夏めくやメタセコイアの長き道   廣上 正市

夏めくやメタセコイアの長き道   廣上 正市 『この一句』  メタセコイアという木は約二億五千万年前の中生代から新生代第三紀の今から五百三十万年前頃まで、北半球の至る所に繁っていたようだが何らかの事情で絶滅、1941年に日本の植物学者三木茂が和歌山県などで発見した化石を研究し別種の杉であるとしてメタセコイアと命名した。ところが45年になって、湖北省利川市の渓谷で生きているメタセコイアが発見された。それで「生きている化石」と戦後一躍有名になり、挿し木や種蒔きで簡単に増やせることもあって各地で植栽されるようになった。  冬に落葉する針葉樹で、春の芽吹き、初夏の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉といずれも美しい。この句は爽やかな新緑のメタセコイア並木を詠んだものだろう。フィトンチッドを豪勢に降り注いで、実に気分爽快な句である。  見に行きたいと思っているのだが、琵琶湖の西岸滋賀県高島市には長さ二・四キロに及ぶメタセコイア並木があり、紅葉の名所百選になっているという。しかし美しいからと自分の庭に植えるのはよした方がいい。一年で一メートルくらい伸び、終いには高さ三〇メートル以上、幹回り五メートルにもなってしまうからだ。(水)

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塵取に集めても薔薇の匂ひかな       澤井 二堂

塵取に集めても薔薇の匂ひかな       澤井 二堂 『この一句』  久しく薔薇の香りを感じたことがなかった。二十年も前、よく咲いていたつる薔薇を、家の改築のために抜いてしまってからのことと思う。以来、意識して薔薇の香をかぐこともなく今日に至ったのだが、この句を見たとたん、あの香しさを思い出した。嗅覚とは不思議なものである。  作者はアマ園芸家と言えるほどの植物好きだから、薔薇ももちろん栽培しているのだろう。初夏を迎え、薔薇が次々に咲いては散っていく。その花びらを箒で掃き寄せていたら、塵取りの中から薔薇の香がふわと漂って来た、というのだ。いままでよく咲いてくれた、という気持ちを持っているから、匂いを感じ取ることが出来たのかも知れない。  よくそこに気づいたものだ、と称賛しつつ、句について感想を一つ述べさせて頂きたい。「集めても」の「も」は必要かどうか。散って後も、塵取りに集められても、という気持を押え、「も」を外して鑑賞してみたい。五七五の定型に収まるから、という以上の意味を持っているのではないだろうか。(恂)

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風光る未完の塔の五百年          須藤 光迷

風光る未完の塔の五百年          須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 これは、てる夫さんと百子さんの地元(長野県上田)、前山寺(ぜんざんじ)の三重塔ですね。 てる夫 あの塔は窓とか勾欄とか、まだ出来ていないところがありますが。交響曲の「未完成」のように整っている。未完成ながら光輝く時があるんですね。 正裕 寺社の建築には未完のままにしておく、という慣わしのようなものもあるようですが。 而雲 私は「未完の塔」という、句のムードに魅かれました。ただ、「風光る」(春の季語)は時季的にちょっと遅くないですか。夏の季語だと、全く別の句になってしまうけれど。 光迷(作者) そのことも考えましたが、やはり実際に見た時の感覚を生かしたかったので……。わざわざ夏の季語に変えることはない、これで行こう、と決めました。               *        *  句会への投句に、過去の季の作品は出さないのが普通である。兼題も次の例会に合わせるので、例えば梅雨入り前に梅雨の句を作って、句会に臨むことにもなる。作者は、そんな傾向に一石を投じた。(恂)

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紫陽花の開花のたより信濃から       井上 啓一

紫陽花の開花のたより信濃から       井上 啓一 『この一句』  この句を見て、杉田久女の「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」を思う人が多いはずだ。山本健吉が「調子の張り切った秀吟」「微塵ゆるぎもしない」などと絶賛を惜しまなかった句である。確かに名句だと思う。しかし久女の句には、信濃あたりに咲く紫陽花へのアマチュア的な疑問、なしとはしない。  例えばこのようなことだ。長野の寒冷地では紫陽花の開花は遅いと思う。しかし秋冷の頃まで咲いているのだろうか。もしかしたら枯れてしまっているかも知れない。果たしてこの紫陽花の花は秋空のような色なのか、枯れた薄茶色の花なのか。解釈の上で大きな相違が生じてしまう。  そこで作者は信濃の知人に「紫陽花の開花はいつ頃か」と訊ねて、その返事を貰ったのだと思う。開花は意外に早いじゃないか、紫陽花の花期は一か月くらいか、すると久女の紫陽花の花は――。この句はそのあたりをあっさりと詠みこなした。座五の「信濃から」が、久女の句に対応して軽快である。(恂)

