梵鐘の音地に沈む余寒かな     徳永 正裕

梵鐘の音地に沈む余寒かな     徳永 正裕 『季のことば』  「余寒」と「春寒(はるさむ)」はどう違うのだろうか。ある歳時記には「春でありながら寒いのが春寒。寒が明けてもまだ寒いのが余寒」とあった。別の歳時記は「余寒とは春に至りて寒気の残ること。春寒とは心持に微妙な相違がある」。また別の歳時記は「春寒しと余寒は大体、同じである」。  二つの寒さは、違っているが、同じようなもの、ということだ。まあ、三番目の歳時記のように、「大体、同じ」と見なしておけば無難だろう、と思っていた時に、この句に出会った。余寒の夕方だろうか。寺の鐘の音が「ごぅ~ん、ごぅ~ん」と響いてきて、地中に沈んでいくような感じがする、というのである。  鐘の音が腹の底に響くようで、なるほど、これが「余寒」というものか、と身震いした。しかし、なぜ「余寒」なのか、なぜ「春寒」ではいけないのか、と考えても、理由ははっきりしない。それでいて絶対に「余寒」である、という結論は動かし難い。俳句ではよく、こういうことがある。(恂)

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