ひまわりの丘越えゆけば地中海   金指 正風

ひまわりの丘越えゆけば地中海   金指 正風 『合評会から』(酔吟会) 臣弘 景色として楽しいね。向日葵が丘一面に一斉に咲いている。そこを潜り抜けて行くと目の前に地中海がぱっと広がる。 涸魚 こういう所へ行ってみたいなと思いましてね。地中海、私もコートダジュールには二回行ったんだが、こういう景色には出くわさなかった。きっとどこかにあるに違いないが、あこがれのような気持で採りました。 恂之介 何とかを越え行けば、という詠み方は叙景句にはよくあるというか、常套句なんだが、これは何て言っても地中海と向日葵ですからね、色彩が凄い。印象が圧倒的に強い。           *   *   *  作者によるとスペイン・アンダルシア地方のマラガでの作。雄大で色彩鮮烈な句だ。問題は「ひまわり」という書き方。「俳句は旧仮名」に従えば、「ひまはり」が正しい。「しかし、『ひまはり』では弱々しくてあの地中海の陽光に適わないと思って」と言う。これもまた現代俳句と旧仮名表記の、首をひねる問題だ。(水)

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独鈷山の風を一手に夏座敷   星川 佳子

独鈷山の風を一手に夏座敷   星川 佳子 『合評会から』(酔吟会) 涸魚 夏座敷と風というのは、誰もが常に詠みたいと思っている取り合わせなんだが、どうしてもありきたりになってしまう。それをね、この句は独鈷山という具体的な山の名前を据えたことによって印象深くしています。 正裕 今やエアコンで真夏でも締め切っていますが、もともと夏座敷は戸も障子も開け放って風を入れる。独鈷山の風を一手に入れるというのがいいですね。 正風 「風を一手に」と言ったところが夏座敷らしい感じを出しました。 反平 私もこの「風を一手に」という中七の素晴らしさに惹かれました。           *   *   *  俳句仲間てる夫さんが上田市塩田平の独鈷山に向かい合う場所に終の棲家を定めた。そこを訪ねた作者は気持の良い初夏の住まいをこう褒めそやした。「俳句は挨拶」とよく言われる。芭蕉も「奥の細道」行脚の途次、黒羽(栃木)では「山も庭もうごきいるるや夏ざしき」と詠み、大石田(山形)では「五月雨をあつめて涼し最上川」(後に「早し」に変更)と、迎えてくれた家の心地良さを詠んでいる。(水)

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蹲る怪我の子鼠梅雨に入る         高橋 淳

蹲る怪我の子鼠梅雨に入る         高橋 淳  子鼠が道路に出て車にぶつかったのだろう。はね飛ばされたり、体の一部が轢かれたりしたかも知れないが、即死ではなかった。しかし大怪我であることは確かで、動けず、ただ蹲(うずくま)っていたのだ。梅雨入りの日の朝、作者はそんな鼠を見つけたが、どうしようもなく、駅へ急ぐほかはなかった。  野生の動物が怪我などで動けなくなっていても、見過ごす方がいいという。治してやっても、自然界では生きていけないかも知れない。犬、猫などの場合も保健所あたりに連絡するくらいがいいようで、動物病院に持ち込むと、治療費はその人の負担になってしまうそうである。  梅雨晴れが続いた日、蟇蛙の死骸がアスファルト道路にへばりついていた。毎年、同じ場所で必ずと言っていいほど見掛けるので、「またか」と見過ごすのだが、「子鼠」の句に出会ってから、小動物の行く末が、妙に気になってしまう。蟇蛙はやがて粉々になり、風に飛ばされていくはずである。(恂)