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黴匂ふ志功装丁初版本           玉田春陽子

黴匂ふ志功装丁初版本           玉田春陽子 『この一句』  若そうに見えて、話すことはけっこう古い。そういう作者の句だから、「ははぁ、アレだな」とすぐに思いついた。棟方志功の装丁本とくれば、昭和三十年代に出版された谷崎潤一郎著の一連の小説や随筆集に違いない。中でも世に大きな話題を巻き起こしたのが、シリーズの先頭を切った「鍵」である。  句会では、やはり「鍵」に話が及び、初版本はいま何万円もの高値になっていると知った。家に帰って書棚から取り出し、「もしかしたら」と奥付を確かめたら、初版数カ月後の再版で何と十二版。自分の欲張りを笑いつつ、売れ行きの凄さを再認識した次第である。ちなみに定価は三百五十円であった。  ぱらぱらとページを繰ると、カタカナ書きの「日記」の中から蠱惑的な老人セックスの世界が甦って来た。あの頃、二十歳前後の若者がもう後期高齢者になっている。谷崎文学はいま、どう捉えられているのだろうか。「黴(カビ)臭いかな」、と本に顔を寄せてみたが、それほどでもなかった。(恂)

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黴臭き畳表や一人旅   加沼 鬼一

黴臭き畳表や一人旅   加沼 鬼一 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 新婚さんや団体さんは歓迎だけれど、一人旅の客はどの旅館もあんまり歓迎しない。(予約してなくて)ふりで行ったりしたら、変な部屋に押し込められて、妙に黴臭かったり・・。一人旅の感じがよく出ています。 百子 一人旅が効いてますね。部屋に案内されたら、おやおやという感じでね、うらぶれて、少々寂しい感じ。まあ私も一人旅で時々こういうのがありましたが(大笑い)。           *   *   *  侘びしい風情が漂って、いい句だなと目を止めたのだが、「畳表」というのに引っ掛かって句会では見送ってしまった。畳全体が臭うわけなんで、わざわざ畳表と言う必要はないんじゃないかと思ったのである。「黴臭き六畳間なり一人旅」などとした方がいいようにも思った。ただこうして改めて見直してみると、やはり捨てがたい。畳表がなんとなくしめっぽくて、ところどころ毛羽だったり、シミが浮いたりしているのだ。これはまさにかなりの「黴の宿」である。(水)

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四十雀婚活上手口達者   谷川 水馬

四十雀婚活上手口達者   谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 これは前の小江戸女の句と違って至極分かり易い。四十雀はツッピーツッピーとうるさいほどお喋り。これで婚活してるわけで、それをうまく人間世界に持って来て詠んでいる。口達者というのがいかにも・・。 而雲 これ「婚活上手の」とわざわざ「の」を入れて八音にしてますが、「の」は要らないでしょう。全部漢字にしちゃった方が面白くなる。(賛成多数で「の」は削除)。口達者な婚活上手だからすぐ結婚しちゃうのかと思ったら、意外に選り好みしたりして、婚活そのものを楽しんでる。そんな風情がうかがえます。           *   *   *  この句は滑稽味があって、あっけらかんと明るい感じの句だが、その実、底にはうら悲しさを潜めていると受け取った。男にも女にも、どちらにも当てはまるが、良き伴侶を得んものとしきりに婚活に精を出す。なかなか見つからない。そのうちに場慣れしてしまって、口達者な婚活上手になってしまう。こればかりは熟練は願い下げなのだが。(水)

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四十雀小江戸女の昼下がり   高井 百子

四十雀小江戸女の昼下がり   高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 小江戸、小正月、小六月、小股が切れ上がった・・・私は「小」に弱いんです、すぐ採っちゃう(大笑い)。小江戸女なんて、どんな女か分かんない。でも、なんとなく色っぽい感じもして・・。面白いなと。 大虫 川越でしょうかね。とにかく、江戸のちゃきちゃきじゃなくて、ちょっと訛る(笑い)、でもちょっとお洒落、というところが四十雀と相通ずるところがあって・・。一人じゃなくて複数なんでしょう、小江戸女が二、三人でおしゃべりしてるんじゃないかな。 てる夫 川越は江戸文化を引いた町ですからね。四十雀と合ってます。 而雲 川越って、僕の降りる駅のずっと先のね、田舎なんだなあ。もうちょっと粋な所がいいなあなんて思ったりして・・(大笑い)。 正裕 「昼下がり」がどうでしょう。「小江戸女の立ち話」などとした方が良かったんじゃないでしょうか。           *     *     *  賛成反対飛び交う句であった。確かに「小江戸女」というのがよく分からない。「昼下がり」も取って付けたようだ。それなのになんとも面白い。(水)

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宿題の観察続くパンのカビ   今泉 而雲

宿題の観察続くパンのカビ   今泉 而雲 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 理科の実験の宿題なんでしょうが、私にはこういう経験が無いので、とても思いつかない材料です。新鮮で、感心しました。 光迷 私は、そういえばそういったことがあったよなァ、という懐かしさを感じました。黴を観察するという、明るく詠んでいるのがいい。 水馬 モチーフがいいですよね。宿題にパンのカビの観察とはね。           *   *   *  作者によるとむかしむかしの小学生時代の思い出で、餅でも他の食べ物でも何でもいい、黴を生やして観察日記を付け、決められた日に現物を学校に持って行く宿題だったのだそうだ。  「黴」という兼題で出て来た句は「じめじめ」「匂い」「蔵」「暗い座敷」といった素材が圧倒的に多く、どうしても陰気な感じのものが多かった。その中でこの作品はとても明るい。青、赤、黄色といろいろなカビに見入っている子供の表情が見えるようだ。詠み方を工夫したまことに新鮮な黴の句である。(水)

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