霜柱子等の宝石溶けやすし   山口斗詩子

霜柱子等の宝石溶けやすし   山口 斗詩子 『季のことば』  近ごろ東京ではさっぱり霜柱が立つのを見かけなくなった、と思っていたら、この冬は都心部でもしばしば見かけた。街路樹の根方にほんの小さくのぞいている土に立っているのだ。郊外の住宅地などでは二月に入ってからも盛んに見受けられる。  もちろん「霜柱」は冬の季語だが、関東近県では立春以後に厳しい寒さが襲って来ることがあり、今年などはその典型のようだ。目の前にあるのに、もう季節違いだから詠めない、「詠むのなら春の霜柱としなさい」などと言うのは歳時記を墨守する朴念仁。季節の変わり目にはこうしたことがしばしば起こる。気にせずどんどん詠んだ方がいい。  霜柱は本当に美しい。これほどきれいに氷の柱が地中から生えて来るなんて、と子供たちは大喜び。ガキ大将が靴の汚れるのも構わずにがさがさ踏み崩しているのも嬉しさの故である。そして、お日様が照って来ると、子等の宝石はたちまち溶けて消えてしまう。自然の不思議さはかなさを子どもたちはしっかりと受け止めている。(水)

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水洟の子等追ひかけて保育ママ   高橋 楓子

水洟の子等追ひかけて保育ママ   高橋 楓子 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 よく見る光景。お母さんや保育園のお姉さんの手を振り切って駆け回る。男の子たちは水っ洟。それが目に浮かんできます。 厳水 私の住んでいる回りにも保育所がたくさんありまして、保育ママたちが子どもを車に乗せたり、引き連れて、公園に出かける。その風景だなあと。           *     *     *  女性の社会進出に伴って問題になって来たのが保育施設の不備。圧倒的に足りないのだ。それを補うために、「昼間里親制度」とか「家庭的保育事業者」とか地方公共団体によっていろいろな名前が付けられているが、要するに保育士や看護師の資格が無い普通のお母さんでも、保育の場として使える部屋があれば居宅で保育事業が認可される制度が出来て、これがいま大流行だ。  作者は言う。「だけどちっちゃいの引き連れて散歩させなきゃいけないでしょ、それが大変なの。ひどいのは台車なんかに何人も詰め込んで公園まで引っ張って行くのよ。言うこと聞かずに遠くに駆けだして行っちゃう子もいるし」。確かに大変でしょうなあ。(水)

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綾瀬川よどむ川辺に水仙花   村田 佳代

綾瀬川よどむ川辺に水仙花   村田 佳代 『この一句』  これも「逆回り奥の細道吟行」の草加松原での一句。「大小のゴミがよどむ川の岸にそろそろ終わりかけの水仙が咲いていました。曇り空や汚れた川との対比で、春の色合いがあって、健気なようであり、心が和むような優しさを感じます」(睦子)という句評がすべてを語っている。  綾場タ川。埼玉県桶川市の田園地帯を源に、蓮田、上尾、越谷、草加を通って東京都足立区に入り、葛飾区東四つ木で中川に合流する全長49kmの一級河川。江戸時代から昭和の初めまでは農業用水や舟運に利用され、重要な役割を果たしていた。高度成長期になると宅地開発が進んで生活排水が流れ込み、続々と進出した工場の排水も垂れ流しで、起伏に乏しい平野の川だけにたちまち水質が悪化、2010年には「日本一汚い川」の栄冠に輝いた。  遅まきながら水質浄化運動が始まり、改善の兆しが現れているというが、我々が散策した日にも相変わらず川面にはゴミが浮き、水はどす黒く冴えなかった。岸辺の野水仙が清楚な花を咲かせているのがせめてもの慰めであった。それを目ざとく句にしたのがなんと言ってもお手柄であろう。(水)

