友逝きて仰げば白し朝の月      河村 有弘

友逝きて仰げば白し朝の月      河村 有弘 『合評会から』(三四郎句会) 論 友達の亡くなった気持ちと月の白さがよく合っています。朝の月がいいですね。 尚弘 朝の月って確かに白いですよ。友達を失ったさみしさ、悲しさをよく表わしている。 進 友逝きて……。年を取ってくると、こういう状況はどうしても避けられない。朝の白い月に、ただ悲しさだけではない、しみじみとした感じも加わっていますね。 恂之介 お通夜に付き合って、夜明けに帰ったのか。親友の死の報せを受け、早朝に慌ただしく家を出るときとも考えられる。そんな時の朝の月。「仰げば」は不要かと思ったが、必要かも知れない。         *           *           *  「子規逝くや十七日の月明に」(高浜虚子)を思い出す。子規の死去は明治三十五年九月十九日(旧暦八月十七日)。報せを聞いて子規邸に向かう時の作だという。虚子は「明るい旧暦十七夜の月が大空の真ん中にあった」と書いている。月はどんな色をしていたのだろうか。(恂)

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肋骨のひびの疼きや蚯蚓鳴く     大澤 水牛

肋骨のひびの疼きや蚯蚓鳴く     大澤 水牛 『合評会から』(日経俳句会) 正裕 「蚯蚓(みみず)鳴く」は何にでも付きそうな季語ですが、これが考えると難しい。「肋骨のひびの疼き」を見て、これはいいと思いましたね。「蚯蚓鳴く」と何とも言えず合っています。 昌魚 そうですね。実際には聞こえないはずの蚯蚓の声が、じわじわと響いているのでしょう。 悌志郎 うめき声のような蚯蚓の鳴き声に、肋骨の疼き。確かによく合っている。 正市 「蚯蚓鳴く」の不気味さとの取り合わせがいい。 水牛 猫がサイドボードと出窓との窮屈な隙間に入り込んでしまいましてね。引っ張り出そうと、車のついた椅子に乗ったら、椅子が動いてテーブルの角に胸を打ち付けてしまった。二三日は疼いて眠れませんでした。治るのに六週間もかかるそうで、年甲斐もなく不名誉な負傷です。            *           *  医師は「治るのに六週間」と言った後、「若い人なら四週間かな」と言ってニヤリと笑ったそうである。あの日、かなり飲んで帰宅後の出来事だったと思う。気をつけるべきは何か、と申し上げたい。(恂)

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交差点他人の空似秋の空         大熊 万歩

交差点他人の空似秋の空         大熊 万歩 『この一句』  交差点は現代のミニ関所である。お上の定めた、赤は「止まれ」、青は「行け」に従って人は行動しなければならない。待っている時、周囲を見回すと大体、見知らぬ人ばかりだが、たまには知人に出会うこともある。信号が変われば、誰もかれもばらばらに別れ、てんでに散って行く。  「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」。平安時代の歌人・蝉丸は「これがあの有名な逢坂の関なのだなぁ」と詠嘆した。行く人も帰る人も、知る人も知らぬ人も、会っては別れて行く――。上掲の句を見た時、百人一首中、最も有名かもしれないこの一首が浮かんできた。  作者は交差点で、亡くなった友人に似た人を見かけて、ハッとしたという。よく見れば別人だと分かったが、心は波立っていただろう。信号が変わってからも、その人の背を見送っていたのではないか。友人と作者はどこかで出会い、別れていた。この世もまた交差点。見上げれば、澄んだ秋の空。(恂)

