床走る冷凍鮪糶市場       大熊 万歩

床走る冷凍鮪糶市場       大熊 万歩  保冷室から出たばかりの、粉を吹いたように凍ったマグロが、床の上を走っていく。一番値の高いクロマグロだと重さは数十キロから数百キロまで。冷凍のマグロはエラに穴が開けられている。威勢のいい男衆がそこに手鉤を引っ掛けてビューと滑らせ、糶(せり)場まで運んでいくのだろうか。  かつて大型回遊魚の研究者から聞いた話。大昔、マグロの先祖は陸地に近くの海に住んでいた。やがてイワシなどの魚を追いかけ、外洋に出て行く。広い海域を猛スピードで縦横に泳ぎ回らなければならないので、紡錘形と呼ばれるあの体形を、何百万年もかけて作り上げていったのだという。  それが今や、市場の床をロケットのように走っていく。一匹ずつ整然と糶の場に並べられると、電動のこぎりで尻尾を切り落とされる。その切り口の色や肉質がマグロの価値を決め、キロ何万円という値で競られていく。活気にあふれる風景も、やがて悲しき魚市場、なのかと思う。(恂)

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七五三記念写真を逃げ回り            加藤 明男

七五三記念写真を逃げ回り            加藤 明男 『この一句』  よくある風景である。状況を詠んだだけの句だから、と初めは軽く見ていたのだが、二回目の時に気が変わった。ウチの子も確かにそうだった。あの頃から小さな“事件”が次々に起こるようになった。驚き、困り、腹の立ったことなど、この句はさまざまなことを思い出させてくれたのだ。  反抗期は二歳頃から始まるらしい。親の言うことを聞いていた子が急に、ご飯食べたくない、いっしょに行かない、もっと遊んでいたい、などと言い出す。好きだったテレビの幼児番組を見なくなり、名を呼んでも横を向いて返事もしない。いま思い出せば、懐かしいいことばかりなのだが。  七五三の記念写真。両親や祖父母が後ろに揃っているのに、ひとり主役が言うことを聞かない。しかしそれも、大人になっていくための一つの段階なのだろう。三歳児、五歳児、七歳児。子供は階段を上るように自我に目覚めて行く。写真嫌いも成長の証だ、と気づかされるのも七五三である。(恂)

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人住めぬ地を棄てし子や七五三   徳永 正裕

人住めぬ地を棄てし子や七五三   徳永 正裕 『合評会から』(日経俳句会) オブラダ 「人住めぬ」は福島のことですね。住めないのに「棄てし」はちょっとキツいけど。 十三妹 「七五三」の句は大体、ホンワカか、爽やかなのですが、この時代にそういうムードの句ばかりでいいのかと…。そうでない句があったら採ろうと決めていました。 光久 時事句を超えた一句。捨てたではなく「棄てた」というところに、日本近代化以降に続く「棄民」の流れを鋭くつかんでいる。近代化とは家を棄て故郷を棄てることなんですね。 反平 同情を誘う時事句。うまいところに目をつけた。 操 東日本の震災によって起きた悲劇が七五三の祝いに哀しさと影を落としています。        *            *  はずかしながら、合評会のコメントを聞いて、そうだったのか、と気づいた。それまでは何となく迫力のある句だ、とは思っていたが、詠まれた状況をつかみかねていた。少々、負け惜しみを言わせて頂くことにする。福島のことでなくても、いい句だと思う。(恂)

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母親に祖母も付き添ふ七五三         井上庄一郎

母親に祖母も付き添ふ七五三           井上庄一郎  母親と祖母が幼児に付き添っているのではない。祖母が母親に付き添っているのだ。するとこの句は、初めての子の三歳時を詠んでいるのかも知れない。お母さんは二十代そこそこと若く、祖母は娘をまだ幼い子供のように思っているのだろう。娘はまだ頼りなく、すべて親まかせにする他はない。  高齢出産の多いいま、四十代の母に七十代の祖母が付き添っている、ということもあるだろう。祖母にとって娘はいつまでも幼いころのままで、立派な社会人になってもまだ、私が手助けをしないとだめ、と思い込んでいる。娘は娘で、お金は両親が出してくれるから、とちゃっかり割り切っている。  七五三という国民的行事は、日本の家族の有様を具体的に示してくれる。長寿の国だから、両家の三代どころか四代までが揃うケースもあり、祖母に若々しい人が目立つ。もしかしたら七十代の曽祖母が、美魔女と呼ばれるような人だったりして……。そんな風景もあり得ないことではない。(恂)

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手で開けて降りる電車や風寒し   杉山 智宥

手で開けて降りる電車や風寒し   杉山 智宥 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 ローカル線ではこれが多い。ボタンを押さないとドアが開かない。寒いもんだから一カ所だけしか開けないんですね。別所線で身に沁みているものですから(笑い) 二堂 浦和の方の東北線なんかにこういう電車があって、本当に寒い感じがよく出ている。 作者 これは新宿発大月行きです。 頼子 東北の電車は、乗降客が自分でボタンを押してドアを開けていました。寒い風が吹き込んで震え上がりました。           *   *   *  あれは電力の節約のためなのだろうか。理由が分からないのだが、ドアの横のボタンを押さないと開閉できない電車がある。ボタンを押してからやおらドアを引き開ける。かなり重い。これをやる電車に乗り降りすると、ああ遠くに来たなという思いに浸る。吹き込む風も確かに寒い。(水)

