真つ青な竹柄杓あり寒の水        須藤 光迷

真つ青な竹柄杓あり寒の水        須藤 光迷 『この一句』  神社かも知れないが、寺の手水舎(ちょうずや・てみずや)に置かれた柄杓、と見ることにしよう。年末に裏山あたりから手頃な孟宗竹を切り出し、寺の人たちが手造りするのが恒例の仕事だ。煤払い終え、境内を清掃し、真新しい柄杓をいつもの場所に置くと、いよいよ年迎えの準備が完了する。  初詣に何百万人、何十万人もの人出があるような、都会の大寺社ではない。五、六本の柄杓を置けば、参拝客が長い列をつくることはない。それだけに寺の人たちは心を込めて竹を切り、丁寧に柄を削り、柄杓を作り上げる。檀家の人々は今年も青竹の柄杓で手を清めるのを楽しみにしているようだ。  作者は松が取れて、参拝客をほとんど見なくなった頃、その寺を訪れたのではないだろうか。閑散とした手水場で手を洗う。作法にのっとり、柄を立てて、残りの水を少し手の上に流した時、これは「寒の水」だ、と思った。今年の寒の入りは五日であった。柄杓が作られて十日も経っていたが、鮮やかな青さが目に染みる。そうだ、初句会の兼題に「寒の水」があった、と作者は気づいた。(恂)

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