水洟や夫婦の機微のすれ違ひ   田中 白山

水洟や夫婦の機微のすれ違ひ   田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 恐らく夫婦喧嘩して、奥さんがぐっとこらえて、涙が水洟と一緒になってという、そんな情景なんでしょう。まさに夫婦の機微のすれ違いです。 てる夫 目の前で洟かまれると嫌になることありますよね、なんでこんなところで洟なんかかむのかと・・。それを夫婦の機微のすれ違いと言ったんじゃないかなと思いましたが。無神経だと怒る人もいれば、そんなこと思わない人もいるんでしょう、そういったすれ違い、ではなかろうかと。 百子 水洟は思いがけない時にすーっと出ます。これを夫婦の機微のすれ違いと詠んだのはさすがです。 水馬 だから、あのときもう一枚羽織りなさいと言ったのに、というような呟きが聞こえてきそうな楽しい句ですね。           *     *     *  作者は「水洟」と「夫婦の機微のすれ違ひ」との関連について考えてはいるのだが、あえてそれを言わない。水洟という生理現象と、夫婦という不可思議な結びつきについて、皆さんどう思われますかと問いかけている。(水)

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水っ洟リンクの舞ひの泣き笑ひ   堤 てる夫

水つ洟リンクの舞ひの泣き笑ひ   堤 てる夫 『合評会から』(番町喜楽会) 克恵 下五の「泣き笑ひ」という明るさがいい。 正裕 この間のフィギュアスケート世界選手権、こんな感じでしたね。 光迷 ソチのオリンピックもありますから、浅田真央とかいろいろ名選手のことかも知れないが、私は町場のスケートリンクのあまり名の通っていない選手達のことでもいいなと。とにかくリンクは寒いですよ。           *     *     *  いよいよ2月7日からロシア黒海沿岸の保養地ソチで冬期五輪大会が開催される。その予選も兼ねて、各地でスケートやスキー・ジャンプ選手権大会が次々に行われた。これはフィギュアスケートの情景であろう。競技中は一心不乱。難度の高いジャンプに成功した選手はほっと安堵し、失敗したり転倒したりした選手は焦る。  演技が終わると緊張がほぐれ、寒さと疲労がどっと出て、鼻水と涙が一緒くたになって流れ落ちる。付き添いのコーチがティッシュペーパーを次々に渡している。ほんとに面白い光景に目を付けたものだ。(水)

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亡妻の庭福寿草より花ごよみ   野田 冷峰

亡妻の庭福寿草より花ごよみ   野田 冷峰 『この一句』  この句の「亡妻」にはルビは振っていないが、口調からして「つま」と読ませるつもりであろう。「ルビ俳句排斥論者」としては、「亡妻=つま」には頷きかねるところがあるのだが、中7下5の「福寿草より花ごよみ」が素晴らしい。  花々を時節に従って記し、絵や写真と共にその花の名所や名歌名句を書き添えたものが「花暦」。  亡き妻がいつも手入れを怠らなかった庭に福寿草が芽を出した。次は梅、そしてクロッカス、紫花菜と続いて行くのだろう。うかつなことにこれまで気にも留めていなかったのだが、そうかこれは彼女のこしらえた花暦なのだ。福寿草に始まってこれから一年、順々に花ごよみがほどかれて行くに違いない。  この作者には愛妻賛歌が多いが、これまでのどの句よりも愛妻をしみじみ想う心がよく表れている。ただ私としては、この句は破調になるのを承知で、「亡き妻の庭福寿草より花ごよみ」とした方が良かったのではないかと思っている。(水)

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久しぶりいとこにはとこ福寿草   山田 明美

久しぶりいとこにはとこ福寿草   山田 明美 『合評会から』(日経俳句会) 定利 福寿草の季語に一番ぴったりの句。福寿草の鉢植えはぐちゃぐちゃしていてよく分からない。久し振りに会うはとこなど顔を見ても咄嗟にはよく分からない。 正市 難しいこと言っていないし、リズミカルで心地いい。 庄一郎 中七「いとこにはとこ」の語呂が絶妙。親族団欒の象徴に福寿草がぴたり合っている。           *     *     *  いとこ、はとこには滅多に会わない。たまに会うのは彼岸や盆の墓詣り、法事といったところだが、家によっては親戚一同が寄り合う新年会ということもある。とにかく久し振りに会えば懐かしく、「あら、何年ぶりかしら」などと笑いながら言う声も聞こえて来る。にぎやかに咲き競う福寿草がいかにも似合いそうな情景である。(水)

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陽気なる一膳飯屋福寿草   大熊 万歩

陽気なる一膳飯屋福寿草   大熊 万歩 『合評会から』(日経俳句会) 正 夫婦でやってるのか明るい感じの飯屋があって、棚の上の福寿草の鉢が明るさを際立たせている。いい感じの句ですね。 大虫 「陽気な一膳飯屋」でほのぼのとした雰囲気を味あわせてくれます。 青水 駅裏か、はたまた下町の路地奥か。客は馴染みばかり。板場の大将の声が一際大きく響く。縁起物が正月気分を盛り立てている。 智宥 この間久々に由緒正しい定食屋を見つけました。“フロアレディ”三人は皆八十代の風情。煮魚定食を持ってくる足取りも危なっかしい。客はその辺のおっさんばかり。いいですねえ。           *     *     * 「陽気なる」と言い切ったのが、この場合成功している。作者は「福寿草はずんぐりむっくり、なんとなく野暮ったい花のように思います。この店のオバサンも太っちょの賑やかな庶民的な人」だという。福寿草は玄関の棚に置けばそれなりに品良く納まる。一膳飯屋の煮染めたような色の小っちゃな棚に置かれれば、愛敬たっぷりに咲く。(水)

