心地良き冬日は淡く布団干   大平 睦子

心地良き冬日は淡く布団干   大平 睦子 『合評会から』(日経俳句会) 実千代 今日あたりの情景だなあと思いまして・・。冬だけどぽかぽかして、とても気持がいいですね。 臣弘 これ私のこと詠んでくれたなと思いまして・・。家内はね毎日プールへ泳ぎに行っちゃう、「お願いね」なんて言って。残った私はこういうお天気だと布団干しです。見張ってて、三時過ぎたら取り込まなくちゃいけない。まあそういった奴隷生活を送っています。(大爆笑)        *     *     *  句会になごやかな気分をもたらしてくれた句である。小春日和の布団干しは気持がいい。ふっくらと日の匂いのする布団にくるまるのはまさに極楽気分だ。  「冬日も布団も冬の季語だ」という指摘があった。確かに季重なりの句である。しかし、そんなことを忘れてしまうような気分の良さがある。実際に受けた感じをそのまま詠んだ強みであろう。(水)

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ベンチごとに老人ひとり冬日向       大倉悌志郎

ベンチごとに老人ひとり冬日向       大倉悌志郎 『この一句』  公園だろうか。団地の広場かも知れない。ベンチが点々と置かれている。二つ三つが隣合わせなってよさそうなものだが、ベンチは周囲に一定の広さを確保し、個を主張しているかのようだ。公園でそんな情景を見たとき、暗くなると一組ずつの若い男女が座を占めるのだろう、と思ったことがある。  ところが一つのベンチに老人が一人ずつとは、虚をつかれた思いがした。私はまだ見たことがないが、その様子は十分に想像できる。顔見知りならともかく、話したことのない人とベンチで一緒になるのは煩わしい。一人で十分なスペースを確保し、孤独を楽しむのも悪くはない。  何十年も前に開発された大型のニュータウンなどでは、住民の高齢化が言われている。三十代、四十代で入居した人々が一斉に高齢化した。妻とか子供のことは想像にまかせよう。ともかく仕事を離れて自由になった人がベンチで日向ぼっこをして……。どうも男性ばかりが頭に浮かんでしまう。こういう中に、高齢ながら美しい女性が一人座っていたらどうか、なんて考えてしまった。(恂)

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野良猫の出てくるあたり帰り花   田中 白山

野良猫の出てくるあたり帰り花   田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会・三四郎句会合同句会) 百子 帰り花は思わぬところに咲いているものです。それを野良猫が気づかせてくれたのですね。とてもいい句ですねえ。 有弘 下町の雰囲気を感じました。下町ではない文京区あたりの住宅街と商店街が入り組んだ町にもよくこういう風景がありますね。感じが伝わって来る句です。 水牛 ほんとにそうですね、山の手、下町問わずこういう景色はあります。「野良猫の出てくるあたり」という詠み方、いいですねえ。こういう句、私は大好きです。            *            *  地域にもよるのだろうが、今年は躑躅(つつじ)の帰り花をよく見かける。ふと下を見ると、植え込みの下や垣根などに数輪、また数輪と咲いているのだ。春に比べると、花は小さく、花びらが痛んでいたりするが、それまたそれなりの風情を感ずることができる。この句に出合って以来、野良猫は出てこないかな、と少し立ち止まるようになった。(恂)

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入り乱れ新党合戦狂ひ花         徳永 正裕

入り乱れ新党合戦狂ひ花         徳永 正裕 『この一句』  いま、この時、こういう風に詠んでみたかった、という句だと思う。いい句を作りたい、というような考えは、とりあえず別に置いたのだろう。時節柄、世の中のこと、時事的な事柄を取り上げたくなるものだ。新聞記者の多い句会としては、さほど珍しくないタイプ、と言えるかも知れない。  句の背景を語る必要はない。いまなら誰でも頭の中に、そのことがある。何年か経つと記憶は次第に薄れていくが、完全に忘れ去ることはない。俳句帳の中などにこの句を見つければ、その時の国情、政情、国民感情などが甦って来る。これもまた俳句の効用、と言えるかどうか分からないけれど。  句会に「帰り花」の兼題が出されていた。全投句を見渡したところ「狂い花」「狂い咲き」を用いていたのは、この句だけであった。狂い花は語感上、敬遠されがちである。それなら敢えて挑戦しようか、と野党的精神を出そうしても、結局、与党的な「帰り花」に行き着いてしまう。この句、「狂い花にぴったり」と大いに感心したが、大量票は集めにくかったかも知れない。(恂)

