風呂吹にフォークを添へる六本木   深田森太郎

風呂吹にフォークを添へる六本木   深田森太郎 『合評会から』(日経俳句会) 正 最初ありえないと思った。六本木とくればありえる(大笑い)。 佳子 こういう句は明治にはなかった。今の風俗をずばり切り取ってますねえ。 万歩 風呂吹に割箸の句が二つありましたが、このフォークの句は頭で作ったのではなく実際にあったんでしょう。敬意を表して採ります。 正裕 六本木や青山には無国籍料理みたいのがありますね。この人、実際にこれ食べたんですね、スープで煮込んだような風呂吹を。        *   *   *  正裕さんの言うようにスープ煮の大根であろう。フランスの家庭料理にポトフーという洋風おでんがある。牛肉の塊と大きく切ったキャベツ、丸ごとのジャガイモ、タマネギ、人参、セロリなどを長時間煮込んだもので、肉と野菜の滋味が渾然一体となっている。ここに大きな蕪を入れることもあるので、大根のスープ煮もおおよそ見当がつく。ただし、これに柚子味噌というわけにも行くまい。マスタードソースでもかけるのだろうか。ともあれ湯気に曇った眼鏡を拭きながら満足げな作者の顔が浮かぶ。(水)

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老いし目に白さ眩しき残り雪   久保田 操

老いし目に白さ眩しき残り雪   久保田 操 『季のことば』  「残雪が老いの目には眩しさとともに冷たさを感じさせたかも知れない。共感しました」(大虫)。「『老い』と『残り雪』、哀しいことでもあるが、キラキラした輝きもあるという気持がうまく詠まれています」(睦子)。「残り雪には残りの人生ということもあるし、まだこれからという明るさも感じられます」(臣弘)。  句会ではこのように高い評価を得たのだが、問題も指摘された。一月句会(寒の最中)に「残り雪」という春の季語をぶつけて来るのはどうか、というのである。確かに「残雪」「残る雪」「雪のこる」は、春になっても北側の裏庭や路地の奥、あるいは遠山の頂きに白く残っている雪景色を言う仲春の季語だ。  この句は1月14日・成人の日の東京周辺を驚かせた大雪(と言ってもわずか12センチ)の翌朝か翌々日の光景であろう。雪の後の「雪晴れ」は本当に眩しい。結局この雪は10日ばかり残っていた。作者が素直にすっと詠んだことがよく分かる句だ。惜しいなあ。「今朝の雪」と大人しくやっておくか、それともこのまま「春の句」と開き直って、2月あるいは3月句会に出しますか。(水)

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昼酒や木屋町辺り春時雨       高橋 楓子

昼酒や木屋町辺り春時雨       高橋 楓子 大虫 色っぽさを感じますね。時雨が来て、すっと入って行ける店があるのかな。大したものだ。 春陽子 うらやましいね、美味しい酒だろう。木屋町で昼酒ですからね。最高だなぁ。 楓子(作者) 格調のない句でしょ、この句。この時、三条あたりで飲んでいて、雪が降りそうだったの。それで季節を変えて、こんな句を作ったのだけれど。 光迷 雪もよいだと一人の感じ。この句だと人は複数かな。 塘外 昼酒、木屋町、それに春時雨。景物が多すぎますね。揃い過ぎでしょう。 水牛 てんこ盛りの感なきにしもあらず、かな。            *        *  気障だねぇ、遊び人だな、と初めは思った。作者が女性と分かってたちまち、格好いいな、に変わってしまった。昼酒をちょこっと嗜むキャリアウーマンの姿が見えてきたからである。(恂)

