富士見えぬ富士見坂なり蚯蚓鳴く   星川 佳子

富士見えぬ富士見坂なり蚯蚓鳴く   星川 佳子 『この一句』  秋の夜長をジージー、ジージーと、こちらを地の底に引き込むような単調な鳴き声。昔の人はこれをミミズが鳴くのだと思った。賢しらな現代人は、蚯蚓には発声器官が無い、これは螻蛄(けら)の鳴き声であると、先人の誤謬を憫笑する。しかし、ケラが鳴いているのを見た人などほとんど居るまい。生物学者だとて実見した人は少ないだろう。果たして本当にケラが鳴いているのか。  谷中には東京都区内で数少ない「富士山の見える富士見坂」が残っていたのだが、それも先頃マンションが出現して、富士を隠してしまった。この周辺の谷間は寺が多くじめついた土地で、まさにケラが好み、蚯蚓の鳴き声の聞ける場所であった。しかし、いまや住宅がびっしり建て込んで、路地まで舗装され、蚯蚓やオケラには住みにくい場所になってしまった。  「富士見えぬ富士見坂なり」の上五中七と「蚯蚓鳴く」の下五は、全然なんの脈絡も無いように見える。しかし、口ずさんでいるうちにじわじわと、いかにもしっくり付いているように思えて来る。不思議な句である。(水)

続きを読む