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七福神こだわりすてて日々楽し    池村実千代

七福神こだわりすてて日々楽し    池村実千代 『この一句』  中国山東省の煙台に、七福神がここから日本に渡ったという伝説がある。八人の予定だったが、一人は前夜、酒を飲み過ぎて、という話はご愛敬だが、描かれた七福神は総じて若い。顔つきは神と言うより人間そのもので、野心もあれば恋愛もしそうな面々である。それが日本に渡った後は……。  恵比寿、大黒天、福禄寿、布袋と多くは丸顔、太鼓腹の福々しい老人になっていて、頭の長い寿老人も中国の道教に由来する福神だ。元をたどれば中国のほか、弁財天、毘沙門天などインドの神々も混ざっているようだが、われわれの先祖は、それらをまとめて大らかな神に変えてしまった。  「こだわりすてて日々楽し」。七福人は、まさにそのような神々である。一方、お参りする側にも、楽しそうなお年寄りたちが目立つ。冬帽子をかぶり、暖かそうなコートを着てニコニコと、これぞ福の神。地位、名誉、財産、そんなの大したもんじゃないよ、と教えてくれるのが福詣なのである。(恂)

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冬空に時の鐘ある小江戸かな     嵐田 啓明

冬空に時の鐘ある小江戸かな     嵐田 啓明 『この一句』  「小江戸」と呼ばれる東京・川越の七福神詣吟行の一句。観光客でにぎわう街の一角に「時の鐘」がある。高さは十六メートルほど。一行が訪れたのは快晴の日で、真っ青な冬空の中に江戸時代の雰囲気を留める鐘楼があった。その下に並んで恒例の写真撮影。早速一句となるのだが、そこからが難しい。  誰もが同じ時の鐘を見ている。そのままを詠んでも芸がない。人と違うところを見つけなければ、ときょろきょろ見回しても、川越なら古い町並みは当たり前だ。雲の様子は、と見上げたら、少しは浮いていたけれど、特に句にするほどのことはない。どう作っても平凡だから、とやめることにする。  吟行の結果は「メール句会」で、と決まり、送られてきた上記の句を見てびっくりした。全く見たままではないか。しかしいい句である。あの時の風景がありありと浮かんでくる。作者は鐘楼を見上げた瞬間に、この句が浮かんだのだろう。選句の結果を伝えるメールの中に「名人の句」という評があった。(恂)

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帯解けば小銭こぼるる初詣      須藤 光迷

帯解けば小銭こぼるる初詣      須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 色気漂う初詣、という雰囲気を買っていただきました。 正裕 お詣りが済んで、着物を脱いだら残っていたのがぱらぱらと。色気がありますね。 大虫 初詣の帰り、お二人がどこかへ行ったのでしょう。女性が帯を解くと小銭がちゃらちゃらっと……。滑稽さも感じられます。 塘外 初詣と姫始めという二つの正月行事を巧みに一句にまとめた名句です(爆笑)。 斗詩子 女性とは思いますが、家へ帰って着物を脱いだら、小銭が落ちたのでしょう。 白山 私はね、直感的に男のお詣りの後のことと思った。だから色気は感じません。 水牛 真夜中の明治神宮の初詣に行って、首筋に賽銭が飛び込んできたことがありましたよ。 而雲 投げられた賽銭が着物に飛び込むのですね。男かなあ、と思いましたが。            *           *  作者は男性。女性から聞いた話だという。作者が男性と知り、「なーんだ」と落胆するのは変な話である。(恂)

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胃と生きて今年も初日拝みけり       澤井 二堂

胃と生きて今年も初日拝みけり       澤井 二堂 『この一句』  内臓関係の重い病気を患った人なら、「胃と生きて」という語が切実に響くのではないだろうか。心臓、肺、胃などを手術したとしよう。一歩間違えれば命を失う危機と隣合わせていたのだった。そう気付くと、他の内臓のことは忘れ去り、病んでいる内臓だけが気掛かりになってくるものだ。  私(筆者)の場合、かつて心臓の軽い手術をした。すると退院した日から、心臓の調子によって、生活のすべてが回っていくようになった。今日は発作がなかった、血圧は正常だった、不整脈はどうだったか、と。それによって仕事の量、就寝や起床の時間までが定まっていくようになる。  句の作者は何年か前に胃を手術した。以来、胃のことが常に念頭にある。新年を迎えれば、胃とともに生きる新たな一年が始まっていく。初日を拝んで、思うのはまず胃袋のことだ。手のひらでポンと腹を叩くと、胃が「好調」と応えるではないか。回復した臓器こそ、最も愛しい我が身なのである。(恂)

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今見てる今だけの富士初日影    久保田 操

今見てる今だけの富士初日影    久保田 操 『この一句』  この句を見て、“あの時”がまざまざと甦って来た。今年の元旦、初日の出と初富士をほぼ同時に見たのである。場所は東京都内の小高いところにある公園。午前七時前、ほのぼのと空が明るくなってきた頃だ。ビルとビルとの間を初日が昇り出し、集まった人々の間から静かな歓声が上がった。  ふと気付くと、逆方向の西を見ている人たちがいる。何だろうと思って、振り向くと、うす紅色の富士が、住宅街の屋根の上に浮かんでいたのであった。十分ほど前には何も見えなかったと思う。すると富士はたちまち紅色を失い、朝靄の中に薄れて行く。まるで夢を見ているようなひとときだった。  富士は初日の出を受けた瞬間に最高潮の紅色を得たのだろう。「今見てる今だけの富士」。実にうまく表現していると思う。この時に立ち会えたという感動とともに、私は見ましたよ、という優越感も感じられる。合評会では「今でしょう、ですね」というコメントが出て、笑いを誘っていた。(恂)

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