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春光へ白き巨船の消え行けり      前島 巌水

春光へ白き巨船の消え行けり      前島 巌水 『季の言葉』  「春光」の第一義は「春の景色」である。しかし「春の光」の意もあり、俳句作品を見ると「光」そのものが多く詠まれている。一般的な春の景色の場合は、春光の傍題である「春の色」「春景色」などがよく用いられるようだ。冬から春へ、季節の移り変わりを示すのは何と言っても、陽射しなのだろう。  江戸時代に「春光」の句はほとんど見かけない。明治以降によく詠まれるようになって行くが、その頃から早くも「光」そのものとして捉える傾向が表れる。草の葉、水の面、彫像、美しい白髪……。そういう所にキラキラと光る、比較的小さなきらめきが、「春光」の定型になっているようだ。  その中で、これはまた何とも広大な春光を詠んだものだ。横浜港の埠頭から見た風景だという。沖には霞が立ち込めているのだ。ぼんやりとした沖全体を春光に見立てている。巨大な白い客船が出港した。船体はぼんやりとかすみ始め、やがて沖の彼方に消えて行く。まさに春の景色であり、春の光と言うべきだろう。(恂)

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春光や鉋吐き出す丸き屑        徳永 正裕

春光や鉋吐き出す丸き屑        徳永 正裕 『この一句』  かつて大工さんは少年たちのヒーローであった。彼らの技は鋸(のこぎり)、鑿(のみ)などの道具によって発揮されていたが、中でも鉋(かんな)の掛け方が一番の見どころであった。鉋から鉋屑が勢いよく吐き出されてくるのを飽きず眺めていた、という思い出を持つ人も少なくないだろう。  この様に書いてきて気がついた。鉋、鋸、鑿、それに錐(きり)、鉄鎚(かなづち)鉄梃(かなてこ)……。若い人ならずとも、ルビを振らないと読めないような道具となった。建築はプレカット工法ばかりで、大工道具はすでに過去のものに近い。大工さんの腕前を見る機会も当然、失われている。  しかし中高齢者の記憶には、いまも鮮やかに大工さんの技が残っている。だからこそ、この句は句会で高点を獲得した。大工さんが柱に鉋を掛け始めた。鉋屑がシュルシュルと飛び出して行く。「これ、春光に限らないだろう」という声があった。「いや、春光だ、絶対に」。そういう意見が多数派だった。(恂)

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病み厭きて寒明けの日を数へたり    岩沢 克恵

病み厭きて寒明けの日を数へたり    岩沢 克恵 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 風邪かな、ほかの病気かな。インフルエンザなら、本人は回復していると思っていても、人にうつすから二三日、外出はまずい。ベッド生活が長びいた時の倦怠感がよく出ていますね。 鬼一 病気は治りかけているのですね。状況は病気によって違いますが……。いい句です。 水馬 治るんでしょう、この人。句には、もう春だという明るさが見えています。 楓子 二年くらい寝込んでいる、という雰囲気を感じますが。 六甫 風邪でも三日も寝ていれば、厭き厭きするものですよ。 斗詩子 ちょうど寒明けの頃ですが、主人が退院することになりまして。その頃、彼は毎日カレンダーを見つめていました。            *         *  欠席投句の作者名が分かって、「ああ、やっぱり風邪なんだ」と一同、一安心だった。句会は二月二日に行われたばかり。誰からとなく「明日は節分、明後日が寒明けの立春だ」(恂)

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ひよどりのうまそうに呑む寒の水   金田 青水

ひよどりのうまそうに呑む寒の水   金田 青水 『合評会から』(日経俳句会) 佳子 ひよどりが水に口を付けて上を向いては、おいしそうに呑んでます。作者の観察眼は素晴らしい。 実千代 いかにも美味しそうに呑む情景がきれいに詠まれています。 碩 本当に手に取るように分かりますね。 光久 生きとし生けるものの健気さ。      *   *   *  日本国中至る所で見られる鳥で、甘い物が大好きらしく、椿の花の蜜を吸ったり、桜が咲くとしきりに啄んで花を蕊ごと落としてしまう。冬の庭の枯れ枝に二つ割りにしたミカンを刺しておくと、すぐに飛んで来て、美味そうに啜っては空を向く。長いしっぽまで入れると30センチ近くもある大きな図体だから、蜜を吸いに来る目白を押し退けたり、雀の群れをおどかしたりする憎たらしいところもある。だけど頭の毛が二三本逆立った愛敬のある顔つきで、みんなの党の党首みたいだ。ヒーヨヒーヨと賑やかに世の中を掻き回している。(水)

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