籐椅子や遠くから呼ぶ友の声   笹本 塘外

籐椅子や遠くから呼ぶ友の声   笹本 塘外 『この一句』  身体をすっぽり包む籠状のものでも、あるいは寝そべることのできる長椅子タイプでもいい、とにかく籐椅子に丸まったり寝転んだりすると、身も心もほぐれる感じがする。涼風の通うバルコニーか、広々したベランダか、籐椅子にくつろいでいると想念がどんどんふくらんで行く。  この句は、読む人によっていろいろな場面が思い描ける。突拍子もないようだが、リヴィエラからコートダジュール一帯の地中海高級保養地の海浜風景ととってもおかしくない。日覆いつきの籐椅子に寝そべっていると、遠くから「早くこちらにおいでなさいよー」と呼ぶ声がする。この友はもちろん異性の友であろう。ロマンチックで明るい情景だ。  一方、緑陰の籐寝椅子に横たわっているところとも受け取れよう。この場合の友は既にこの世にはなく、作者の心の中だけに住んでいる人ではなかろうか。半醒半睡、来し方のあれやこれやを頭の中に駆け巡らせているうちに、肝胆相照らす仲だった相棒の懐かしい声が聞こえてきたのだ。(水)

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下闇に大阪弁の女達   田中 白山

下闇に大阪弁の女達   田中 白山 『季のことば』  「下闇」というのは三夏を通しての季語「木下闇(このしたやみ・こしたやみ)」を省略した言い方である。夏木立の下は真夏の強い陽射しがさえぎられてほの暗く、涼しい風が吹き通る。大木の何本も繁った所だと、下闇はそれこそ得体の知れない獣や魔物が住んでいるのではないかと思わせるような暗がりになる。  昔の街道筋は地元の領主の裁量によって並木が作られ、それが冬の風雪を防ぎ、夏の陽射しをやわらげて旅人を癒した。もちろんそうした並木や、木下闇を作る一里塚の植え込みなどの手入れは沿道村民の仕事だった。  自動車時代になってそうした緑陰は次々に姿を消した。かろうじて残っている場所は、近隣のおばちゃんたちの絶好のコミュニケーションスポット。この句はそこから「大阪弁」が聞こえて来ると言っている。大阪弁はどうも夏向きの言葉ではないような気がする。本来どちらかと言えば静けさを感じさせる木下闇だが、この句からは女という字を三つどころか四つも五つも重ねた爆発音が伝わって来る。(水)

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水汲むや姫川源流苔の花   高橋 楓子

水汲むや姫川源流苔の花   高橋 楓子 『この一句』  作者はこの夏、白馬岳周辺に出かけ佳句を得ているが、これもその一つ。姫川は長野県白馬村親海湿原(およみしつげん)に端を発し、国道148号線に沿って約60キロ流れ、新潟県糸魚川市で日本海に注ぐ。国土交通省の一級河川水質調査で水質ランキング一位という、すこぶる清澄なる流れである。  姫川の姫は古事記に出て来る沼名河比売(ヌナカワヒメ)という越の国(新潟県)の豪族のお姫様で絶世の美女。出雲の国から大国主命が求婚に訪れたという伝説がある。この時代、大和をはじめ日本各地の貴人の胸元を飾っていた曲玉の原料である翡翠は、全てこの川と河口の糸魚川海岸で産出していたものだった。その源流ともなれば麗しき姫が住む土地と思われたのも当然であろう。  颯爽たるキャリアウーマンの作者も真夏のトレッキングでいささか疲れた。ようやくたどりついた姫川源流の手の切れるような水を掬い、ほてった顔を冷やす。水中から伸びたバイカモが水面に白い五弁花を浮かせ、泉の縁にはびっしりとビロード状の苔が小さな小さな花をつけている。鏡のような湧水に自らの顔を映す。「あら、ヌナカワヒメが現れたのかしら」。(水)