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麦秋や就活女子の黒スーツ      金田 青水

麦秋や就活女子の黒スーツ      金田 青水 『この一句』  一か月ほど前、ちょうどこの句のような風景に出会った。梅雨半ばの蒸し暑い曇り日であった。東京近郊のJRの駅を出て私鉄の駅まで、旧街道を十分ほど歩かなければならなかった。前に黒スーツの若い女性が早足に歩いていた。衣服と雰囲気から就職活動中のように思えた。  近辺に中小の機械メーカーがいくつかあった。中には、下請けから独自の製品を作るようになり、新聞の産業面に小さく載る程度の企業もあった。私鉄の駅近くの交番前で、再びその女性を見た。訪ねて行く会社の場所を聞いているのだろうか。笑顔を見せながら、ハンカチで汗を拭っていた。  麦秋はもともと陰暦四月の別称で、麦の取り入れの時期を表すという。つまり麦畑はなくても成立する季語であり、駅から駅へ私が歩いたあたりも都会と言っていい。しかし戦後間もなくは麦畑が広がる地域だった。あの景色の中に黒スーツの就活女性が歩いていたら…。案外、似合うかな、と思った。(恂)

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北国の天と地つなぐ麦の秋         藤野十三妹

北国の天と地つなぐ麦の秋         藤野十三妹 『この一句』  自然の広さ、大きさが十分に感じられよう。手前は普通の畑か牧草地なのだろう。その奥に黄金色の麦畑が長く横たわっている、という景が見えてくる。「天と地つなぐ」がちょっと気になった。「天地の間に」くらいでどうか、とも考えたが、いずれにせよ句のスケールの前には小さなことである。  前回の句「麦秋や美瑛の丘の空青し」、と同じような風景と言えよう。一方の句が地名を入れたのに対し、こちらは固有名詞を避けて「北国」とした。結果として「美瑛」は句会で高点を獲得し、「北国」は点数の面から言えば、低い評価となった。地名のあるなしの差なのだろうか。  俳句における地名は、季語の次に重要な語なのだという。ただし、地名を入れればいい句が出来るわけではない。安易に地名に頼らない、と決めている人もいる。作者は道内の麦秋を一まとめにして、「北国の」と詠んだのかもしれない。そんな風に考え、「私の麦秋」を思い浮かべることにしよう。(恂)

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麦秋や美瑛の丘の空青し        高石 昌魚

麦秋や美瑛の丘の空青し    高石 昌魚 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 庄一郎 「美瑛」という北海道の地名を具体的に持ってきて印象深い句になった。丘と空の世界に「麦秋」。あの広大な景色をまざまざと思い起こさせます。 明男 あのスケール、本州では見られませんね。空が青いとくれば、まさに絵のような景色だ。 正市 「麦秋」と言えば美瑛(笑い)。美瑛の丘は前田真三という写真家の作品で有名になったが…。私は写真より、このように言葉で表現した方がリアルに感じられる。 水牛 これは固有名詞を生かした句ですね。 昌魚(作者) 実は先週、行ってきました。美瑛と麦秋ではつき過ぎで、まずいかと思いましたが、空がきれいだったので、こう詠んでしまった。           *               *  風景写真は絶対に「真」を写していない。本当の風景は人それぞれの頭の中に残っているのだ。(恂)

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飛魚(とび)の群れ青空の底一直線      直井 正

飛魚(とび)の群れ青空の底一直線      直井 正 『この一句』  作者の視座はどこにあるのだろうか。飛魚の群れが一直線になって飛んでいくのが「青空の底」なのだ。あたかも上空から眺め下ろしているかのようで、作者はこの時、どこにいたのだろう、と考える人がいるかも知れない。しかし私は一読して、そうだ、この句の通りだ、と思った。  私が飛魚を何度も見たのは伊豆七島航路の客船のデッキからであった。飛魚は海面すれすれに飛んで行く。船上からだと、完全に上から見下ろすことになる。下のデッキでも海面から七、八叩∈脳絣なら十辰砲呂覆襪世蹐ΑH魚の群は背を見せている。波に触れたかと思うと、また飛んで行く。  作者も客船のデッキから飛魚の群れを眺め、空から見下ろすような気持ちなったのだろう。俳句ではときどき「空の底」「朧夜の底」のような表現に出会う。ちょっと気取った感じがあり、個人的にはあまり好きではないが、この句の場合は成功したと思う。飛魚ならば、まさに「その通り」だからである。(恂)

