のどけしや不動の索もたゆむほど    加沼 鬼一

のどけしや不動の索もたゆむほど    加沼 鬼一 『この一句』  「不動の索」とは何だろうか。 辞書類で調べたところ、不動明王の持つ綱のようなものが「索」であるという。羂索(けんじゃく)とも言い、生き物すべてを受け入れ、救いあげる綱なのである。確かにお不動様は左手に輪のようなものを持っている。あれでわれわれを救って下さるのだろう。  そこまで分かれば、この句の理解は容易になる。のどかな一日、お不動様の索は金属でも木製であっても、弛(たゆ)むほどの日和。太陽はあまねく大地を、人間を、生き物を照らしている。お不動様は索をさらに緩めて、一人残らず、一匹残らず、恩愛を施して下さるということなのである。  名句に詠まれた仏像と言えば、鎌倉の大仏、百済観音、弥勒の半跏思惟像あたりか。それらと比べると不動明王は俳句向きではないかも知れない。しかしこの句を見ていると、力士が子供に見せるような優しさも感じられよう。憤怒尊ながら、のどかな雰囲気にぴったり、と思わせるから不思議である。(恂)

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縁談を笑ひとばして桜餅        大澤 水牛

縁談を笑ひとばして桜餅        大澤 水牛 『この一句』  母親や叔母(伯母)、祖母なども集まった「家族内女子会」のようである。桜餅を頂きながら談論風発というところだろう。休日だったので家にいた娘が「あら、叔母さんたち、いらっしゃたの?」などと言って部屋に入ってきた。話題はたちまち娘の結婚のことになり、集中砲火を浴びることになる。  もう十年も繰り返されてきたことである。初めの頃は、鬱陶しいなぁ、と迷惑がっていた娘も、もはや動じることはない。「あはっは」と豪快に笑って、叔母さんたちの舌鋒をいなしている。「キャリアウーマンだものね」「仕事がいそがしいのでしょ」と、向こうも娘の立場を理解してきたようだ。  句会の合評会では「好きな人がいると思う」「適齢期を過ぎた悲哀も」「縁談を秘かに期待しているのでは」などうがった観測も出た。この句、NPO双牛舎で行われた連句の発句に推されている。脇を受け持った私は「外国人の部下と甘酒」とつけた。こういうケースもあり得るだろう、ということである。(恂)

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午後からは桜吹雪となりにけり   三好 六甫

午後からは桜吹雪となりにけり   三好 六甫 『この一句』  「花に嵐」という言葉がある。いい事はそうそう長くは続かないよという意味の警句である。また、物事最高潮に達した時に得てして邪魔が入るものだという意味にも用いられる。桜の見頃はせいぜい一週間、わあ満開だと喜んだのも束の間、大荒れの天気に見舞われて吹き散らされてしまったりする。  この句はそうした情景を詠んだものだが、教訓めいた臭いが全く無くて、花見の一日を素直に語っている。報告調でありながら花見の気分というものを遺憾なく伝えている。  桜の咲く頃は天候定まらず、急に暖かくなったり冷え込んだり、晴れたと思えば激しい雨が降ったりする。やきもきさせられながらも、なんとか桜は見頃を迎え、連れだって花見に繰り出した。花見弁当を広げる頃から風が強くなりはじめた。広げたシートがめくり上がるほどである。まことに落着かないが、お天気を相手に怒ってもしかたがない。花びらが塊になって舞飛ぶ。これもまた一興だと、どっかりと腰を据えた作者は冷や酒をぐいと呷る。(水)

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長閑なるこのひとときのカフェオーレ   高橋 楓子

長閑なるこのひとときのカフェオーレ  場ó?エ 楓子 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 これもよくある景ですが、よく捕まえましたね。どうってことないんですが、なんとなくいいですねえ。カフェオーレがいいんですね。 てる夫 のどかな景色をおしゃれに説明してますよね。 冷峰 温かいミルクのたっぷり入ったコーヒーは、こんな瞬間に飲むのが最高です。(「いいこと言うねえ」の声) 水馬 「このひとときの」っていうのがいいんですかねえ。 而雲 この句はいいですがね、こういう言葉は難しい。なんでも「このひととき」で片付けられちゃうし・・。(大笑い) 光迷 軽いって感じもしますしね。無駄ではないかというひともいますし。           *  「このひとときの」をはじめ、「そのことは」「その中の」あるいは「~してひとり」といった措辞は俳句によく使われる。「ああまたか」などと言う人もいるくらいだ。しかしぴたりと嵌れば絶妙な味を出す。この句の場合は不自然でなく、のどかな雰囲気を醸している。(水)

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茶を淹れて男やもめの桜もち   今泉 而雲

茶を淹れて男やもめの桜もち   今泉 而雲 『この一句』  「桜餅」に配するに「男やもめ」とは、これはまた思い切った取合わせで、まずこの奇抜さで人目を引きつける。「男やもめの無骨な手でお茶を淹れてるんですね。それが浮かんできて、実にユーモラス」(百子)という感想が句会で述べられたが、まさにそういう感じである。男やもめというどちらかと言えば美しくない冴えないものと、華やかな桜餅とのアンバランスな状景をさらりと呈示したところがいい。  俳句には「牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 蕪村」のように、上から下まで切れ目無く一つの事物について詠んだ句(一物仕立て)と、「菊の香やならには古き仏達 芭蕉」のように一句の中に二つ三つのものを対置させて、読者の想念を広げようとする手法(取合せ、配合)とがある。取合わせは初心者でも成功する確率が高いので、しばしば行われる。  しかし、やり過ぎて両者全く無関係のものを取合わせて訳の分からない句になったり、あまりにも上手すぎて嫌味になったりする危険がある。掲出句はそのぎりぎりの線を行く、大成功例と言えよう。(水)

