夏菊や笑顔つくれば生き易し   金田 青水

夏菊や笑顔つくれば生き易し   金田 青水 『季のことば』  菊は秋のものだが、古来、日本で改良に改良が重ねられて、春夏秋冬花咲かすようになった。中でも花の少ない夏場にせっせと咲く夏菊は、仏壇に花を絶やさないように心がける奥床しい人たちに重宝されてきた。  というわけで、江戸時代には夏に咲く小菊が既にたくさん生まれていた。白、黄、薄紅、紫青といろいろの花色があり、とても丈夫で、庭先に植えっぱなしにしておいても毎年夏になると咲いてくれる。しかし秋の大輪の菊とは大違い。小輪でいかにも地味である。もっとも近年、欧米で改良された小菊が逆輸入されており、これは青目玉が好む、極めて派手な色をしている。  作者は「小難しい世の中も笑顔を見せれば何事もスムーズに行きますよ」と言い、それに夏菊を配した。とても良い取り合わせではないか。  毎日、笑顔など見せようがない嫌なことが次々に起こるが、そこは気の持ち様だ。突拍子もない言い方だが、山口の山奥の大量殺人放火事件だって、村のみんながこういう風に接してやれば、あの凶悪犯をあそこまで追い詰めずに済んだのかも知れない。(水)

続きを読む

海の日や空を見ている土踏まず   須藤 光迷

海の日や空を見ている土踏まず   須藤 光迷 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 面白い。甲羅干しでしょうね、うつぶせに寝そべればこうなるんだ、実に面白い。 明美 視点が面白い。「土踏まず」をよく思いついたなーと。 定利 海岸で若い子が甲羅干しをしている。足の裏が真っ白でよく目立つ。それが空を見ている、これを俳句にしたセンスがいい。 誰か じろじろ見て叱られなかったですかね。痴漢でーすなんて(大笑い)           *   *   *  ふだん地面ばっかりしか見ていない足裏の土踏まずに空を見せた。このユーモアとウイット溢れる句作に拍手を送る。「海の日や」なんて言ってるが、もしかしたら面倒臭がって海水浴場なんかには行かずに、自宅の縁先に寝茣蓙を敷いてごろごろしているだけなのかも知れない。そうだとしたら、一層面白い。(水)

続きを読む

右向いて左向いても暑さかな   山田 明美

右向いて左向いても暑さかな   山田 明美 『合評会から』(日経俳句会) 正市 身近な場面の何気ない動作を、そのまま大胆に割り切って表現している。 定利 そう「右向いて左向いても」という表現が暑さを倍増させてるね。「右左」の使い方がうまいな。 智宥 何しても暑い、どこへ行っても暑いを「右向いて左向いても」。うまいな。 光久 如何ともしがたい暑さの巧みな表現。 佳子 これ寝返りを打ってるところなんじゃないですか。 それぞれ 「ああそうか、熱帯夜ですね」「なるほどね」「気が付かなかった」           *   *   *  句会には「何しても何をせずとも暑さかな」という句も出て、両者の優劣をめぐる議論もなされたが、実は両方とも同じ作者と分かって会場大爆笑。「寝返り論」も出たが、作者によると「ただ暑いことを言いたかっただけ」で寝返りまでは考えなかったという。そう、この句は暑い暑いということを言ってるだけなんだけど、それが実に面白い。(水)

続きを読む

浴衣ほどく母の縫ひ目の確かさよ      田中 頼子

浴衣ほどく母の縫ひ目の確かさよ      田中 頼子 『合評会から』(日経俳句会) 佳子 今どき、浴衣をほどいておむつにするなんてことないでしょうね。理由はともかく、浴衣をほどいて、お母さんの裁縫の確かさを再認識した。しっかり者のお母さんを思い出したのですね。 弥生 作者はしっかりしたお母さんに育てられたのだ、と。そんなことばかり思っていました。 碩 浴衣の縫い方を見て、お母さんを思い出している。いい句ですね。 恂之介 浴衣をほどいて、母親の縫い方を再認識した。一針一針の幅が一定で、縫い方もしっかりしているんでしょう。上手な句ですね。 水牛 そう、本格的な句だ。             *          *  中学校の家庭科に運針というのがあった。女だけでなく、男もやらなければならなかった。針を指にさし、痛い思いをして周囲を見渡すと、進み方は概して女の方が早かった。中でも背が高く勉強のよく出来る女生徒の縫い方が目立っていた。あの子ももう、後期高齢者なんだ、と思った。(恂)

