冴え返る月しらじらと諏訪の湖   河村 有弘

冴え返る月しらじらと諏訪の湖   河村 有弘 『この一句』  諏訪の生まれ育ちだが大学以降はずっと東京とヨーロッパ各地を経巡っていた句友が、「まさにこの通りなんですよ、あそこの早春の月夜の情景を思い出させてくれました」と評した。私は冴え返る時節の諏訪は知らないが、十二月に行ったことがある。冴ゆる夜に身も心も縮こまってしまう感じであった。  この句の作者は江戸っ子だから、これもやはり旅吟の一句。二月か三月初め頃、諏訪を訪れた夜、湖畔の宿にくつろいで窓越しに湖に映る月を眺めての感懐であろう。  ただ、「冴え返る」という季語を冒頭に置いて、「月しらじらと諏訪の湖」というのでは、どさ回りの芝居の書き割りの絵を見せられたような感じがして、いかにもありきたりな情景描写だと「ボツ」の籠に放り込んでしまいたくなる。しかし、なんとなく気持にひっかかるところがあって、もう一度読み返すと、なるほどなあと思えて来る。写生句の良さというのはこんなところにあるのかも知れない。(水)

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耕して土と阿吽の呼吸かな   水口 弥生

耕して土と阿吽の呼吸かな   水口 弥生 『合評会から』(日経俳句会) 正市 土を起こしていると、肥料をどうするとか、なにを植えるとか土との対話がいろいろ生まれてくる。その様子を阿吽の呼吸と言ったのか、とにかく耕しの雰囲気をうまく描いている。 臣弘 人と自然が対話して、土が答える。白い息が見えるような明るい感じがする。ミレーのような暗い感じがしない。 昌魚 阿吽の呼吸ですから、これは対話ではなくて耕すリズムじゃないのかな。耕す人の腕がいいんでしょう、リズムの良い耕しの様子が伝わってきます。 冷峰 耕す人がこの辺でもういいかと思っても、土の方はもう少し耕してくれよ、と言っているかもしれない。土は何も言わないから、耕す側が阿吽の呼吸で対応すると言うことになる。           *     *     *  日頃農業とは縁遠い人たちにとって「耕」は難しい兼題だった。中には見当外れもあれば、理屈に合わないものも出て来た。そうした中でこの句は極めて真っ当である。「耕」の本意をついている。日曜園芸の賜物か。(水)

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次々と柵越す馬や風光る   須藤 光迷

次々と柵越す馬や風光る   須藤 光迷 『この一句』  「広々とした牧場にたくさんの馬がいて、次々に柵を跳び越えて走って行く。輝くような馬の動きが目に浮かぶ」といったような感想とともに、この句は句会で一番人気になった。  それを聞いていて、人間の思い込みというモノは、つくづくおかしなものだなと思った。ともすれば「ありそうな景色」を思い浮かべ、それをあたかも昔どこかで実際に見た風景として、録画再生のように頭の中に映し出す。そうすることによって、その風景は最早確固たる実景として脳裡に焼き付けられてしまうのだ。  しかし、放牧されている馬は、異常や異変もないのに、自らの意志で柵を跳び越えることなどあり得ないのである。何かに追われたり、背中に乗った騎手が合図でもしない限り、馬はわざわざ障害物を跳び越えたりはしない。  作者によるとこれは世田谷・馬事公苑での馬術の訓練風景だという。さもありなん。高得点は選者の勝手な思い込みによるご愛敬だったが、それを差っ引いても、なお余りある「風光る」の雰囲気をよく伝えてくれる句である。(水)

