どくだみや余生の日々の長きこと       片野 涸魚

どくだみや余生の日々の長きこと       片野 涸魚 『この一句』  どくだみという雑草の評価は単純に決められない。悪臭を放つ。ほおっておけば庭を埋め尽くすほどに広がっていく。地下茎を張り巡らしているから根絶は難しい。しかし十薬と呼ばれるように、薬剤としての用途は多く、白い十字花が咲き揃うと悪役的な側面を一掃するほどの美しさをみせる。  さて、そんなどくだみと余生の関係。俳句になじみの薄い人だと、「はてな」と首をひねるかも知れない。ところがこの句、句会では相当な支持を得て高点句となった。俳句をやっている人なら、何となく感じるものがあるのだ。ただ、この句を選んだ理由を問われると、誰もが言い淀むのではないか。  俳句の難しさ、面白さ、奥深さは、こういうところにあるのだろう。例えば余生に、どのような花を配するとぴったりくるのか。桜、梅、薔薇、紫陽花、朝顔、萩、山茶花――。思いつくままに花の名を挙げてみると、どれも「余生への思い」に合いそうな気もする。しかしそれらと、どくだみの花を比べたらどうか。後期高齢者の私などは、どくだみに勝る花はない、と思ってしまうのだ。(恂)

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