続きを読む

たちまちに諏訪を消したる夕立かな     吉野 光久

たちまちに諏訪を消したる夕立かな     吉野 光久 『この一句』  中央自動車道の往還で諏訪湖の脇を何度か通ったことがある。諏訪湖に添って走るのは数分間、距離にして四、五キロだろう。東京方面からだと右手に諏訪湖が広がり、その周囲に諏訪の町が広がっている。あの景色が夕立の襲来によってたちまち消えるという、何ともスケールの大きな句柄である。  自動車道から諏訪湖や諏訪の町の全てが望めるわけではない。四分の一ほどが見えたかと思うと、消え去り、また現われては消える。とはいえ、その時の視界が全て夕立の中に没したとしたら、「諏訪を消したる」と言い切って一向に構わない。句会で最初にこの句を見たとき、そんなことを考えていた。  合評会で、登山家の冷峰氏からこんな発言があった。「高ボッチ山、あそこなら諏訪と諏訪湖を全て見渡すことができる」。家に帰って早速、地図を広げた。諏訪湖の北北西約八キロ、標高は一六六五メートル。私はその頂上に立った。諏訪湖と諏訪の町を夕立雲が覆っている。その下では沛然たる雨が……。(恂)

続きを読む

向日葵や木に竹を接ぐ鉄面皮        大澤 水牛

向日葵や木に竹を接ぐ鉄面皮        大澤 水牛 『この一句』  常識外れの酷いことを言って批判の的になったのに、木に竹を接ぎ、竹にプラスチックを接いだような言辞を繰り返す人がいる。ある政党のトップがその典型で、強気を崩さず、ついには自分に正当性があるような態度さえ見せるようになった。鉄面皮と表現するほかはないだろう。  同じ政党の共同代表も、初めはこの人の言葉を支持していたのに、利あらずと見れば、批判派に転じ、党の立場を守ろうとした。与党のトップ、すなわち首相にも同様の傾向が見えているが、もちろん政治家だけではない。ビジネスの社会にも自分の言葉に責任を持たぬ人たちがいかに多いことか。  思いが胸中に膨れ、溢れ出たような句である。それだけに俳句らしくない俳句であり、難解な面もあるが、私は以上のように解釈して「その通りだ」とうなずいた。「向日葵」をどう考えるべきか。私はこの花に、不快な人々と対照的な清々しさを思い描いた。青空の中に高々と立つ夏の花の姿である。(恂)

続きを読む

新宿の路地よりぬっと夏の月      大倉 悌志郎

新宿の路地よりぬっと夏の月      大倉 悌志郎 『合評会から』(日経合同俳句会) 綾子 「ぬっと」というのが夏の月らしいですね。 冷峰 新宿の路地は二丁目にいくつか残っているくらいだが、銀座や池袋にはない雰囲気がある。その路地に月が「ぬっと」出てきた。気に入りましたね、この句は。 明男 どこでも見られるような光景かも知れませんが、あの新宿の路地だからいいんです。私はこの句から、ひときわの静寂を感じました。 柏人 率直かつ骨太な句で、今回、一番気に入ったが、「より」とあるのが残念だ。ここは「から」でなくてはならない。廃屋のお化けが出てきたときは、「廃屋から」に決まっているではないか。             *            *  路地のイメージはさまざまである。細い路、寂しい路、賑やかな路、怖い路、変な臭いの漂う路――。作者の自宅は新宿区にあるから、商業地に近い住宅地の路地を詠んだのかも知れないが、気にすることはない。俳句というものは発表したとたん、読み手のものになってしまうのだ。(恂)

