春光の射すや緋鯉の口の中       井上 啓一

春光の射すや緋鯉の口の中       井上 啓一 『この一句』  鯉の口は大きい。体長八十センチくらいの超大物になると、パクリと開けたときは、子供の拳なら軽く入ってしまうほどだ。東京・皇居の濠や井の頭公園で、人に寄ってくる鯉を飽かず眺めていたことがある。餌を投げてやると、食べるというより周りの水もろともに、どっと吸い込んでしまう。  そういう場面を詠んだ句はいくつか見たことがある。ところがこの句は口の中だけを見つめている。それに真鯉ではなく、緋鯉の口の中なのだという。私の記憶にある鯉の口は、真鯉だったかも知れない。はて、緋鯉はどうだったか、真鯉より明るく見えたような気がしないでもない。  作者に聞いてみようと思ったら、ちょうどシンガポールへの船旅の最中だった。そこで別の物知りに尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。「緋鯉の口の中は真鯉より確かに明るい。紅のガラスを通した明るさ、と言ったらいいかな」。その日は池の面に、春光がさんさんと輝き渡っていたに違いない。(恂)

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