりの山で、野生種を見た記憶もあるが、いくらか寂しげに咲いていた。それに比べると、この家の花はみごとで、園芸種らしい。立ち止まり、垣根越しに眺めた。福寿草は庭の一番日当たりのよさそうな辺りに場所を占めていた。ここの家の家族は福寿草とともに正月を迎えたようだ。ああ、ここからが人の住む区域なのだ、と思い至る。  人はなぜ山に登るのか。なぜなら山を下ると人里があるからではないだろうか。(恂)

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