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灸もせで歩数伸びたり冬うらら   高瀬 大虫

灸もせで歩数伸びたり冬うらら   高瀬 大虫 『季のことば』  冬なのに穏やかな日和で、空は晴れて暖かい。まるで麗らかな春の日を先取りしたようだ、という喜びを表す季語が「冬うらら」。少し気取って「冬麗(とうれい)」とも言う。  この句は芭蕉と曾良の歩いた奥の細道を逆に回ってみようという「逆回り奥の細道」の仕上げの旅として、一月末、草加松原から千住、深川を巡り歩いた時に生まれた。もちろん途中は電車に乗ったから、それほど歩いた感じはしなかったのだが、夕刻、打上げ会場に腰を据えて万歩計を見たら二万一千歩になっていた。割に暖かい日であったとは言え、大寒の一日を落伍者も無く、よく歩き通した。「灸もせで」というのが古めかしくて面白い。  ところでこの句、そんな楽屋話は知らなくても、ごく一般的な冬麗の日のハイキングの句としても十分成立する。老夫婦が思い立ってのウオーキング、意外にスムーズに歩き終えての憩いのひととき。そんな場面も描ける。むしろ、そんな風にとった方がいい句のように思える。(水)

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逆回り翁ふり向く寒の松   大平 睦子

逆回り翁ふり向く寒の松   大平 睦子 『合評会から』(逆回り奥の細道吟行) 啓明 草加松原の振り返る芭蕉翁がキュートでした。 臣弘 逆回り、翁振り向くに、寒の松の取り合わせ。良く出来ています。 昌魚 「逆回り」と「振り向く」が上手く響き合いますね。 正裕 江戸に未練を残したか、あるいは後れる曾良を待つかのような芭蕉の像が印象的でした。そこに「寒の松」を持ってきて平明に詠んでいます。 佳子 私達が逆回りしたのと同じ方向を芭蕉も見ていたんですね。           *     *     *  日経俳句会の五年がかりのイベント「逆回り奥の細道」の最終回は大寒の真っ最中、草加松原の旧日光街道松並木、千住大橋と深川を歩いた。この句は草加札場河岸公園の芭蕉像を詠んだもの。芭蕉が先刻知人友人弟子たちに別れを告げた千住の方を振り返っている面白い像である。私たちの「逆回り」と一脈相通じるものが感じられた。(水)

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旅終えてまた旅の計寒椿         杉山 智宥

旅終えてまた旅の計寒椿         杉山 智宥 『合評会から』(日経俳句会吟行) 水馬 芭蕉と同じく、また旅を思い、計画を立てているのですね。ユーモアも感じられます。 春陽子 旅の打ち上げの最中に次ぎの旅を考える。人生はこうでなくっちゃ。 正市 下五の季語(寒椿)に代替案があるかもしれない。上五中七が、われわれのグループにふさわしい。          *            *  「奥の細道」は「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(く)秋ぞ」の一句で終わっている。蛤の蓋と身が分かれるように、私(芭蕉)はこれからすぐ、あなたたち(出迎えの人)と別れ、伊勢の二見が浦へ旅発つ、という思いを掛け言葉で表した。旅に生きる芭蕉の心意気である。  「逆回り奥の細道吟行」一行は、芭蕉の出発点・深川を旅の最終地点として、打ち上げの盃を交わした。席上、「次はどこへ」の声もあったが、この句には現代の高齢者を思わせる雰囲気もある。旅好きの作者は帰宅後、奥さんに黙って次の旅の計画を練っていたのかも知れない。(恂)

