夏木立古井戸一つありにけり     井上 啓一

夏木立古井戸一つありにけり     井上 啓一 『この一句』  月に数回乗るバスの路線沿いにちょっと気になる木立があった。公園でないから、おそらく個人の土地なのだろう。林と言っていいほどの雰囲気があり、相当奥が深い。竹垣は壊れかけ、地面には落ち葉が堆積していて、手入れがいいとは言えない。奥に家がありそうだが、はっきりと分からない。  先ごろバスの窓から見たその木立は、何となくすっきりとしていた。よく見ると古い竹垣が取り払われていた。木々の枝もある程度切られたようで、見通しがよくなっている。奥に農家と思われる建物があった。印象的だったのは、もはや使っていないと思われる井戸が見えたことである。  東京都区内に広い土地を有しているのだから、江戸、明治の頃から続く屋敷なのかも知れない。固定資産税一つとっても、持ちこたえることの困難さは想像に難くない。いよいよ、売ってしまうのか――。そんな夏木立の状況を一句に仕立てようか、と思っていたら、句会でこの句に出会い、はっとした。「古井戸一つありにけり」。こんな風に、あっさりと詠みたいものである。(恂)

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