水遣りの勢ひ増して水温む   流合研士郎

水遣りの勢ひ増して水温む   流合研士郎 『この一句』  句会では「私の家には鉢が150くらいありまして、水温む季節になると水遣りが大変。この句はそういう感じがよく出ています。水の量が増したではなく、『勢ひ増して』と言ったのがいいですね」(二堂)、「そうですね、『勢ひ増して』がいい。冬の間は冷たくて庭の水道の蛇口を触るのもイヤ。春になると違います」(佳代)という意見が相次いだ。確かにその通りだろう。  論理的に言えば、水温む(季節になったから)、水遣りの勢いが増したのだろうが、この句の叙述は、水遣りの勢いが「増して」水温むと順序が逆である。俳句独特の言い回しとでも言ったらよかろうか、時にこういう言い方をする。  芽が膨らみかけてきて鉢の植木や花卉が水をしきりに欲しがっているような気配だ。思い切って豪勢に水を振りまいてやる。そして、そういえばいつの間にか春の気候になったなあと気づくのである。それが「水遣りの勢ひ増して・水温む」という感じである。(水)

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房総の春は弾けてクロッカス   大沢 反平

房総の春は弾けてクロッカス   大沢 反平 『合評会から』(日経俳句会) 臣弘 「房総の春」と「弾けて」で採った。房総の春というとジャジャジャーンと色んな花が咲く(笑い)ワイドスクリーンに小さなクロッカスね、そのコントラストがいい。 紘 「弾けて」の言葉の遣い方が非常に面白くて。それと房総の開けているところですね。 明美 「弾けて」と「クロッカス」が合うし、房総という地名でイメージが湧きやすい。 正裕 クロッカスをホームセンターに見に行ったらまだ蕾で、なるほどこれが弾けるように咲くのかと。フラワーラインというように房総にはあらゆる花が咲く、同県民として地名もよし(笑い) 正 温暖な房総に来る春を「弾けて」とした措辞は、春を迎える喜びをよく表現している。クロッカスの花の勢いともマッチしている。                *  確かに「春は弾けて」がクロッカスの元気の良さとよく合っている。(水)

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捨て鉢の梅さきがけて匂ひけり   大倉悌志郎

捨て鉢の梅さきがけて匂ひけり   大倉悌志郎 『合評会から』(日経俳句会) 定利 哀しげな気がして、そこに梅が二、三輪。すごいところに目をつけた。 智宥 「捨て鉢」はダメな子どもで、教育的な感じもしないではない。それだとなんとなく臭い(笑い)でも素直に取っていい句であると。 研士郎 ほったらかしの梅がちゃんと咲く。逞しさを感じます。 二堂 「捨て鉢」ってのは、自暴自棄の意味と捨てられた鉢と両方含んでいるような。梅の匂いは強いですから、勇気付けられます。 光迷 どっこい生きている。捨てられた梅が一番早く咲いて、持主を見返すような意気があって面白い。           *  この句の「捨て鉢」は自暴自棄の意味ではなく、文字通り無用のものとして抛りっぱなしにされた鉢。梅と小松と笹に福寿草がぎゅう詰めになった縁起物の寄せ植え。正月過ぎると大体枯れて捨てられてしまうが、梅だけは生き残って健気にも翌年また咲く。それを詠んだのだろうが、面白いところに目をつけたものだ。(水)

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白魚の透き通りたる哀しさよ       篠田 義彦

白魚の透き通りたる哀しさよ       篠田 義彦 『合評会から』(三四郎句会) 賢一 白魚は小さな魚です。透き通って、か細くて、はかなくて、哀れさを感じますね。直感的に詠んだような感じですが、いい句だと思います。 照芳 白魚の兼題が出てから、四苦八苦でした。この句の「哀しさよ」を見て、ああそうなんだ、このように詠めばいいのか、と思いました。 久敬 白魚が「透き通る」という句は、他にもありました。「哀しさよ」が言い過ぎかとも思いますが、こういう句の場合、率直さ、直接法も悪くないでしょう。 豊生 やはり「哀しさよ」にぱっと目が行きました。身につまされた感じもありましたね。 有弘 選ぼうかと思いましたが、「哀しさよ」がいやらしかった。うまいなとは思いましたが。             *          *  「かなしい」を漢字で表すと「悲しい」「哀しい」「愛しい」がある。この句の「哀しさ」は「ものの哀れ」だろう。現代語の「かなしさ」ではなく、「いとしさ」に近い意味があるのだと思う。(恂)

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すみません降りますの声水温む        山田 明美

すみません降りますの声水温む        山田 明美 『この一句』  ある私鉄の駅から別の私鉄の駅までバスに乗った。途中のバス停で「降ります」の声があり、四人の親子が降りて行った。石神井公園という停留所だった。道路の脇には池が広がっている。見ると、スワンボートが何艘も岸につながれたままだったが、池の面は明るい日差しに満ちていた。  その二日後に句会があり、この句を最初に選んだ。あのバスに乗っていなかったら選んだかどうか、と考えた。体験と選句はかなり密接な関係を持っていると思う。知らなければ理解できない、という句もよくある。この句の場合、数人の人が、それぞれの記憶に当てはめて選んでいたようである。  いつの頃からかバスは、座席近くのボタンを押し、下車を伝えるようになっている。あの時は立っている人が何人かいた。四人の家族は、お父さんが妹を抱き、母さんが兄の手を引き、声をかけながら降りていった。これから同じ路線のバスに乗るたびに、あの家族と、この句を思い出すに違いない。(恂)

