冬温し出会へた朝の流れ星   池村実千代

冬温し出会へた朝の流れ星   池村実千代 『この一句』  「冬温し」という季語は、冬なのにぽかぽかとした陽射しが何とも心地良いといった感じでうたわれるのが普通だが、この句は流れ星に出会えたが故に冬温しの気分になったという。珍しい詠み方である。  ついこの間「双子座流星群」が出現し、話題になった。作者もこれを見ようと、寒い夜明け方に庭だか二階のバルコニーだかに立ち尽くしていたのだろう。がたがた震えながら暁闇の空を見上げる。首がこわばってしまう。いくら見上げていても流星は出現しない。もう限界だ、あきらめて寝ようと・・、その途端にすーっと星が流れた。  流れ星が消える間に願い事を三度唱えると、それが叶えられるという言い伝えがある。だけど流れ星はあっと言う間に消えてしまう。ものの一、二秒だから、願い事を唱えることなんて無理だ。けれども流れ星を見られただけでも幸せな感じになる。なんだか身内が温かくなってきた。来る年はきっと良いことがあるぞという気分が湧いて来た。(水)

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着ぶくれて熊めけるひと道に寝る   高橋 淳

着ぶくれて熊めけるひと道に寝る   高橋 淳 『季のことば』  いまどき「着ぶくれ」は流行らない。冬服でも近頃のは布地が薄くて秋や春物と変わらない。ビルの中は「暖房温度を低めに」などと言いながら、厚着していると汗をかくほどだ。電車内や駅構内、地下道なども温かい。  けれども俳句では「着ぶくれ」は冬の大きな季語になっており、結構人気がある。「着ぶくれのおろかなる影曳くを恥づ 万太郎」というように、達磨さんのように重ね着した人はさすがに見なくなった。と思っていたら、やはりいた。熊のようにふくらんだ身体を道路の端に横たえている自由人である。  この句は「熊」という兼題句会への投句。当然のことながら「着ぶくれも季語じゃないですか」という声が上がった。しかし、よく読み直すと、「熊めく」では季語になり得ないから、これはいわゆる「季重ね」ではなくて、「着ぶくれ」の句ということになろう。たまたま「熊」という題に触発されて出来たんだろうと言ったら、「何かごまかされているような感じだなあ」と首を傾げる人がいた。天衣無縫融通無碍なる作句術のこの作者もまた自由人である。(水)

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年暮れる五年日記も書き終えて      竹居 照芳

年暮れる五年日記も書き終えて      竹居 照芳 『この一句』  日記を書き終えて年が暮れた、というのでは当たり前過ぎて俳句にならない。ところが「五年日記」となると話が違う。日記帳には五年間という奥行があり、子や孫の成長とか、ゴルフの成績、句会の結果というようなことまで、すべてが遠景、近景を伴う絵画・動画のように存在しているはずだ。  人間は一年をひと区切りとして生きているとは限らない。学校の入試や就職試験などを目指すのであれば三年先、四年先を見つめて努力を続けることになる。五輪種目の有力なアスリートたちは、古代ギリシャ人の用いていた年代「オリンピアード(四年間)」を一区切りとして生きているのだ。  五輪の年は閏年であり、米大統領選の年でもある。大、中、小国の指導者交代が相次いだ今年、目を自分に転じてみると、こまごまとした原稿を書くようなことばかりだったが、それが悪いということではない。上掲句の作者は一昨年から俳句を始め、その二年目が終わった。五年日記の四年目の秋からは、俳句のことも書いたのかな、などと想像してしまう。さて我々の次の五年はどうなるのだろう。(恂)

