夏めきて雑巾ぬってみたくなる       池村実千代

夏めきて雑巾ぬってみたくなる       池村実千代 『合評会から』(日経俳句会) 定利 暑くなってくると、廊下や雨戸の桟などに汚れが目立ちます。ボロきれでも縫って、雑巾にしてみたくなる気持ちはよく分かります。「夏めく」に「雑巾」というのがいかにもいいですね。 昌魚 私は死んだ母親を思い出しました。よく、雑巾縫わなくちゃ、と言っていたので。 啓明 冬は水が冷たいし、夏になったら縫いましょう、という雰囲気がよく出ている。 弥生 ざっくばらんな口調で詠んでいますが、夏めいてきた頃の作者の気持ちがよく分かります。 万歩 雑巾が古い浴衣だと、なおいいですね。 実千代(作者) 掃除をしなくてはいけない時、必ず雑巾を縫ってから始めなさいと言われて育ったので……。夏めいて、掃除しなくてはと思うと、まず縫いたくなるのです。             *          *  この句を見て、ピンとくる人、何でと思う人、反応はさまざまだろう。しかし上記のようなコメントを聞けば、誰もが納得できる。日本のよさも再認識する。句会の効用というものだろう。(恂)

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夏めくや新潟平野水光る          大倉悌志郎

夏めくや新潟平野水光る          大倉悌志郎 『この一句』  夏の新潟に何度も行ったことがあるが、私の印象にある新潟平野(越後平野)の水は、信濃川や阿賀野川の大きな流れであった。列車や車の窓から見た川面は、いつも夏の日を受けて、まぶしく輝いていた。それで「あの情景だな」と思い込んでしまい、この句の解釈を誤ってしまった。  句会の合評会で、こういうコメントが出た。「これは『田水引く』(夏の季語)のことでしょう。田植えを前に一斉に田の堰を切って、水を入れる。越後の広大な田がキラキラ光って、雄大な景色ですよ」(水牛)。作者も「その通り」と認めたのだが、私の頭の中に田水の光る景がなかなか浮かんでこない。  やがて気づいた。私が夏の新潟に行ったのは、いずれも新潟競馬観戦のためであった。時期はいつも七月末か八月の初めだから、田んぼはすでに青田になっていた。勢いよく伸びた稲が田を覆っていて、田水は見えなくなっていたのだと思う。この句の時期は言うまでもなく、「夏めく」頃である。私はこの句に真夏の景色を当てはめていたのであった。(恂)

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夏めくや子等にでつかい背番号       横井 定利

夏めくや子等にでつかい背番号       横井 定利 『季のことば』  はずかしながら「夏めく」は「春の季語」と思い込んでいた頃があった。最近、この季語について「へぇ、夏なのか」という声を聞いたから、間違えて考えている人がけっこういるらしい。辞書によれば、「いかにも夏の感じがする」こと。いよいよ本格的な夏になった、というのが「夏めく」である。  ならば、といま、あたりを見回せば、「夏めく」ものがひしめいている。空、海、山、田んぼ、畑、陽光、風、物音――。植物も動物も、もちろん我々の営みも、森羅万象ことごとく夏めいてきた。ところがそれらを題材にして、いかにも「夏めいたもの」をストレートに詠むと、よく言う「付き過ぎ」になり、出来のよくない句になりがちである。さてどうしたものだろう。  老練な作者はこんな時、「子等のでっかい背番号」のような変化球を投じてくる。これがなぜ「夏めく」なのか、「この背番号はサッカーか、野球か」などと考えざるを得ない。やがて強い日差しの下、元気な子供たちの姿が浮かんできて、「なるほど、これは夏めいた風景だ」と納得するに至るのである。(恂)