続きを読む

暑き町遠見の木々の揺らぐかな   水口 弥生

暑き町遠見の木々の揺らぐかな   水口 弥生 『季のことば』  「暑し」は夏の季語と言ったら、「バカじゃないの」と笑われるかも知れない。当たり前のことを今更のように言うのは愚の骨頂である。しかし、俳句が俳諧とか発句とか言われた江戸時代から「暑し」(暑さ、暑苦し、暑、暑気、暑熱)は夏場を通して盛んに詠まれた大きな季語で、これは現代俳句でも変わらない。  「寒し」という冬の季語に相対するものだが、寒い方は重ね着などでなんとかなるにしても、暑さの方はどうにもしようがない。今でこそエアコンという有難い装置で暑さをしのげるが、昔、と言っても昭和40年代までは大変だった。熱中症という言葉は無かったが、「暑さ当たり」で参ってしまう人が続出した。  この句はちょっと思いつかないような風景を示して、「暑し」をうまく詠んだ。おそらく盆地か谷間の町で暑さがこもってしまう地形なのだろう。遠くに見える木立や並木が揺らいでいる景色を詠んでいる。これは急激な日射で熱せられた空気が立ち上ることによって生じる揺らぎで、春の季語の陽炎や蜃気楼と同じような現象を激しくしたものであろう。(水)

続きを読む

ゴムぞうり底を貫く暑さかな   村田 佳代

ゴムぞうり底を貫く暑さかな   村田 佳代 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 むかし海水浴で履きましたが、「底を貫く暑さ」と言ったところが、なるほどそうだなあと、懐かしく感じられました。 てる夫 まさに砂が焼けている感じが伝わってきますねえ。実感があります。 正裕 ほんとに暑い感じがします。           *   *   *  弾力のあるゴムスポンジ板に鼻緒をつけたビーチサンダルだが、あれが流行りだしたのは1960年代半ば頃だったろうか。東京オリンピックが終わって、さあ次は大阪万博だと、日本がすこぶる元気に本格的に立ち上がった時期である。それまでの海水浴場での履物は藁草履や下駄、西洋式のサンダルだった。時には足袋をはいている人もいた。それが軽やかなゴム製でしかも鼻緒式。軽快でしかも安いのが受けてあっという間に広まった。日本だけではなく、アメリカでもヨーロッパでも持てはやされ、たちまち全世界に広まった。  ゴム草履を通して伝わって来る熱気。足の裏で感じる猛暑。言われてみればほんとにそうだなあと思う。(水)

続きを読む

向日葵や静まりかへる老団地   大石 柏人

向日葵や静まりかへる老団地   大石 柏人 『この一句』  団地の中庭の植え込みに、向日葵がすっくと立って元気よく咲いている。しかし、あたりはしんと静まりかえって、まるで人の気配がしない。向日葵がはなやかで賑やかなだけに、この静けさがなんとも異様に感じられる。  もちろん無人というわけではない。空き家が目立つようになったとは言え、居住者はそこそこいる。しかし、その多くは年金暮らしの老夫婦世帯で、日盛りの日中は室内に閉じこもっている。したがって日中は一見無人区域の様相を呈する。作者はそれを「老団地」と言う。  高度成長時代、首都圏郊外には続々と大規模団地が造成され、地方から上京して就職し家庭を持った若夫婦が住み着き、子供を産み育てた。団地は赤子の泣き声や子どもたちの歓声に沸き返り、まさに輝く向日葵のような、溌剌たる空気に満たされていた。やがて子供たちは成人し巣立って行き、老夫婦が残った。中には連れ合いを亡くした独居老人も少なくない。年々歳々、誰が植えるのか向日葵だけが旺盛に育ち花咲かす。年寄りにはちょっと眩しすぎる大仰な円盤花である。(水)

続きを読む