足元に谷中の風や猫じゃらし       沢井 二堂

足元に谷中の風や猫じゃらし       沢井 二堂 『この一句』  作者は住まいのある谷中を散歩中、ふと立ち止まったのだろう。ねこじゃらし(えのころぐさ)が揺れていた。足元に風を感じたのは丈の短いズボンを履いていたからかも知れない。「足元に――風」という表現はなかなか魅力的で、この語によって、ねこじゃらしの揺れがはっきりと見えてくる。  全く個人的な記憶・印象によるものだが、ねこじゃらしは近年、町中の草になったような気がする。かつてこの草は野原を本拠にしていた。都会の周辺に空き地がなくなって、生存の場を住宅地に求めたのだろうか。生垣の下などはもちろん、アスファルトの割れ目からさえ生えてくるのだ。  原っぱには丈の高い草がたくさん生えていた。住宅地では高い草が少ないせいか、ねこじゃらしがよく目立つ。ほう、こんな所に、と見やれば、ゆらゆらと風に揺れている。あの膨らんだ穂と細い茎からして、そよ風にも揺れるはずだ。この句によって、ねこじゃらしの新たな一面を見た思いである。(恂)

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恥じらひの陽に透き通る酔芙蓉         久保田 操

恥じらひの陽に透き通る酔芙蓉         久保田 操 『季のことば』  ちょっと古い歳時記で「ふよう」を調べたら、「木芙蓉」となっていた。植物辞典によると、かつて蓮の花の表記は中国に倣って「芙蓉」であった。そこで二つを区別するために、落葉低木の芙蓉を「木芙蓉」、蓮を「草芙蓉」と書き分けていたのだという。今ではもちろん「芙蓉」と「蓮」で問題はない。  「酔芙蓉」は芙蓉の変種である。朝は白、昼が薄紅、夕方の紅と色を変えるため、飲酒時の顔に見立てて、その名がつけられた。八重咲であり、色の変化のあることなどから、栽培によって生まれた種なのだろう。江戸時代の句に「酔芙蓉」が見つからなかったのは、そのためかも知れない。  「恥じらひの陽に透き通る」を見て、上手いな、と思った。うっすらと紅のさした頃に違いない。その薄い花弁に陽光が透いているのだ。まさに妙齢女性のほろ酔いだが、酒はこの辺で控えてもらいたい、と思う。飲み続けて真っ赤になってしまったら、恥じらいなんて瞬時に消えてしまうからだ。(恂)

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投網うつ夜明けの海や鰯雲           金田 青水

投網うつ夜明けの海や鰯雲           金田 青水 『この一句』  浮世絵にありそうな江戸時代の風景を思った。しかし作者の住まいや日々の散歩の状況からして、実景に違いない。自分の頭の中では生まれそうもない図柄だっただけに、初めはしっくりこない感じもあった。やがて投網、夜明けの海、鰯雲の組み合わせに心を惹かれるようになっていく。  投網を打つ人は浅場にいるのか、小船の上に立っているのだろうか。東京湾近辺での釣りの経験からすれば、スズキの幼魚のセイゴやフッコ、アジ、サッパあたりが獲物か。ワタリガニも暗い時はふわふわ浮いてくるから獲れそうである。ハゼやアナゴなど砂地に潜んでいる魚はだめかも知れない。  考えが投網と魚ばかりに行ってしまったが、この句で最も重要なのは、もちろん夜明けの鰯雲である。東の方が明るくなり、上空の雲はうっすらと紅を帯びてきているのだろう。当欄ではすでに夜の鰯雲の句が紹介されているが、この句の場合は夜明けの鰯雲が空を覆っている。そこに投網がぱっと開くのだ。(恂)

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