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にわか雨土の匂へる土用かな   前島 厳水

にわか雨土の匂へる土用かな   前島 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 暑い土用。俄雨が来ると土が匂うんですね、そういう微妙な感じをうまく詠んだなと思いました。 楓子 乾燥しきった土に雨が降ると、土が匂うような感じがします。その感じを詠んでいるところがいい。 大虫 俄雨が降った途端にじゅっという感じで匂う。匂うように感じるのかも知れませんが。いかにも土用らしいなと思います。 てる夫 理科系じゃないんで専門的な説明は出来ませんが、やはり地面が熱いからなんでしょうね、まさに匂うような感じがします。           *   *   *  一瞬の微妙な感じを素早く捉えた。視覚、聴覚に加えて嗅覚まで働かせて猛暑をまざまざと詠み止めている。問題は「にわか雨」。「俳句は旧仮名表示が原則」というのに従えば「にはか雨」としなければならない。昨日発信の蛍の句の「ようやく」も「やうやく」となる。しかし、現代の読者に素直に受け取ってもらえるかどうか。悩ましい問題である。(水)

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草の闇ようやく蛍二つほど   北澤  淳

草の闇ようやく蛍二つほど   北澤  淳 『この一句』  昨日に続いて蛍の句をもう一句。この「草の闇」とは作者の造語であろうか。雰囲気のある言葉である。小川の岸辺や路傍に雑草が生い茂るさまを言う「草茂る」という夏の季語があるが、夜になればそれが草の闇となる。そこは蛍にとって絶好の住み処。  この句は感じからして、都会の住宅地近傍での蛍狩り風景のようである。近頃は東京はじめ大都市近郊の公園などで小川に蛍を復活させる試みが盛んに行われている。地元の小中学校の課外活動に取り上げられたりしている。  しかし一旦死滅したものを再生するのは並大抵ではない。まず農薬や洗剤などが流れ込まない清流を取り戻すことが絶対条件だ。流れには適当に水草が生え、岸辺には草が繁茂していること。そして蛍の幼虫の餌になるカワニナという小っちゃな巻貝が繁殖していなければならない。そういう条件をクリヤして、自然に蛍が舞い始めるようになれば万々歳。夕涼みがてら近所の人たちが押しかける。出て来る蛍より見物人の方が多い。それでもみんな玄妙な光に見とれて大喜びである。(水)

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自治会館脇の小流れ蛍舞ふ   堤 てる夫

自治会館脇の小流れ蛍舞ふ   堤 てる夫 『この一句』  「おや、こんなところに蛍が」。自宅近くの雑草生い茂る細流に蛍を見つけて驚く作者の表情が浮かぶ。  「自治会館脇の小流れ」、まさにそうなのだ。今年1月に引っ越した長野県塩田平の田畑に囲まれた住まい。ローカル線の無人駅から自宅までわずか百メートルほどだが、その途中に素朴な建物の自治会館があり、前を農業用水路の一部なのか小さな川が流れている。厳しい冬が過ぎ春になると、岸辺にタンポポ、げんげ、イヌノフグリなどが可憐な花をつけ、やがて水が隠れるほど草が伸び始めた。そこに6月、蛍が出現したのだ。  大都会に何十年も住み暮らし、蛍と言えばホテルが客寄せに放つ「納涼蛍狩り」で見たことがあるだけだ。自然に繁殖し、舞飛ぶ蛍の美しいこと。真の闇のなかを青白くふわふわと、時にはすーいすいと動くはかなげな発光体を追いながら、「便利」を捨てて、田舎に終の棲家を求めたことは間違っていなかったと、しみじみ噛みしめた。(水)

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