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主なき年は静かに暮れにけり       山口斗詩子

主なき年は静かに暮れにけり       山口斗詩子 『この一句』  彼は何でも頼みやすい人であった。俳句会のことも、NPOのことも、重い荷物を運ぶような仕事も、何を頼んでも「はい、はい」の二つ返事で引き受けてくれた。麻雀に誘われればほとんど断ることなく、負けてばかりいた。そんな彼が亡くなったのだから、仲間の誰にとっても大きな痛手であった。  先日、JR新宿駅のホームで見知らぬ男性を遠くから見て、「あっ、彼かな」と思ってしまった。彼のことだから、いろんな人にそう思わせているのだろう。私は彼を親友だと思っていたのだが、彼に親友が大勢いたことが分かってきて、普通の友人くらいでいるべきだったかな、と思っている。  奥さんは「手の掛る人でした」と言う。「蓋がきっちりと締められないのです」と話していた。醤油の瓶もジャムの瓶も、いちいち蓋を点検して締め直さなくてはならなかったそうである。そういうご主人を失った今年、奥さんは静かな歳末を過ごしているようだ。俳句を本気で作られたことはないらしいが、これは何とも心を打たれる句である。俳句はなるほど省略の文芸だ、と教えられている。(恂)

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ビルばかり大きくなりて年暮るる       片野 涸魚

ビルばかり大きくなりて年暮るる       片野 涸魚 『この一句』  N社の旧社屋跡周辺が再開発によって、巨大ビル街に生まれ変わった。更地のころは近くを通れば、「我が社の跡だなぁ」と懐かしく眺めたものだが、新ビルの建設が始まり出すと、感傷は次第に薄れていった。出来上がったばかりのビルには、もう別の会社の人々が出入りしているのだ。  一夕、N社OBが連れ立ち、「探検に行こうではないか」と“旧社跡”にぞろぞろ出掛けた。「おい、何だかニューヨークにいるようだな」。お上りさんのような気分で地下街に入って目を見張った。広々とした飲み屋街である。一軒ごとに広く、客が百人以上も入れる店もある。試しに一軒に入ってみたら、ガラガラだ。「おい、この店、潰れちゃうんじゃないかね」などと余計な心配をする。  やがて若いサラリーマンたちが入り出し、たちまち満員になってく。「おみそれしました」なんて言いながら、小さな飲み屋の並ぶかつての地下街を懐かしむ様子もあった。巨大ビル街の若者たちは、それなりに生き生きしていた。「年暮るる」の思いは「我らの時代暮るる」の思いであったかも知れない。(恂)

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極月やどしんと棄てる文庫本  金田 青水

極月やどしんと棄てる文庫本   金田 青水 『合評会から」(日経俳句会合同句会) 正市 棄てにくい本を棄てたのですね。「極月」という季語が生きていると思います。 佳子 「どしん」という表現に思い切りのよさが感じられます。 定利 文庫本を何かに包んだのか、段ボールにでも入れているのか。今風の句ですね。 啓明 極月ですからね。年が極まって、大掃除をやるので、ついに棄てねばならない。「どしん」に、「えい」という気持ちが込められている。 光迷 年来の溜ったものの大掃除ですね。文庫本ですが、棄てたのは小説本が多いのかな。 誰か 「棄てる」は、文語体だと「棄つる」になりますが……。 青水(作者) それも考えましたが、「どしん」ですからね。やはり口語体の方がいいと思いました。              *              *  この後、本の整理の話が長く続いた。大手の古本屋に売ったら、一冊十円だという。煙草の匂いがするとただでも引き取ってくれないらしい。当然ながら、読書家ほど本の処理に困っているようだ。(恂)

