朝顔や今日はきのふの繰り返し      大澤 水牛

朝顔や今日はきのふの繰り返し      大澤 水牛 『この一句』  今日は昨日の繰り返し――。言われてみれば、頷くほかはない。生まれてこの方、学校に通うのも、会社に出かけるのも、おおよそは同じことの繰り返しだった。特に定年退職後がそうだ。旅行に行き、俳句会に出かける、ということはあっても、我々は基本的に同じことを繰り返しながら生きている。  すべて日常的な無意識の行動だから、普段はあまり意識しない。ところがふとしたはずみに、この句のような、人生の基本的な問題に考えが及んで行く。では、どんな時に考えるのか? 朝顔を見る時にだと、この句は言う。朝顔は毎朝咲き、昼には萎み、夕方には新しい蕾が長く伸びている。今日も明日も明後日も、まるで我々の生活に添うように、咲いたり、萎んだりを繰り返すのだ。  槿(むくげ)や野萱草(のかんぞう)など、朝咲いて夕方に萎む一日花は少なくないが、朝顔とは特別に親しい関係にある。種や苗から育てることにも関係があるだろうか。「おお、咲いたか」「明日はもっと咲きそうだ」。うんざりするような繰り返しではない。平穏にして幸せな繰り返しなのである。(恂)

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