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曳かれゆく浚渫船や湾のどか   谷川 水馬

曳かれゆく浚渫船や湾のどか   谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 浚渫船は重たい船で、ゆっくり曳かれて行くんですね。いかにものどかな感じがします。 白山 東京湾にも横浜港にも、どこにでも見られる風景ですが、おそらくは夕方でしょうか。いいですね。 啓一 いかにも春ののんびりした感じが伝わってきます。隅田川の東京湾になるあたりを思い浮かべました。 鬼一 ゆっくりと曳かれてゆく浚渫船と、曳航するポンポン蒸気の音が聞こえて来るようです。           *  何の作為も衒いもない句である。のどかな湾に相対した気分を、動くとも見えないほどの速度で動いて行く浚渫船に託して詠んでいる。作者によるとこれは三月中旬、俳句仲間連れだって出かけた萩湾の夕景だそうである。そう聞けばますますのんびりした感じになる。(水)

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石段に鳩吹き溜まる余寒かな      嵐田 啓明    1・02

石段に鳩吹き溜まる余寒かな      嵐田 啓明    1・02 『合評会から』(日経俳句会) 恂之介 こういう景色ありますね。鳩が寒そうに集まっている様子が見えてきます。 万歩 確かに見たことがあるような風景です。「鳩吹き溜まる」がうまいですね。 反平 「二羽の鳩微動だにせね余寒かな」という句もあったが、こっちの方がいいかな。 二堂 吹き溜まりは風が止まっている所でしょう。寒さに凍える鳩が集まってくるんですね。 正市 嫌われ者の鳩にポイントを置いて、見つめる目は定型的ではない。この人は、惰性に流れない視点を持っているなと思いました。 明男 鳩の様子がよく出ています。実際に目にした光景でないとこうは詠めないでしょう。 啓明(作者) 日本橋の三越寄りの石段の辺りです。 光久 いかにも余寒の風景ですね。            *          *  日本橋のあたりにときどき行くから、同じ風景を見ていたのかも知れない。しかし気がつかなかった。見ているのに、俳句のいい材料だ、と気がつかなかった、ということだろう。(恂)

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梵鐘の音地に沈む余寒かな     徳永 正裕

梵鐘の音地に沈む余寒かな     徳永 正裕 『季のことば』  「余寒」と「春寒(はるさむ)」はどう違うのだろうか。ある歳時記には「春でありながら寒いのが春寒。寒が明けてもまだ寒いのが余寒」とあった。別の歳時記は「余寒とは春に至りて寒気の残ること。春寒とは心持に微妙な相違がある」。また別の歳時記は「春寒しと余寒は大体、同じである」。  二つの寒さは、違っているが、同じようなもの、ということだ。まあ、三番目の歳時記のように、「大体、同じ」と見なしておけば無難だろう、と思っていた時に、この句に出会った。余寒の夕方だろうか。寺の鐘の音が「ごぅ~ん、ごぅ~ん」と響いてきて、地中に沈んでいくような感じがする、というのである。  鐘の音が腹の底に響くようで、なるほど、これが「余寒」というものか、と身震いした。しかし、なぜ「余寒」なのか、なぜ「春寒」ではいけないのか、と考えても、理由ははっきりしない。それでいて絶対に「余寒」である、という結論は動かし難い。俳句ではよく、こういうことがある。(恂)

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仁王像さらに目をむく余寒かな        大熊 万歩

『合評会から』(日経俳句会) 啓明 分かりやすく、ユーモラスですね。 十三妹 余寒に「目をむく」という着眼点がすごくマッチしています。 庄一郎 仁王像を見ていると確かに寒さを感じる。「さらに目をむく」がうまい。 正 そもそも仁王像は目をむいているが、「さらに」がミソですね。 紘 実際にあるわけじゃないが、ありそうだと思わせます。 臣弘 ただでさえ目をむいているのに「なんだ、この寒さは」とさらに目をむく。仁王の前でオナラをして「におうかぁ」という落語がありますが、あれを思い出しました。 智宥 「さらに」付け加えるとことありません(笑い)               *        *  寺の門前で目をむく仁王像。「さらに」は実際にあり得ないが、「ごとく」を略したと思えばいい。この句、二桁得点を獲得し、「私も同じ」の感想が相次いだ。作者は「こんなこと初めて」と目をむいていた。(恂)

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白魚を獲る満天の星の下           宇佐美 論

白魚を獲る満天の星の下           宇佐美 論 『この一句』  作者は俳句を始めて半年。この句は多少の手直しを受けているのだが、ベテランから「白魚漁を大きく捉えている」というお褒めの言葉を頂いた。作者は白魚漁を見たことがないに違いない。実は私も同じことだが、歳時記や解説書などを読んだ上で、さまざまな風景を思い描くことになる。  「満天の星の下」と詠まれて、なるほどこういう状況もあるはずだ、と認識を新たにした。白魚漁と言えば、みぞれ交じりの雨の中、とか、歌舞伎のセリフでおなじみの「月も朧に白魚の篝(かがり)も霞む春の空」といったような、ある程度、固定化されたイメージがあるように思われる。  しかし白魚漁は冬から五月くらいまでは続くという。ならば、あらゆる天候があって然るべきだが、俳句をやっていると、満天の星は秋の夜空だ、というような“常識”が生まれてくる。俳句つくりの停滞は、そんな形で訪れるのではないだろうか。この句を、わが頂門の一針としよう。(恂)

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