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水切りの石追ひかけて風光る   今泉 恂之介

水切りの石追ひかけて風光る   今泉 恂之介 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 「石追ひかけて」が、目に見えるようでいいなと思いました。 昌魚 絵に描いたようで、目に浮かんできます。 大虫 春になると石でも投げたくなる。視線が石を追っていくと、光って見える。 てる夫 水切り石の飛んでいく線に沿って波立ち光るわけで、理屈通りだが面白い光景を捉えている。           *     *     *  「風光る」という季語は初春から晩春までを通してのものだが、一般的には「うらうらと晴れた春の日に、軟風が吹きわたることを言う」(山本健吉)とあるように、仲春以降のうららかな気分を伝えるものとされてきた。しかし、この句の「風光る」は春風とは言ってもまだ肌身を緊張させる、ぴりっとした感じの残る風のような気がする。同じ風光るでも、春風駘蕩ではなく、江戸切子を透かしたような透明感のある光り方である。「風光る」に新しい作例を加えてくれたように思う。(水)

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擦り寄って思わせ振りの猫の恋      渡辺 信

擦り寄って思わせ振りの猫の恋      渡辺 信 『この一句』  世の中、猫ブームだというが、恋猫のわめき声を聞く機会はめっきり減った。猫は家の中で飼われるようになったのである。しかも一人住まいの女性が、マンションで猫一匹と暮らすようなケースが多くなり、俳句の有力な季語である「猫の恋」も、存在感が次第に薄れて行く情勢だ。  一方、人と猫との付き合いが密接になり、家族同士のような関係が出来上がっていく。朝、ご主人が勤めに出て行くと、猫は部屋に閉じ込められながら、ひたすら時間の経つのを待つことになる。カギがガチャリと鳴れば猫は大喜びだ。飼い主は猫を抱きあげ、恋人との再会のように嬉しがる。  恋の季節の猫は主人の脚などにすり寄ってきて、確かに「思わせ振り」でもある。ところが時期がくると、あっさりと平常に戻ってしまう。「うらやましおもひ切る時猫の恋」(越智越人)。芭蕉の弟子の越人は「恋心のすぐ冷める猫がうらやましい」と詠んだ。現代にも同じ思いの人がいるに違いない。(恂)

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猫の恋鎮守の森に炎上す         深瀬 久敬

猫の恋鎮守の森に炎上す         深瀬 久敬 『この一句』  日経新聞の「私の履歴書」で、市川猿翁(先代猿之助)が「歌舞伎は嘘の付き方が大胆不敵」と語っている。「嘘と本当をこき混ぜて真実以上の真実をつくる」のだとも言う。俳句にも当てはまる、と思った。特に江戸時代の俳句には歌舞伎的なものがあり、いまそれが失われてきたような印象もある。  例えば、と蕪村句集の牡丹から五句を拾った。「閻王の口や牡丹を吐かんとす」「方百里雨雲よせぬぼたむ(牡丹)かな」「日光の土にも彫れる牡丹かな」「牡丹切つて気の衰ひしゆふべかな」「虹を吐いてひらかんとする牡丹かな」。解釈は省くが、大げさであることは一目瞭然だろう。  恋猫の鳴き声は凄い。最近は聞く機会が少なくなったが、かつては「ウォン、ギャオー、ギャー、ギャー」と、この世のものとも思えぬ大合唱を耳にしたものだ。これを「鎮守の森に炎上す」と詠んだのが面白い。「炎上するごとく」ではダメだろう。平然と大げさな嘘をつく。嘘が真実以上の真実をつくる。(恂)

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宮島や満ちたる潮に冴え返る       田村 豊生

宮島や満ちたる潮に冴え返る       田村 豊生 『季のことば』  「冴える」(冴ゆる)という言葉がある。「頭脳が冴える」「技が冴える」という風にも用いられるが、元来は身を切るような寒さを言い、「冷(さ)ゆる」、「冱(さゆ)る」とも書く。俳句の季語では「月冴ゆる」「風冴ゆる」「鐘冴ゆる」などもあり、それらが春にぶり返したのが「冴え返る」である。  「満ちたる潮に冴え返る」。これもあるだろう、と思った。日本三景の一つ、安芸の宮島(厳島)に潮が満ちているのだ。本殿にも回廊にも、もちろん海中の大鳥居にもひたひたと潮が寄せている。作者の立ち位置はどこだろう。回廊にいるのか、対岸から遥かに宮島を望んでいるのかも知れない。  春の一夕と考えてみたい。暖かかった一日は暮れようとして、辺りがにわかに寒々としてきた。その視界から外せないものが一つ、海中に立つ大鳥居である。足元にまで潮が寄せてきた。海上に鳥居の朱色がぼんやりと浮いている。「冴え返る」と呼ぶに相応しい雰囲気ではないだろうか。(恂)