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黄落や木道一本燧岳           野田 冷峰

黄落や木道一本燧岳           野田 冷峰 『この一句』  鳩待峠から尾瀬ケ原に入ると、北東方面に木道が一筋、延々と続いている。約六キロ、行けど行けども真っ正面に燧岳(ひうちだけ、正しくは燧ケ岳)が聳えていた。かなり昔の記憶だが、地図や写真で見る限り状況に変わりはないようだ。時は秋、尾瀬の湿原は草もみじの黄金色に染まっていた。  最も人気の高い水芭蕉の時期にも行ったことがあるが、あまりにも人が多く、山小屋ではすし詰めの大部屋で寝るなど、印象はよくない。それに比べると山小屋を締める前の十月の尾瀬はまさに爽秋。湿原地域を過ぎれば、豪華な紅葉・黄葉の林が続き、忘れようにも忘れられない風景であった。  そんな体験もあって、句会でこの句を見たとたん、選ぶことを決めた。あの時は燧岳に登り、頂上から尾瀬全体を見下ろした。その後、ずっと尾瀬へ行きたいと思っていたが、「燧岳は無理か」から、最近は「木道も長いなぁ」に変わった。毎年、秋が来れば思い出すのは、燧岳に向かう一筋の木道である。(恂)

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秋闌けて狂言鼓の高調子         大沢 反平

秋闌けて狂言鼓の高調子         大沢 反平 『この一句』  狂言は数回見ただけで、面白いものだ、と思ってはいるが、詳しく知らない。鼓のことも「チチポポと鼓打たうよ花月夜」(松本たかし)を思い出すくらいのものだ。調べてみたら、大鼓、小鼓があって、普通「鼓」と言えば小鼓を指すそうだが、この句の狂言鼓がどちらかなのかも分からない。  ただ鼓の高い音は耳に残っている。能か狂言か、他の芸能か、どこで聞いたのかも分からないが、「カーン」という音が、頭のてっぺんに響いた記憶がある。その時の印象から、「秋闌(た)けて」でいいのかな? と思った。句会の合評会では「初秋の方が相応しいのではないか」などと意見を述べた。  作者によれば、狂言を習う友人の舞台を見に行った時の作で、「初めは“秋立つや”にしようかと思った」そうである。「その方がいいよ」などと話したが、残暑がようやく終わったと思われる今朝(十三日)、考えが変わった。「秋闌けて」も悪くない。それで急きょ本欄に登場頂いたわけである。(恂)

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黃落や覗いて過ぎる御所の門   今泉 而雲

黃落や覗いて過ぎる御所の門   今泉 而雲 『季のことば』  「黃落」は落葉樹が黄色くなった葉を落とす様子とその時期を言う晩秋の季語。東京から京都、大阪に至る太平洋ベルトラインの平地では十一月に入ってからが本当の黃落の季節だが、山々は十月に入ると色づき始めるから、俳人は早くもその気分に浸って銀杏散る街の風景を思い浮かべる。  「黃落という季語にぴったり来るのは何かなと考えてみますと、この『御所』なんか一番ですね。京都の御所のあたり、こういう感じですね」(佳子)というように、この句を見た誰もが真っ先に京都御所周辺を思い浮かべたようだ。  私はへそ曲がりか、元赤坂の東宮御所付近の景色が浮かんだ。青山通りへ出る道筋には銀杏やハンテンボクが茂り、黃落期は黄金色に染まる。何かと週刊誌ダネになる皇太子妃はどうしてるかな、なんぞと門内をちょっとうかがいながら通り過ぎたという情景。しかし、作者はそんなはしたないことは思わない。やはり京都の御所で、同志社大学のある北側の今出川門あたりを通り過ぎた時の感じを詠んだのだという。「覗いて過ぎる」という仕草を据えたところが、ちょっと忙しないこの時期の感じを実によく現している。(水)