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ハンカチに毛虫の落ちて恋成らず   高瀬 大虫

ハンカチに毛虫の落ちて恋成らず   高瀬 大虫 『この一句』  漫画のネタに使われる素材である。上品で謹言居士の宗匠がでんと座る句会にこんな句を出したら、誰も口をつぐんでしまい、一座は水を打ったようになり、宗匠の表情を上目遣いにうかがったりするに違いない。しかし、俳句振興NPO法人双牛舎で行われる番町喜楽会という融通無碍なる句会には、こういう句が大手を振って出て来る。そして、一座は「ははーん、そういうこともありましたなー」などと、にこやかに受け入れる。  恋い焦がれた彼女をようやく誘い出すことに成功した彼氏、いそいそと公園のベンチにハンカチを広げ、ささ、どうぞと手を差し伸べた途端、ものすごい毛虫がぽとんと落ちて来て「きゃー」。──正直言って、このギャグはあまり上等とは言えない。ありふれていて、使い古された感じがある。  しかし、この「使い古された」というのは、裏を返せば万人がそうした経験ないし知識を持っていて、一読理解出来る事であり、これが佳句の条件の一つでもある。あとはその料理法。この句は、自らの体験に裏打ちされているようなところもうかがえて、素直に笑えるのが救いであろう。(水)

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冷房の中で筋トレ夏深し   山口 斗詩子

冷房の中で筋トレ夏深し   山口 斗詩子 『季のことば』  「夏深し」は厳密に言えば立秋の前日までの晩夏の季語。今年で言えば七月末から八月六日までだが、今年は立秋を越えてからが本格的な夏、と言うより酷暑がやって来た。  まあ昔から「残暑」というものの酷さを詠んだ句が沢山あり、暑熱の苦しさは盛夏よりむしろ残暑にあると言った方が良さそうだが、それにしても今年のはひどい。もう八月も中旬。そろそろ涼しい風が吹いても良さそうなのに、とんでもない。日本各地で40℃を超えている。  こんな最中に「筋トレ」に精出している人たちがいる。ビルの中のジムで、ガラス戸越しに外から見える。エアコンが効いていて快適温度なのだろう。みんな実に楽しそうだ。均整の取れた美しいスタイルを見て見てとばかりにくねらせる若い男女。「ああいうのに限って脳味噌が軽いのだ」。徘徊老人は禿頭に噴き出した汗を拭いながら悪たれをつぶやき、去る。(水)

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頁繰る余白にまでも晩夏かな        玉田春陽子

頁繰る余白にまでも晩夏かな        玉田春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 部屋の涼しいところで本を読んでいるのですね。晩夏の気配を感じたのですが、「余白にまで」ですからね。上手だと思います。 正裕 何にでも晩夏は感じられるわけですが、本の余白に気づいたところが素晴らしい。 俊子 「余白」という語に夏の終わりが感じられます。 水牛 うまいことを言うなあ。私は「余白まで」を気取り過ぎと思っていたが。 春陽子(作者) 初めは「晩夏光」で行こう、と考えていました。 而雲 「晩夏かな」だからいいのですよ。「晩夏光」ではつまらないでしょう。            *          *  本の頁のすべてに晩夏光が及んでいて、「余白にまでも」と気づいた。さらに「この光こそ晩夏なのだ」と考えを展げ、一段と味のある句に仕上げた。この句は雑詠だったが、もし「晩夏光」が兼題だったらどうか。「光」は削れなかっただろう、なんてつまらないことも考えた。(恂)

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晩夏光ホットパンツの乙女たち       前島 厳水

晩夏光ホットパンツの乙女たち       前島 厳水 『季のことば』  八月初めの番町喜楽会で「晩夏光」の句が三句、それに晩夏光かな、と思わせる句が一句投句された。雑詠二十一句中の三+αだから、この季語は人気が出てきたのかも知れない。歳時記では「晩夏」の傍題になっていて、説明は小さく、例句も少ない。ちょっと古い歳時記だと、晩夏光は全く無視されている。  晩夏光のイメージも固まっていないようだ。ある書には「秋近く、少し柔らかくなった夏の光」とあり、別の書には「晩夏とは言え、盛夏を思わせる強い陽光」などとある。一方、句会に出された作品は陽光の強弱というより、いかにも夏も終わりなのだ、という印象を詠んでいた。こちらの方が正解と言えるのだろう。  上掲句の場面を撮影したとしよう。乙女たちは順光か、逆光か。多くの人は「逆光」と見るのではないか。ホットパンツの若い女性たちが逆光の街を行く。ああ、彼女たちの夏も終わって行くのだ――。そういう詠嘆が、「晩夏光」という語から浮かび上がってくるかどうか。句作りのポイントはそのあたりにあるのだろう。(恂)