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寒吟行群れを率ゐる赤リュック     高石 昌魚

寒吟行群れを率ゐる赤リュック     高石 昌魚 『合評会』(日経俳句会吟行) 臣弘 いましたね、赤リュックの人が。情景描写がうまい。 水馬 赤色が見えてきます。動きのあるいい句だと思いました。 春陽子 赤いリュックに続いて行くグループの動きまでを想像させます。 てる夫 リーダーの水牛さんはこの「逆回り奥の細道吟行」の第一回(大垣)の時も赤リュックだった。赤に始まり、赤で仕舞う。なにやらおめでたい。 正市 長期シリーズ吟行の終幕を印象付ける描写です。           *             *  日経俳句会主催の「逆回り奥の細道」の旅は足掛け五年、この一月末の草加-深川でめでたく終了した。吟行句はとかく内向きになりがちで、仲間内にしか通用しない句が作られがちだ。「座の文芸」だと割り切れば、それも悪くないのだが、「みんなの俳句」に載せるとなると、やはり「外向き」が第一条件にならざるをえない。吟行句について、ちょっと問題提起したつもりである。(恂)

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おのれ恃む香りを秘めて凍てし菊      吉野光久

おのれ恃む香りを秘めて凍てし菊      吉野光久  「恃む」は読みも意味も「頼む」と同じで、「憑む」とも書く。「おい、頼んだよ」などと肩を叩いたりするが、改めて調べてみたら、気軽に使ってはいけないような言葉だった。広辞苑の第一義に「手を合わせて祈る意からか、自分を相手にゆだねて願う意」とある。「相手にすがる」という意味もあるという。  「おのれを恃む」。自分しか恃むものがない、ということである。高齢者の一人として、全くその通り、と頷かざるをえない。かつては親や会社の上司、頼りになる同僚もいた。しかしそういう人とは次第に縁が遠くなっていく。社内検診がなくなり、自分の体は自分の責任で管理することになる。  句の「凍てし菊」は「寒菊」とは違うようだ。歳時記によれば、「枯菊」の傍題にある「凍菊(いてぎく)」のことだろう。同じ傍題に「枯残る菊」もある。枯れて、凍てて、なお花を残す菊に顔を寄せれば、香りを放っているのだ。「おのれを恃む香り」と表現したセンスに感心し、粛然となった。(恂)

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ユーモアのメール遺して冬の風      岩沢 克恵

ユーモアのメール遺して冬の風      岩沢 克恵 『この一句』  ひょっとしたらユーモアたっぷりの言葉を「では、さようなら」で結ぶような、お別れのメールが来たのか、と思ったが、そうではなかった。八十六歳、作者より数十年は年上の「メル友」(男性)が亡くなられたのだ。作者はこの人を「師」と尊称するが、師は作者を「おねえちゃま」と呼んでいた。  「信天翁(あほうどり)」と号していたというだけでお人柄が、おおよそ分かる。単身、ニューギニア、ソロモン群島を探索し、戦没者慰霊の行脚を続けていた。国際人材育成事業にも携わっていた。作者によれば、日本人の「おもてなし」の心を、身をもって体現された方だったという。  いいお付き合いだったのだな、と思う。それを可能にさせたのがメールではないだろうか。手紙はもちろん電話でも、気軽なやり取りはなかなか難しい。ネット時代の到来によって、師と女弟子とのユーモアにあふれた交遊が成立していた。その師が冬の風とともに去って行ったのである。(恂)

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山降りて初めての家福寿草      井上庄一郎

山降りて初めての家福寿草      井上庄一郎 『この一句』  冬場の里山歩きなのだろう。朝から登山者に一人も会っていないのは、わざわざそのような山を選んだからである。独り歩きの寂しさや孤独感を味わいたいという思いが心の底にあったのかも知れない。しかし頂上をへて下りになり、人里に近づいてくると、やはり心安らぐものがある。一軒の家があった。山を下り始めてから初めての家であった。  庭に福寿草を見つけた。このあたりの山で、野生種を見た記憶もあるが、いくらか寂しげに咲いていた。それに比べると、この家の花はみごとで、園芸種らしい。立ち止まり、垣根越しに眺めた。福寿草は庭の一番日当たりのよさそうな辺りに場所を占めていた。ここの家の家族は福寿草とともに正月を迎えたようだ。ああ、ここからが人の住む区域なのだ、と思い至る。  人はなぜ山に登るのか。なぜなら山を下ると人里があるからではないだろうか。(恂)

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