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十六夜に誘はれて入るファドの店   前島 厳水

十六夜に誘はれて入るファドの店   前島 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) 大虫 十六夜もファドもなんとなくうら寂しい哀しい雰囲気があって、いい句だなと思いました。 而雲 確かに合っていますねえ。ムードとして十六夜に実によく合ってる。 百子 「誘はれて」がどこに掛かるのか微妙な感じがしますが、私は「十六夜に誘はれて」迷い迷いファドの店に入ったと解釈しました。ファドはほろ苦く、十六夜にぴったりです。         *   *   *  十六夜は満月のわずか一晩後だから、満月とほとんど変わらずに煌々と輝いている。しかし、月の出がちょっと遅れ、気のせいかおずおず上って来る感じがする。これからだんだん欠けて行くばかりという寂しさも漂う。ファドはもう、なんとも言えない艶歌、恨み節の感じである。句会では、この絶妙な取り合わせに拍手喝采が送られた。(水)

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なきながら壁にぶつかる秋の蝉   嵐田 啓明

なきながら壁にぶつかる秋の蝉   嵐田 啓明 『合評会から』(日経俳句会) 臣弘 七年土の中にいて、七日で最期を遂げるという蝉の一生をよく表している。我々の一生にも通じるような、深く取ればいくらでも深く取れる句だ。 博明 実際に見た風景なんでしょう。そうだなあと。最後はこうなんだ、と。 綾子 秋の蝉らしさが出ています。 ヲブラダ 「なきながら」とひらがなにしたところが、蝉の心情を投影させてよかったなと思う。          *   *   *  作者はこの光景を「今年やたらに多く見た」そうである。「こういうことは人の世にもあるよなあ」と思う。激突して一巻の終わりになってしまう不運な人もあれば、それをばねに奮闘努力、成功への道に乗る人もいる。大多数はぶつかって拵えた傷を癒しながら泣き寝入り・・・。  でも、そんなことを教訓めかして言ったりせず、ただただ秋の蝉の生態を写したのがこの句のいいところだ。却って何ものかを訴える力が湧いてきた。(水)

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名月は足場のなかを上りけり   三好 六甫

名月は足場のなかを上りけり   三好 六甫 『合評会から』(番町喜楽会) 厳水 こないだこういう情景を見ました。月が上がってきたんですよ、「足場のなかを」。いかにも今日的な月見風景だなと思いました。それを実にうまく詠んでいます。 春陽子 足場なんていう俗っぽいものを持ってきて「名月」を詠んだところが素晴らしいなと思います。 而雲 ほんとに面白い場面を詠みましたね。 水馬 消費税引き上げの前にやってしまおうというので、最近はあちこち足場だらけですよね。だから今年の句という点でも面白いですね。         *   *   *  そうなんだ、これは時事句でもあるのだと思ったら、面白さがさらに増した。一戸建てでも屋根の防水シートの張り替えと外壁塗装工事をやるとすぐに三、四百万円かかってしまう。消費税の3%増税分だけでもかなり大きい。ましてやマンションともなれば大変な金額だ。かくして今年は、この句の作者をはじめ、工事やぐら越しの月見という人がずいぶんあったようである。(水)

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栗ごはん栗ひとつ足し仏前へ   山口斗詩子

栗ごはん栗ひとつ足し仏前へ   山口斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 佳子 仏様へのお供えの栗御飯に栗を一つ足したという、ご先祖様に親しむ気持が自然に現れているいい句ですね。 水馬 「栗ごはん栗ひとつ足し」という、このリズムがとってもいいなあと思いました。 白山 盛ってみたら、栗が隠れちゃっていたのかも知れませんね。それで一つ足した。それをそのまま言っているんだけど、またそこが面白い。 六甫 子供がお供えしているところかな。おじいちゃん、おばあちゃんにお供えしなさい、と言われて手伝ってる。とにかく、素直で可愛くて優しい。         *   *   *  作者に聞くと、これは昨年三月に亡くなったご主人詩朗(志朗)さんの仏前に供えた栗御飯だという。詩朗さんは亭主関白を気取っていたが、俊子夫人に甘えっぱなしで、大好物の栗御飯となると「もっと栗入れて」とせがんだという。そんな裏話など知らなくても、とても大らかな優しい感じの佳句で、十月句会の最高点となった。(水)

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