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朱を入れるこけしの口や深雪晴      岡本 祟

朱を入れるこけしの口や深雪晴      岡本 祟 『この一句』  わが家の居間の飾り棚に古いこけしが一本置かれている。何十年も前、東北を旅行した時に買い求めたもので、茶色く古びてしまったが、買ってきた頃の地肌はまるで雪のように白かった。その中に赤い色が目立っていた。胴には真っ赤な花が描かれ、髪飾りだろうか、頭部にも赤い色があった。  最も印象的なのが口であった。わが家にあるものは実に小さな赤がぽつんと描かれている。棚に初めて置いた時は、単なる一点と思っていた。ところが目を凝らすと、確かに唇の形になっていた。「朱を入れるこけしの口や…」。木地師が息を詰め、全神経を集中して、口のあたりに朱を置いたのだろう。  句の「深雪晴」は明らかにこけしの唇に対応している。北国の雪晴れの中に純白の木肌があり、さらにその中に一点の朱がある、というのだ。あまりにも出来過ぎているので、作者の頭の中で描かれた情景…かな、とも思う。しかし例えそうであっても、白と朱の鮮やかさが失われることはない。(恂)

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雲水の湯気立ち上がる寒の入り       後藤 尚弘

雲水の湯気立ち上がる寒の入り       後藤 尚弘 『合評会から』(番町喜楽会・三四郎句会 合同句会) 正裕 季語は「寒の入り」。本日(2月15日)の句会では、遅れている感じですが、内容で選びました。本山か大きな寺ですかね。大勢の雲水が歩いて来て集まると、湯気が立ち上ってくる。 春陽子 単純に雲水と湯気で採りました。時季外れは句会ではどうしても不利になるけれど、ぼくもそういう句を出していますからね。 而雲 雲水が長い列を作って歩いてきて、山門あたりに集まっている。寒い時期だと湯気がたち上るでしょう。これ、「立ち上がる」を「立ち上る(たちのぼる)」とした方がいいかな。(賛同の声) 水馬 それと、どこかで切れが欲しいですね。               *          *  合評会の中で「下五(寒の入り)を上五に持ってきたらどうか」さらに「大寒や」にしてみたい、という案が出た。「寒の入り(大寒や)雲水の湯気立ち上る」。「立ち上がる」は「立ち上る」に変更するとして、上五については作者の好みにお任せしたい。(恂)

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わだかまり溶けゆく春の散歩かな     井上 啓一

わだかまり溶けゆく春の散歩かな     井上 啓一 『合評会から』(番町喜楽会・三四郎句会 合同句会) 厳水 「わだかまりが溶ける」と「春になって雪や氷が溶ける」と、双方の感じが一句に溶け合っていて、いいですね。この句を見た瞬間に、選ぼうと思っていました。 照芳 これ、夫婦間のことでしょう。ちょっと喧嘩したのかな。しかしいっしょに散歩に出ているうちに何となく仲直りしていったのですね。春らしい暖かさも感じられて、うまいなぁ、と思いました。 光迷 わだかまりって何か。夫婦それぞれの生き方か、子供や孫の教育か。いろいろ考えられます。 斗詩子 夫婦喧嘩の後、日課の散歩に出ていく。木の芽が出ていたりして、わだかまりが溶けていく… 啓一(作者) よく夫婦喧嘩やるんです。しかし、一時間くらいは二人で散歩するのが日課でして。歩いているうちに、諍いがばからしく思えてくるんですよ。           *            *  「春らしい暖かさも感じられて」というコメントに感心した。夫婦、かくありたし。(恂)

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