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望郷の花と思へり帰り花         宇佐見 諭

望郷の花と思へり帰り花         宇佐見 諭 『季のことば』  「帰り花」「返り花」という言葉がいつ頃からあったのか分からない、と古い歳時記にある。もともとは中国の「狂花」があり、日本で「狂い花」「狂い咲き」と用いられているうちに「帰り花」が生まれたらしい。日本的、あるいは俳句的なセンスによる見事な言葉の創造、と言えよう。  俳句の作品で言えば、少なくとも芭蕉以前から「帰り花」の句は作られていて、歴史的にけっこう人気の高い季語になっている。もし「狂い花」「狂い咲き」という語しかなかったら、どうだろう。小春日の頃、気まぐれに咲く花が、これほど注目されることはなかったのではないか。  上掲の句の作者は柔道経験者主体の「三四郎句会」に今年から参加して、俳句を始めたばかり。「帰り花」という言葉も初めて知って、句を作ったようだ。「田舎にも咲いていたな」という記憶をそのまま詠んだのだろう。番町喜楽会との初めての合同句会では、二人のベテランから「作者と帰り花が一体になったような感じがする」「望郷なんて言葉、なかなか出て来ないものだ」と、お褒めの言葉を頂いた。(恂)

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年の瀬や床屋で受くる蒸しタオル   岡本 崇

年の瀬や床屋で受くる蒸しタオル   岡本 崇 『合評会から』(番町喜楽・三四郎合同句会) 賢一 気持ち良さそうですね。実感で頂きました。 白山 これは年の暮れでないといけませんね。どの月であろうと床屋の蒸しタオルは気持がいいが、やはり年の瀬にとどめを刺す。うまいもんですね、これは季語が動きませんねえ。 てる夫 この床屋の蒸しタオルの気分というものは女性には分からないんじゃないかと思いますねえ。ことに年の瀬の慌ただしい一時を逃れて、床屋で息をつく。これがいいんですよね。 大虫 そう、ほっと一息という感じがよく出ています。      *     *     *  気忙しい年の瀬だからこそ、「床屋の蒸しタオル」が一層有難いものに感じられる。もう大掃除も賀状書きも済ませての散髪だろうか。それではちょっと優等生過ぎる。何もかも積み残し、結局は「ええい、もう全部年越しだ」と開き直って、床屋に出かけたと取った方が断然面白い。蒸しタオルを被されて、極楽往生である。(水)

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しんしんと霜のふる夜の棚田かな   石黒 賢一

しんしんと霜のふる夜の棚田かな   石黒 賢一 『合評会から』(番町喜楽・三四郎合同句会) 進 きれいな句だと思いました。 信 LED(発光ダイオード)で照らされた棚田をテレビで見たばかりです。生産性の低い棚田は観光客頼りなのか、と思いましたが。狭い所で米をつくる日本人の心が棚田にあるんですね。この句からそんな感じを受けました。 水馬 実に静かな、水墨画を見るような感じがしまして・・一物仕立てのオーソドックスな詠み方の素晴らしい句だと思います。 光迷 先日豊橋の方に行ったのですが、棚田がかなりありまして、円空仏もあったし、珍しい神楽も見たし、まさにこうした棚田の雰囲気を満喫しました。それを詠んでくれているような句です。 諭 都会にいては到底味わえない静謐ですね。        *     *     *  大昔から詠まれている形で、おそらく似たような句があるに違いない。それなのに、読むとほっとする。句会でも多くの点が入る。日本人の胸に深く刻まれている風景だからであろう。「偉大なる月並句」と呼びたい。(水)

