富士見坂名のみとなりて春の風         沢井 二堂

富士見坂名のみとなりて春の風         沢井 二堂 『この一句』  私(筆者)の知人は自宅の二階から富士山がよく見えるのを自慢していた。ところが一キロほど先に大きなビルが建つことになる。それもまさに一直線上で、建築中は日に日に富士が隠れて行く。完成後は高層ビルの両端に左右の稜線が辛うじて見えるだけという、情けない風景になってしまった。  富士の見える坂として有名だった日暮里の富士見坂もマンションの建設によって、昨年末以降、その地名は「名のみ」となった。谷中の住人である作者は、散歩であたりを通るたびに「見えなくなったなぁ」と思うのだろう。春風は心地よく吹いているはずだが、心中はけっこう複雑である。  東京に富士見坂という地名(通称も含む)は二十あまり、そのうちの九割以上が「名のみ」であるという。戦後しばらくは、東京から西へ向かう道路の果てに、富士山がよく見えていたものだ。薄桃色の早朝の富士、蒼黒い夕富士などなど。今ではそれぞれが、心の中の風景になりかけている。(恂)

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一人にも二人連れにも春の風          田中 白山

一人にも二人連れにも春の風          田中 白山 『この一句』  「二人連れにも一人にも」と順序を逆にしてみたらどうなるだろうか。春風は二人連れにそよそよと吹いている。あれ、あそこにも一人いるぞ、寂しそうだから、あの人にも吹いてあげよう、と、春風は風向きを少し変える。二人連れは楽しそうにしていて、一人はそのおこぼれを頂いたことになる。  しかしこの句の場合、春風は一人に先に吹く。今朝も元気に散歩する人は春風を受けて一層心地よい。向こうを歩く若い二人連れにも優しい気持ちを向けるだろう。仲がよさそうだ、いい家庭を作ってもらいたいな。あ、女性の髪が少し靡いた。心地よい風があの二人にも吹いているのだな、と思う。  「その解釈、ちょっと、考え過ぎじゃないですか」と若い人は言う。「いやいや、君の鑑賞力はまだまだ若い。この句に込められた老練の技巧を感じてもらいたいなぁ」と高齢者は譲らない。「そうですか」と若い人は口をつぐんだが、(春風は誰にも同じように吹くはずなのに)と思っている。(恂)

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何したと記憶も残らぬ春惜しみ   来間  紘

何したと記憶も残らぬ春惜しみ   来間 紘 『季のことば』  「共感、ということで採りました。春はあっという間で、ほんとに何をしていたのかなあと思います」(明美)という合評会での句評に出席者全員がうなずいた。「惜春」という季語の本意は素晴らしい季節が去ろうとするのを惜しむということなのだが、この句は浪費した日々を惜しむということに力点が置かれた、ちょっと変わった用い方である。  春があっと言う間に過ぎ去るのは誰もが感ずるところで、「二月逃げ一年も逃げ始めたり 恂之介」(「みんなの俳句」第四集・12.2.28)という名句もある。これは取り留めのない二月を詠んだものだが、上掲の句は春三ヶ月の締め括りの感懐。いつの間にかもうゴールデンウイークのとば口で、「そういえばこの春は何と言うこともなく過ぎてしまったなあ」と憮然としている。  二月、三月、四月は受験、卒業、入学、就職、新年度といろいろな行事があり、何かとせわしない。しかしこれらは他律的な、いわば“決まり物”の行事だから、忙しい割には印象が薄く、記憶に残らない。かくて春はさらさら流れてしまうようだ。(水)