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縁談のひとつ起こりて冬ぬくし       田中 頼子

縁談のひとつ起こりて冬ぬくし       田中 頼子 『この一句』  近年、日本人の晩婚化が著しい。男女とも三十歳代の未婚者は普通、四十代でも珍しくなくなっている。親たちはやきもきしているが、子供たちは平然と独身生活を楽しんでいる。かつては部下に縁談を勧めていたような立場の人たちも、いまでは独り者が多いというのだから、ただ事ではない。  この句の眼目は、縁談の「ひとつ」にあると思う。昨年の東日本大震災と大津波、原発事故によって日本は暗い雰囲気に覆われてしまった。新政権のインフレ狙いも、年金暮らしの者にとっては、非常に危ない話だ。そんな自分たちの周辺に、縁談が持ち上がったらどうなるのか。たったひとつの縁談話ではあるが、みんなが明るい気持ちになり、厳しい冬も暖かく感じられるようになる。  問題は縁談の先にあるのかも知れない。ゴールに至るまでの道のりは、そう簡単ではない。若い人たちはとかくドライで気まぐれだ。結婚指輪を交換しても、ご破算にしてしまうことがあるという。俳句の中のことだけれど、この縁談、うまくいってもらいたい、なんて思ってしまったよ。(恂)

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風に飛ぶ声訊き返す雪の尾根   深田森太郎

風に飛ぶ声訊き返す雪の尾根   深田森太郎 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 正 映画の一シーンでも見ているような感じです。雪の尾根で、仲間が何か言ったのだが風に声が吹き飛ばされて聞こえない。大声で聞き返す。そういった情景がまざまざと浮かびます。 恂之介 厳しい状況を詠んだ珍しい句です。ただ動詞が一杯繋がっちゃってうるさい感じがするが、臨場感がありますね。「風に飛ぶ」の「飛ぶ」なんて要らない。「烈風に」などとした方がいいのではないか。 頼子 学生時代ワンダーフォーゲル部に居りまして、冬山にもよく行きました。ほんとにこういう感じで、風に声が吹きちぎられるんです。風のひりひりする痛いような冷たさまで感じられる句です。        *     *     +  冬の山と言えば丹沢、奥多摩あたりをうろうろしただけの私にはこの句を論評する資格がないが、確かにこんな具合なのだろう。表現上は多少うるさい感じもするが、「風に飛ぶ声」というのもその通りなのだろうなと思わされる。(水)

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居眠りを眺め居眠り冬温し   杉山 智宥

居眠りを眺め居眠り冬温し   杉山 智宥 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 光迷 電車の中でしょうか、あの人居眠り始めたよと言ってた人がいつの間にか居眠りという、よくある情景ですが、いかにも俳味を感じさせる詠み方だし、冬温しがぴったりです。 啓明 冬の陽射しが差し込むリビング。カミサンがこっくりこっくりやってるのを見てたらこちらもうとうとしてきたという、いかにも平和な老夫婦です。 正 私は電車内風景と取りました。のんびりした雰囲気が漂っています。 睦子 「居眠り」という言葉を重ねて、ほんわかした感じをよく出している。 綾子 私も電車だと思います。座席の下のヒーターが効いて、柔らかい陽射しが差し込んで、みんなついうとうとという感じがうまく詠まれています。        *     *     *  誰もが一読共感を抱く、ほのぼのとした句だ。不景気だ、産業空洞化だ、尖閣諸島問題だと世の中騒がしいが、なーに日本は依然として地球上最も平和で安全な国である。電車や公園のベンチで居眠りをしていても安全という国は数少ないのだ。(水)

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冬日向ワゴンセールの古書あまた   大下 綾子

冬日向ワゴンセールの古書あまた   大下 綾子 『合評会から』(日経俳句会) 庄一郎 神田あたりの古書市なんでしょうか、冬日を浴びて、沢山の人出がある。この「ワゴンセール」というのが良かったと思います。 光久 古書マニアの様子が目に浮かびます。あれこれ掘り出すんですね。        *     *     *  もしかしたら郊外の新興住宅地を控えた駅前広場かも知れない。休日ごとに青空市場が開催され、その中に古書市も立つ。そういうところの売り手は古書についての専門知識があまり無いから、良いも悪いもごたまぜで並べてある。「こういうところの古書市はほとんどが二束三文の古本だけど、時にはね、とんでもなく貴重な本が百円で手に入ったりするんだ」と古書鑑定ではセミプロ級を自認している息子は言う。  掘り出し物が見つかるかどうかはさておいて、うらうらと冬日射しを浴びての古書市巡りは本当に楽しい。(水)

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