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恩師百われ八十二薔薇盛る         直井 正

恩師百われ八十二薔薇盛る         直井 正 『この一句』  恩師とは師に対する敬称だが、心から「恩師」と呼べる先生の条件とは? 私(筆者)は個人的にこう考える。何と言っても素晴らしい先生であり、尊敬できる人でなければならない。さらに小・中・高校の場合は卒業年度の担任で、同窓会やクラス会になるべく出てきて下さる、という条件が加わる。  この後半の条件を満たす先生はめったにいない。教員生活を四十年送ったとすれば、卒業年度生の担任を十回近く受け持つことにもなるだろう。その全ての同窓会などに顔を出すのは至難の業と言うほかはない。先生と卒業生たちとの相性、幹事の努力などもあって初めて可能になるのではないか。  「恩師百われ八十二」。素晴らしいではないか。中学校の時の先生だという。年齢差は十八だから、作者らを中学から送り出した時の先生は三十三歳だった。それから七十年近くも先生と生徒の関係が続いている。昨年まで、先生は毎回、クラス会に出席されていたのだが、今年は欠席されたそうだ。そのため作者は、この句を先生に贈ったということである。(恂)

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雲浮かぶ夏めく空に句も浮かぶ   山田 明美

雲浮かぶ夏めく空に句も浮かぶ   山田 明美 『この一句』  この駄洒落、今流にはオヤジギャグと言うのか。なんとも人を食った、バカバカしい句で、思わず大笑いしてしまった。そう思う人が多いのだろう、句会では大いに人気を呼んだ。  翌日になって読み返してみると、この句はバカバカしいだけではないなと思うようになった。「句も浮かぶ」というのが単なる語呂合わせではなく、なるほどこれは気持の良い初夏の空を言い当てている感じなのである。初夏の真っ青な抜けるような空にぽっかりと雲が浮かび、それがゆるゆると動くのを見上げていると、5・7・5が浮かんで来そうだというのだ。確かに誰もがそんな気分になりそうだ。  芭蕉が排斥したために影を潜めた貞門派、談林派の俳諧にはこの種の句が沢山あった。幕末・明治初期にもこうした滑稽句が結構幅を利かせ、それを子規は徹底的に貶めた。そんなわけで俳句は今では「真面目」が主流になっているが、根っこにはこうしたアッケラカン精神が流れている。こういう気分を大事にすることで、俳句はふくらみを持つ。(水)

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ふたとせも人入れぬ町花いばら   田中 頼子

ふたとせも人入れぬ町花いばら   田中 頼子 『季のことば』  東日本大震災によって破壊された東京電力福島原子力発電所。そこから絶え間なく発散される放射性物質により、付近の大気、土壌、海洋は放射能汚染にまみれ、震災から二年たった今も原発から半径20キロ以内の地域は立入禁止になっている。  この句の作者は浄土真宗の僧侶でもあり、震災発生直後から現地で被災者への支援活動を熱心に行ってきた。今でも暇をみては現地に赴いている。二年間も無人のまま放置された村は一体どのようになっているのだろうか。時々、防護服に身を包んだ人たちが短時間視察に訪れ、その時に撮された映像がテレビで紹介される。放置された犬や鶏や牛などが映ることもある。  ゴーストタウンと化した町並みには草木が生い茂り、一台の車も通らない道路には吹き過ぎる風が砂塵を巻き上げる。道の辺には花茨が白い花を咲かせている。日本固有の野薔薇、初夏の訪れを告げる花。しかし、馥郁たる香りを嗅ぐ人も、清楚な花を愛でる人もいない。花いばらは、「絶対安全神話」に胡座をかいていた人間を哀れんでいるかのようである。(水)

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夏めくや麻の上着の背中皺   徳永 正裕

夏めくや麻の上着の背中皺   徳永 正裕 『合評会から』(日経俳句会) 正市 何と言っても「背中皺」という言葉ですね。通勤電車から降りる時に背中を見せたところなんでしょう。うまく詠んでいます。 弥生 これは中年以上の人の背中でしょうね。単なる麻上着の皺ではなく、人生というものまでも語っているように思えて、奥深いなあと。 実千代 麻の上着はすぐに皺になります。そういう上着を着た中年男性、いかにも夏だなあという感じです。 啓明 そうなんですよね、麻の上着とくれば夏ですし、麻はすぐにしわくちゃになるしで、全体として極めて当たり前のことを言っているに過ぎないのですが、いかにも夏が来たという感じがします。 佳代 「麻の上着の背中皺」とリズムがとてもいいのが、いかにも夏らしい。           *  一時はほとんど姿を消した麻の上下や替上着だが、近頃また流行りだした。これを句材に取り上げ、しかも座り皺に眼を止めたところがいい。何よりもトントントンとたたみ掛けるような詠み方が気持がいい。(水)