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春の日に背より眠気がはいあがり   石黒 賢一

春の日に背より眠気がはいあがり   石黒 賢一 『季のことば』  陽気が良くなって来るとやたらに眠気を催す。これは生理学的にも説明出来る現象なのだという。気温の低下する冬季、動物は「休養」に入る。中には完全に休眠してしまう動物もある。とにかく冬は睡眠時間が長くなる。それが春を迎えて気温が上がり、日照時間が長くなって来ると睡眠時間をだんだん短縮し、活発に動き始めるようになる。しかし春先は眠気を調節する自律神経がついて行けず、体内時計が狂ってしまうことがあるらしい。人間も哺乳類動物だから当然こうした本性を持っている。さあ春だ早起きして活発になどと思い立っても、寝坊したり昼間にこっくりこっくり船を漕ぐ。  この句は「背より眠気がはいあがり」と、ちゃんと背筋を伸ばしていなければいけない会議か何かの最中の眠気を面白く詠んでいる。  「背」は「せな」とも読むから、「春日や背より眠気はひあがる」とした方が、「に」とか「が」という説明っぽくなる助詞が省けて句形が整うように思う。しかし作者はそんなことを考えるいとまもなく、心地良いうたた寝に引き込まれているのだろう。第5回双牛舎俳句大会入賞句。(水)

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糸柳やはらかく眉引きにけり   田中 頼子

糸柳やはらかく眉引きにけり   田中 頼子 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 きれいな女性の顔を思い浮かべていいなと。 正裕 女の人の眉って細いですもんね。やわらかい「糸柳」と「眉」が合っていると思いました。 博明 言われてみれば、柳も眉のように見えるし分かりやすい。 冷峰 女性は眉を剃って描いていますね。柳の葉をイメージして、やわらかくいい感じに引けるのじゃないかと。 弥生 糸柳を女性の眉に見立てて一幅の絵のような句になっている。 十三妹 何とも優美な句。古典的で現代的な微妙なバランスに一点を。           *  作者は「祇園の芸子を詠んだ」と言う。昔から美人の形容に「柳眉」「柳の眉」という言葉があり、柳と眉の取り合わせはありきたりである。だから俳句のプロはこういう句は決して詠まない。しかし、なかなか感じの良い句だ。上五に「糸柳」と置いて、中七・下五で「柔らかく引いた眉」と詠んだところが優しく美しい。作者は「発見」したところを詠んだのだ。シロウトの強みである。(水)

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春深し電車が地下に消えし街   杉山 智宥

春深し電車が地下に消えし街   杉山 智宥 『この一句』  3月16日には東急東横線が東京メトロ副都心線に乗り入れ、地上2階にあった渋谷駅が無くなった。その1週後の23日は小田急線の代々木上原から梅ヶ丘までが地下に潜った。  地上の駅が無くなってしまうと町の様子が大きく変わる。横浜方面から東横線で渋谷へ出て山手線や地下鉄銀座線に乗り換えていた人たちの多くが、そのまま新宿、池袋方面へ乗って行ったり、地下連絡路を通って半蔵門線に行き、地上に出て来なくなった。下北沢の場合はもっと影響が大きく、小田急下北沢駅が地下駅になってしまったおかげで地上の商店街にまで出て来る人が激減したという。  「電車が路上から見えなくなるのは寂しいものです。タイムリーな句で、かつ『春深し』が『地下深く』と通じているように思えて心憎いです」(綾子)という評が寄せられたが、さて若者の街下北や渋谷はこれからどう変わって行くのだろうか。面白い時事句が生まれた。(水)

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オルガンの惜春の音や奏楽堂   水口 弥生

オルガンの惜春の音や奏楽堂   水口 弥生 『合評会から』(日経俳句会) 淳(北沢) 「惜春」とオルガンの音がいい感じで響いた。上野の奏楽堂は今閉まっているので、前の話なのでしょうが春の終わりの感じがよく出ている。 実千代 三月にさよならフェスタをやっていました。「オルガン」と「惜春」が合っていますね。フルートとかピアノだとちょっと違うかな。 智宥 「奏楽堂」に「オルガン」じゃ当たり前(笑い)、だけどやっぱりいい句。 臣弘 ピアノでなくオルガンがいいね。伝統というか懐かしさを引き起こす。 紘 リズミカルな感じ。だけど奏楽堂は立派過ぎるので、村の分教場あたりが合うのかなと思いますが。 睦子 「オルガン」「惜春」「奏楽堂」と材料がそろっています。           *  上野の山にある旧東京音楽学校奏楽堂。明治23年に作られた木造の音楽堂で重要文化財。時々手入れのために休館するが、まだまだ現役で頑張っている。二階の音楽ホールの正面には大正時代にイギリスから輸入された我が国最古のコンサート用パイプオルガンがあり、やさしい音色を奏でている。(水)