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着疲れて父の背温し七五三   水口 弥生

着疲れて父の背温し七五三    水口 弥生 『この一句』  「気疲れ」という言葉はあるが、「着疲れ」という成語は辞書に載っていない。しかし、この句を読むと、この「着疲れ」という言葉が実によく分かる。俳句は窮屈な詩形だから、造語がしばしば用いられるのだが、これなど無理なく読者の頭に入る言葉と言えよう。  三歳の女の子であろう。着慣れない振袖を着せられて、緊張しながらも大喜びで神社にお参りし、記念撮影に納まり、ばたばた駆け回ったはいいが、やがてどっと疲れが出て、お父さんに負ぶさった途端にたわいなく眠り込んだ。  お父さんも三十代半ば、溌剌としている。愛娘の成長を祈り、この子を守るためには何だってやってやるぞといった意気込みで、しっかりと背負っている。娘は安心しきって父親の分厚い背中にコバンザメのように張り付いている。それに寄り添うお母さんも満ち足りた表情である。  平穏無事、いかにも幸せな若い家族の七五三風景が「着疲れて」という用語と「父の背温し」という叙述によって遺憾なく表されている。(水)

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過ぎし日や石鎚山の北おろし   三好 六甫

過ぎし日や石鎚山の北おろし   三好 六甫 『この一句』  四国の屋根とも言われる愛媛県西条市の石鎚山。標高1982メートルと数字だけでは大したことの無い山のように思えるが、どうしてどうして大変な山のようである。西日本の最高峰でもある。  今でこそかなりの高みまでケーブルカーで行けるが、その昔は修験道の荒行の場であり、登るのが非常に難しい山であった。頂上の天狗岳をはじめ、いくつもの峰が連なり、太平洋から吹き寄せる雲をまとい、神秘的なたたずまいで、役行者や空海が修業したと伝えられる山岳信仰の山であった。  作者は幼い頃からこの山を仰ぎ見ながら育った。生まれ育ちは宇和島で高校は松山。大学以降は東京に出て故郷は遥か遠くになりはしたが、とにかくこの人にとって山と言えば石鎚山なのである。喜びも悲しみも、希望も落胆もすべてをこの山にぶつけて来た。  温暖な四国にも冬はやって来る。久し振りに故郷に帰って、石鎚から吹き下ろして来る風に吹かれると、来し方の思い出ががどっと渦巻くのである。(水)

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人間も蒲団も軽くなりにけり   大下 綾子

人間も蒲団も軽くなりにけり   大下 綾子 『合評会から』(番町喜楽会) 大虫 蒲団のずしんと来る重さが無くなった昨今、人間も軽くなった。そういう世の中をうまく現したなと。 白山 実は私、出さなかったんですが「今頃は普通の人も羽布団」というのを作ったんですがね(大笑い)、とにかく全てが軽くなりましたねえ。 冷峰 人間が軽くなったと言ってますが、近ごろは人間の命が軽くなったことが気になります。今は人一人殺したって社会面のベタ記事ですからね。むしろそっちを詠んでもらいたかった気持なんですが・・。 光迷 昔、作家の城山三郎さんにインタビューしたときに聞かされた「近ごろはもう書きたい人がいなくなったんだよ」という言葉を思い出しました。本当にソーリダイジンをはじめ軽いのばかり。それを蒲団が軽くなったこととうまく合わせたなと思います。        *   *   *  面白いのだが警句のような感じがして、句としてちょっとどうかなと思った。しかし句会では大人気。世相を軽妙に突いたところが手柄であろう。(水)

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北風(きた)激し初めての名の魚食ふ     高瀬 大虫

北風(きた)激し初めての名の魚食ふ       高瀬 大虫 『この一句』  「北風」と「初めての名の魚」。合評会では、この取り合わせがいい、という声が相次いだ。では、なぜいいのか。その答えはけっこう難しい。日本人の季節感、食生活、南北に長く海に囲まれた国土の形、それに偏西風、寒波という地球的規模の自然現象までが絡んでいるからである。  場所はどこだろう。例えば小樽、秋田、新潟、富山、金沢――。太平洋側でも内陸部でも悪くないのだが、やはり北風がびゅうびゅう吹きつける日本海側が似合っている。人それぞれに自分の記憶にある都市や港町などを思い浮かべながら、この句の魚は何だろう、と考えるのではないだろうか。  魚の名は「ゲンゲンボウ」だそうである。調べてみたら、正式名は「ノロゲンゲ」。シロゲンゲ、クロゲンゲ、ゲンギョ、ドギ、スガヨ、ミズウオなどの名もあるという。大きさは、肉質は、味は、食べ方は。一つだけ答えを言おう。味噌汁や鍋物に合うという。やはり北風の吹く頃が旬の魚なのだ。(恂)

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焼芋を包む夕刊拾ひ読み           岡田 臣弘

焼芋を包む夕刊拾ひ読み           岡田 臣弘 『合評会から』(酔吟会) 操 焼芋の記憶は昭和の記憶ですね。私も包んだ新聞を拾い読みした覚えがあります。 詠悟 夕刊もこんなところに役に立っているのかと思いました。 涸魚 「新聞で包む。その新聞を読む」というのは常套手段なんですよ。大掃除の時とかね。他にこれと言った句がなかったので採ったんですが。 佳子 素直な句です。雛人形の出し入れの時に、包んでいる新聞をよく拾い読みしましたが。自分もやってしまいそうで共感しました。 二堂 今は新聞ではなく、もっとスマートな袋ですね。昔を懐かしんでいるのでしょう。           *       *  焼芋屋のおじさんが新聞四ページ分を二つ折りにし、無造作に包んでくれたのだと思う。焼き芋の温かさが新聞を通して、じんわりと伝わってくる。現在も焼芋は売っているが、俳句は昭和の頃の懐かしい思い出になりがちだ。焼芋はそういう季語なのだろう。(恂)

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