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足湯して湖越しの夏の山   大沢 反平

足湯して湖越しの夏の山   大沢 反平 『合評会から』(酔吟会) 臣弘 諏訪に行ったとき足湯があったので、使ってみたらとても気持よかった。ちょっと素人っぽい詠み方のようにも思うけど、広い風景の中で足湯に浸る気持の良さが伝わって来る。 てる夫 足が疲れて足湯して、気分爽快になった。その時に見えた湖越しの夏の山。ここはどこだろうと、自分がこれまでに行ったいろいろな場所を思い出しながら考えたりする面白さもあります。 操 ひととき時間を忘れてリフレッシュする。気分爽快にさせてくれるいい句です。             *  確かにこの句は臣弘さんが言うように、夏休みの宿題帳の絵日記のような感じがするが、それだけに奇を衒うところがなくて、読む者の脳裡に気持の良い風景がぱっと浮かぶ。作者によれば、これは那須から日光に出る道で、人工湖を前に足湯があり、初夏の新緑、秋の紅葉が殊の外綺麗だという。しかし、どこと特定する必要はない。誰の心にもこういう風景は宿っているから。(水)

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完治告げられて飲み干すラムネかな     吉野 光久

完治告げられて飲み干すラムネかな     吉野 光久 『この一句』  医師に「完治しました。もう大丈夫ですよ」と告げられたのだから、こんなに目出度いことはない。「よかったなぁ」というのが、句友の共通した気持ちであった。そこで作者はラムネを飲み干した。こちらは「美味かっただろう」と「ビールを飲めないのは残念だろう」という二通りの感想に分かれた。  この句への思いは、おおよそ作者に向けられるが、私は敢えて言いたい。作品の主役はあくまでも「ラムネ」である。ソーダーが湧き立ち、適当な抵抗のある味わい。アルコールが飲めない場合の「乾杯」に最適ではないだろうか。あれをぐっと飲み干せば、闘病の辛さも吹っ飛ぶに違いない。  サーダーやコーラだって同じようなものかも知れない。しかし夏の季語であるラムネには、他の飲み物にない特徴が備わっている。ビー玉の栓をポンと抜き、続いて細い飲み口からシュワッと湧きあがってくるあの爽快感だ。大病完治の乾杯用として、ラムネ以上に相応しい飲み物が他にあるだろうか。(恂)

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小さきバラ一輪挿しにぴったりと    藤村 詠悟

小さきバラ一輪挿しにぴったりと    藤村 詠悟 『この一句』  ミニバラ、ミニチュアローズなどと呼ばれる薔薇がけっこう人気だという。花の大きさは数センチ、赤、白、黄など色は豊富で、鉢に植えておけば、次々によく咲く。園芸店で手に入るし、プレゼントに鉢を貰うこともあるだろう。そんな小さな薔薇が一輪ざしにぴったりだった、という句である。  何だ、それだけのことか、などと言うなかれ。この種の薔薇は株を弱らさないように、なるべく早めに切った方がいいそうである。せっかく咲いたのに、可哀そうに、と思いつつチョキンと切ることにもなる。ところがそのミニバラを小さな花瓶に挿したら、思いのほか似合ったのであった。  薔薇と言えば、まず庭に咲かせる大輪やつる薔薇を思い浮かべてしまう。しかし庭やベランダのない家でも、窓辺に小さな鉢をおいただけで、薔薇作りを楽しむことができるのだ。ちなみにこの句の一輪ざしは、友人の陶芸家の作だという。朝、一輪切って、お気に入りの小さな花瓶に挿して、テーブルの上にでも置いたとしよう。一家に小さな幸せが漂うのではないだろうか。(恂)

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