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朧月弁天様の島照らす             印南 進

朧月弁天様の島照らす             印南 進 『この一句』  初めは上野・不忍池の真ん中にある、あの小さな島かと思った。上野の山で夜桜を見がてら、池之端まで下りて来て、蓮の葉が広がり出した池の面を眺める。池の真ん中に弁天堂が浮かんでいて――。というような状況を想像したのだが、作者が判明して、そうか、江ノ島だった、と気づいた。  作者は鎌倉在住であった。「弁天様の島」と親しげに呼んでいるのは、彼が地元の人であるとともに、男性であるからかも知れない。ここ、江島神社のご神体は「裸弁天」と呼ばれ、真っ白で、とても艶めかしいと聞いている。弁天様が嫉妬するから、男女のいっしょの参拝は禁止、などとも言われてきた。  この句、片瀬か腰越あたりの対岸から島を眺めているのではないだろうか。昼間は焼き蛤売りなどで大にぎわいの島も観光客は帰った後で、あたりはひっそりとしている。海はとっぷりと暮れた。イカ釣りだろうか、遠くに漁火がちらちらと……。空に朧月がかかり、江ノ島も弁天様もおぼろである。(恂)

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小枝にもずしりと重き桜かな          後藤 尚弘

小枝にもずしりと重き桜かな          後藤 尚弘 『この一句』  桜と言えば何と言ってもソメイヨシノ。明治初期にエドヒガン系とオオシマザクラの交配で生まれたというが、「何でこれほど」と呆れるほどたくさんの花を咲かせる。いったん咲き出すと花はたちまち樹木全体を覆ってしまう。「小枝にもずしりと重き」。なるほど、それもこの桜の特徴だったと気付く。  花見用のシートに座り、ワンカップの酒を飲みながら満開の桜を見上げている、というのでは、このような俳句をつくることは出来ない。立ち上がり、顔の高さにある枝の先をじっと観察していると、花の混みぐあいが見えてくる。いい俳句が作れるかどうかは、そのへんが分かれ目になるらしい。  作者は小枝の先を見ていたら、「ずしり」という言葉が浮かび、「これだ」と嬉しくなったそうである。言霊というのは場所を選ばずフワフワと飛んでいて、一生懸命に言葉を探している人の頭の中に入って行くのだという。漫然と桜を見ているだけでは、このような言葉は思いつかない、ということだろう。(恂)

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花筏流れに乗って模様替え           渡辺 信

花筏流れに乗って模様替え           渡辺 信 『合評会から』(三四郎句会) 尚弘 散った桜が水の上を流れているわけですが、その花びらの変化する様子を綺麗に詠んでいる。花筏の美しい模様に、春の終わりが感じられます。 進 美しい情景です。これ以上、言うことはない。 論 映像的な美しさですね。桜の花びらの描く模様が、川の流れによって瞬時に変わっていく。万華鏡を見ているような感じもします。 義彦 「万華鏡」とは格好いいね。「模様替え」を「万華鏡」に変えてみたらどうかな。 何人か それは面白い。「万華鏡」がいいいね。 別の何人か いや、「模様替え」のままの方がいい。            *          *  「万華鏡」は確かに格好いい。「模様替え」は普通の言葉で、いくらか野暮ったい。しかし格好いい言葉が全てに似合うとは限らない。私は「模様替え」に素朴な味があると思うが、どうだろうか。(恂)

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