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ビル風の澱める午後の暑さかな      流合研士郎

ビル風の澱める午後の暑さかな      流合研士郎  東京の丸の内、大手町あたりに勤務するビジネスマン(もちろんウーマンも)から同感の声が聞こえてきそうな句である。梅雨明けから盛夏にかけての猛暑の中、ビジネス街ではビル風でさえ有難い涼風となる。その風がぴたりと途絶え、あたりに澱んでいるような気がする、というのだ。  会社を辞めて十年余りになるが、ビジネス街の道路の暑苦しさはいまだ記憶に新しい。日はほぼ真上にあって、影は少ない。やむを得ず、日差しを受けながら目的のビルや地下鉄の入口まで、忍の一字で歩くことになる。一番辛いのは何時ごろか。誰に聞いても「午後二時から三時あたり」になるだろう。  ビル風は当然ながら道路に沿って吹き渡る。ところが街は整然と区画されているとは限らず、大きなビルが風の道に立ちふさがっていたりする。そういう場合、風は行き場を失ってうず巻いたり、吹きあがったりするという。やがて風はどこかに澱み、耐えられぬほど暑さを、あたりに生みだすのである。(恂)

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夏深し眉を濃い目に襟を抜き        高井 百子

夏深し眉を濃い目に襟を抜き        高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 濃い目の眉もそうだが、襟を抜くというのが、何と言っても色っぽい。ぐっときますね。 春陽子 夏の盛りを過ぎた頃の女性の姿ですね。まず伊東深水の美人画が頭に浮かびました。ただ下手すると安物の団扇(うちわ)の美人になってしまうかも知れない。 正裕 夏ですからね、薄化粧だとは思いますが……。夏深しを思わせます 厳水 なるほど、年配女性はこうなのかと、改めて思いました 光迷 抜き衣紋(ぬきえもん)とくれば、芸者でしょう。三業地の雰囲気ですね。 何人か (作者が明らかになって)ほう、百子さんですか。なかなかやるねぇ。              *        *  和服の胸元の合わせ目を「衣紋」という。そこに手を当てて着物を押し上げながら後襟を下げ、襟元を艶めかしく出して見せるのが「抜き衣紋」……、ということを、今回の調べで初めて知った。四十年も昔の映画でのこと。喜劇役者の三木のり平が芸者を真似て、胸元に手をやり、体をちょっとくねらし、客の笑いを誘っていた。あれは「抜き衣紋」のしぐさだったのだ、と今になって理解した次第である。(恂)

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水田の稲が吸い取る暑さかな   植村 博明

水田の稲が吸取る暑さかな   植村 博明 『この一句』  田んぼの道を歩くと幾分か涼しさを感ずる。真夏の太陽がかんかん照りつけているのだが、青々と茂った稲が風にそよぎ、暑熱を吸い取ってくれるようだ。7,8月、沸くような田水を吸って稲は花咲かせ、豊かに実る。  「稲が吸取る暑さ」というフレーズにあっと思った。エアコンに馴れてしまった日々を過ごしているうちに、すっかりこういう感覚から遠退いてしまっている自分に気がついた。そうだったそうだったと昔を思い返して、この句に一票投じた。そうしたら若い明美さんも採っていた。「とてもよく感じが分かります」と言う。実は明美さんは神奈川県海老名市に居住、日々こういう風景の中を歩いているのだ。  しかし、たとえ日頃田んぼなど見ることが無い都会人でも、この句を何度か読んでいるうちに感じがつかめるだろう。豊葦原瑞穂の国・日本人の原風景として、誰の心の中にもあるから。(水)

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