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円空仏一切省略年の暮れ   野田 冷峰

円空仏一切省略年の暮れ   野田 冷峰 『合評会から』(番町喜楽・三四郎合同句会) 百子 円空の省略された彫りの仏像、「一切省略」というのが、円空仏の感じと年の暮れの雰囲気にぴったりだなあと思います。 有弘 名のある俳人が作った句だとしたら、「名句」として末永く残されるような句じゃないかな。そんな気がする句です。 春陽子 人間はくだらないものをたくさん背負っている。この仏様はそうしたものを一切背負っていない。ああこんな生き方をしたいという気持。 克恵 細かなところを一切省いてしまった仏像、私もこんな風にして年の瀬を迎えられたらなという願望ですね。 久敬 一刀彫りとも称される粗削りの中に神秘さを秘めています。「一切省略」の表現に奥深いものを感じました。      *     *     *  円空仏と年の暮との取り合わせ。こう詠まれてみると、なるほどなあと思う。しかし、野暮な人間、なかなかこうは行かない。それを十分わきまえている面々、「そうありたい」と思うわけですよねえ、と。(水)

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生命あり戻りし窓に帰り花   河村 有弘

生命あり戻りし窓に帰り花   河村 有弘 『合評会から』(番町喜楽・三四郎合同句会) 楓子 病院から戻ると帰り花が咲いていた。命を取り戻したんだなあという気持がこみ上げて来るのが伝わって来る素晴らしい句です。 克恵 「生命あり」と「帰り花」が強く結び合わさって、印象の深い句です。 てる夫 「帰り花」と「生命あり」はよくある取り合わせだなと思ったのですが、やはり捨ててはおけない句だなと思いました。 大虫 帰り花にはよくぞ咲いてくれたという気持と、そのまま実を結ぶこともなく終わってしまうはかなさを抱きます。大病して戻って来られて嬉しいのだが、まだ不安はある。その気分がよく伝わってきます。 久敬 大病して退院したときの喜びが素直に感じられて素晴らしい。 而雲 帰り花にしみじみとした感じを受けたことを素直に詠んだところがいい。      *     *     *  数年前、心筋梗塞で危うく命を取り留めた作者のいつわらざる心境句である。「あり」「戻り」「帰り」と、俳句作法から言えば「うるさい」という批判もあるだろう。しかしそんな些末な意見を吹っ飛ばしてしまう力のある句である。第一回の番喜・三四郎合同句会で堂々最高点を獲得した。(水)

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最後だね学園祭へ落葉踏む         村田 佳代

最後だね学園祭へ落葉踏む         村田 佳代 『この一句』  学園祭(文化祭)はおおよそ、十一月三日の文化の日を中心に行われている。立冬のころだから、落葉を踏んで通学路を行く季節でもある。駅から学校まで、仲のいい友だちと会話を交わしながら歩く。学園祭が終わればもう師走。来年の別れの時もそう遠くない。「最後だね」の言葉が互いの心に沁みる。  名称は同じ学園祭でも大学の場合は課外活動になるので、遊びの傾向が高まるという。休日と同じように考え、どこかへ遊びに行ってしまう人も多い。しかし高校までは教育正課の学校行事だから、先生の指導下にある。研究発表でもパフォーマンスにしても、生涯の思い出になるほど懸命に準備や練習を積まなければならない。従ってこの学園祭は高校三年の時の、とみなしていいのだろう。  句会ではオジサンたちがこの句に惹かれたようだ。「青春の香りがする」「学園ものに弱いんですよ」などのコメントがあった。もしかしたらこの句、作者の初作品かも知れない。少なくとも句会への初投句であったはずだ。俳句における初々しさ、瑞々しさとは? そんなことも考えさせられた。(恂)

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