頁繰る余白にまでも晩夏かな 玉田春陽子
頁繰る余白にまでも晩夏かな 玉田春陽子
『合評会から』(番町喜楽会)
百子 部屋の涼しいところで本を読んでいるのですね。晩夏の気配を感じたのですが、「余白にまで」ですからね。上手だと思います。
正裕 何にでも晩夏は感じられるわけですが、本の余白に気づいたところが素晴らしい。
俊子 「余白」という語に夏の終わりが感じられます。
水牛 うまいことを言うなあ。私は「余白まで」を気取り過ぎと思っていたが。
春陽子(作者) 初めは「晩夏光」で行こう、と考えていました。
而雲 「晩夏かな」だからいいのですよ。「晩夏光」ではつまらないでしょう。
* *
本の頁のすべてに晩夏光が及んでいて、「余白にまでも」と気づいた。さらに「この光こそ晩夏なのだ」と考えを展げ、一段と味のある句に仕上げた。この句は雑詠だったが、もし「晩夏光」が兼題だったらどうか。「光」は削れなかっただろう、なんてつまらないことも考えた。(恂)