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ピアノでも弾いてみようかクロッカス    横井定利

ピアノでも弾いてみようかクロッカス     横井定利 『この一句』  早春の花、藍、紫、黄、白など色とりどりの花、丈夫な花、水栽培もOKの花。クロッカスにはさまざまなイメージがあって、俳句にするには結構、難しい。取合わせ(配合)の句の場合、常に「付き過ぎ」「離れ過ぎ」に悩まされるが、この句はピアノを配して感じのいい距離感を作り出した。  ギター、フルート、ハープなど、クロッカスに似合いそうな楽器は他にもあるだろう。しかしピアノに勝るとは思えないし、それに何より「弾いてみようか」と口語風にしたのが成功の基。窓辺の鉢植えの雰囲気も感じられ、軽妙な作風を得意とする作者の本領を発揮した一句と言えるだろう。  この日の句会では、同じ作者の「ガンだつたんよのほほんと春ショール」の句も評判になった。命を脅かされる病をあっさりと詠み、快癒を思わせる。友人の電話の言葉をそのまま用い、街頭での立ち話のような風景に仕上げている。「クロッカス」より、こちらを高く評価する人も、もちろんいた。(恂)

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枝つたふ滴に春の光かな        高瀬 大虫

枝つたふ滴に春の光かな        高瀬 大虫 『この一句』  思えば、水とは不思議な物体である。川となり、海となり、氷や水蒸気となり、雲となり、雨となり、われわれの命の根源となり、血となり、汗となり――。あまりにも身近な存在だから、水の変化はすべて当然のことと考えてしまう。しかしどうして、水が滴(しずく)になるのだろうか。  この句の滴は雨の一粒か、雪の溶けた水滴なのだろうか。滴は梅の木の、蕾はたくさんあっても、まだ葉の出ていない枝に留まっていたように思われる。それが万有引力により、小枝を伝い、下に向かって動き出した。春の陽が射しているのだろう。宝石のような水玉がキラリ、キラリと輝いている。  少年の頃、こんな情景をよく見ていたような気がする。ところがいつの間にか、不思議さを覚えなくなり、この句を読んでみて、自然を見つめようとする心の萎えを思い知った。滴の一粒が実は、われわれにとって重大な存在なのだ。そこには何しろ、俳句の種がたくさん宿っているのだから。(恂)

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春光の射すや緋鯉の口の中       井上 啓一

春光の射すや緋鯉の口の中       井上 啓一 『この一句』  鯉の口は大きい。体長八十センチくらいの超大物になると、パクリと開けたときは、子供の拳なら軽く入ってしまうほどだ。東京・皇居の濠や井の頭公園で、人に寄ってくる鯉を飽かず眺めていたことがある。餌を投げてやると、食べるというより周りの水もろともに、どっと吸い込んでしまう。  そういう場面を詠んだ句はいくつか見たことがある。ところがこの句は口の中だけを見つめている。それに真鯉ではなく、緋鯉の口の中なのだという。私の記憶にある鯉の口は、真鯉だったかも知れない。はて、緋鯉はどうだったか、真鯉より明るく見えたような気がしないでもない。  作者に聞いてみようと思ったら、ちょうどシンガポールへの船旅の最中だった。そこで別の物知りに尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。「緋鯉の口の中は真鯉より確かに明るい。紅のガラスを通した明るさ、と言ったらいいかな」。その日は池の面に、春光がさんさんと輝き渡っていたに違いない。(恂)

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しばらくは雪積む貨車と並走し   大下 綾子

しばらくは雪積む貨車と並走し   大下 綾子 『合評会から』(日経俳句会) 定利 雪を積んだ貨車というのがいい。特急じゃつまんない。 万歩 東京の人は雪が降れば嬉しいんですよね。次の日は晴れて、屋根に雪を載せた貨物列車を見た。なんとなくウキウキした気分を詠っている。 恂之介 車と電車か貨車が並んで走っている。「ああ、貨車に雪が積もっている」。それが抜きつ抜かれつみたいな。つまらなそうなことだけど、それがいい題材になるのだから面白い。 佳子 雪を載せた貨車を見て冬がどっかに来ていると感じたんですね。        *   *   *  貨物列車は石油を大量消費するトラックより、環境に及ぼす影響が少ないと見直され始めたようだ。ただ首都圏では旅客鉄道優先だから、夜中から早朝に都心に入って来るものに限られるようになった。早朝、貨物線と平行した道路を車で走っていたら、コンテナの屋根に雪をびっしり乗せて走って来た貨物列車に出くわしたのだろう。駅ごとに止まる電車と違って貨物列車は意外に速い。「あら抜かれちゃったわ」なんて笑っている。(水)

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風呂吹や小皺のふえし片笑窪   高石 昌魚

風呂吹や小皺のふえし片笑窪   高石 昌魚 『この一句』  「風呂吹と小皺、片笑窪(の人)という組合わせが絶妙な感じでいい」(明美)との句評があった。ほんとにその通りだと思う。ふんわりとあたりを包む温かさが伝わって来る。風呂吹という季語の味わいを十二分に生かしている。句会でこの句を見た時、古馴染みの飲屋の女将さんの様子を詠んだ句だと思い込み、それ以上のものとは思わずに通り過ぎてしまった。ところが、日経俳句会月報誌上であらためてこの句に目を止め、読みが浅かったことに気づいた。  これは苦楽を共にして来た老妻をいとおしんでいる句ではないか。冬の夜の食卓ももうずいぶん前から夫婦二人だけ。静かに立ち上る風呂吹の湯気の向こうにカミサンの顔がある。若い頃チャームポイントと言われた片笑窪は相変わらずついているが、いまや小皺に囲まれて・・・。「何をそうじろじろ見つめるの」といぶかしそうな妻の表情に、慌てて盃をあおり、むせたりしている。  「妻」だとか「苦労」だとか、そうした甘っちょろい言葉は一切伏せて、風呂吹の湯気に小皺の増えた連れ合いを同志を見るように慮るのだ。(水)

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