夏木立古井戸一つありにけり     井上 啓一

夏木立古井戸一つありにけり     井上 啓一 『この一句』  月に数回乗るバスの路線沿いにちょっと気になる木立があった。公園でないから、おそらく個人の土地なのだろう。林と言っていいほどの雰囲気があり、相当奥が深い。竹垣は壊れかけ、地面には落ち葉が堆積していて、手入れがいいとは言えない。奥に家がありそうだが、はっきりと分からない。  先ごろバスの窓から見たその木立は、何となくすっきりとしていた。よく見ると古い竹垣が取り払われていた。木々の枝もある程度切られたようで、見通しがよくなっている。奥に農家と思われる建物があった。印象的だったのは、もはや使っていないと思われる井戸が見えたことである。  東京都区内に広い土地を有しているのだから、江戸、明治の頃から続く屋敷なのかも知れない。固定資産税一つとっても、持ちこたえることの困難さは想像に難くない。いよいよ、売ってしまうのか――。そんな夏木立の状況を一句に仕立てようか、と思っていたら、句会でこの句に出会い、はっとした。「古井戸一つありにけり」。こんな風に、あっさりと詠みたいものである。(恂)

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ゆくりなく向き合ふ告知朧にて   吉野 光久

ゆくりなく向き合ふ告知朧にて   吉野 光久 『合評会から』(水木会) 弥生 「ゆくりなく」の思いがけず、突然という意味と「朧」。現実として受け止められない心境がよく詠まれています。 てる夫 眺めていると切なくなる。可哀そうだという気がふつふつと湧いてきます。これから抗ガン剤の治療を定期的にするそうですが、最近は治療法が進んで、とてもよく効くということが救いですね。 正 突然の告知に作者の頭の中は真っ白になった。さながら朧の中と実感した作者の心に共感する。 正市 夏まで治療に専念するということでした。本人はとても元気で、気分転換になるから選句表を早く送ってくれって(笑い)           *  木山捷平短編小説賞を受賞され、その祝賀会で大勢の友人知己に祝いの言葉を受けご本人も大いに昂揚、これから第二の人生のスタートだと宣言した。その数日後の突然の知らせが「悪性リンパ腫」だった。本人も唖然としたようである。幸い経過は良好。一日も早い復帰を祈る。(水)

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よみがへる六角堂や夏木立   三好 六甫

よみがへる六角堂や夏木立   三好 六甫 『この一句』  六角堂というのは全国各地にあるが、今日、「よみがへる六角堂」と言えば、茨城県五浦海岸にある岡倉天心ゆかりの六角堂を措いて他に無い。明治38年(1905年)、天心は「日本美術の真価と日本人の心を広く世界中に知らしめる」と、北茨城の太平洋に面した絶壁の上に日本美術院を作り、横山大観、下村観山はじめ日本美術の俊英と共に移り住んだ。そして総帥は波濤の打ち寄せる巌上にわずか10㎡ばかりの六角の小屋を設けて瞑想に耽った。  長い間、日本美術の聖地とされ、そのシンボルとも見なされてきた六角堂だが、昨年3月11日の東日本大震災の大津波で跡形も無く消え去った。天心の旧居をはじめ日本美術院跡地、「亜細亜は一つ」という天心の言葉を刻んだ石碑などは残っているが、シンボルが失われてしまったままの園内は何とも淋しい。大震災から一年後、持主の茨城大学が昔の設計図通りに六角堂を元の巌の上に建て直した。夏木立をくぐり抜けると、六角堂がまさに大海に溶け込むように坐っている。復興を祝し、心洗われる一句が自ずと生まれた。(水)

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白玉や浅草の雨降り止まず   笹本 塘外

白玉や浅草の雨降り止まず   笹本 塘外 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 白玉と浅草が関係あるようでないようで、まず面白い。それに「浅草の雨」という言い方が面白いですね。 てる夫 そう、いかにも浅草という感じがします。白玉とはねえ、私や水牛さんならもちろん液体の方になるところですが・・。 春陽子 降り込められてスカイツリー見物もだめになっちゃった。しょうがない、白玉なんか食って時間つぶしですよ。女子どものお供で来たんでしょうね。 厳水 「白玉や」で切って「浅草の雨」と続けた。なんともうまい詠み方だなあと・・。 而雲 本当に上手い。「浅草の雨」なんて、言えそうで言えないですよ。           *  雨宿りもこういうのはのんびりとした気分でいい。白焼で一杯などというと腰が落着いてしまうが、白玉というのが雨宿りにはちょうどいい。一見古めかしい句だが、こんな雰囲気が残っているのが浅草という土地柄なのだ。(水)

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二人居て昔語りの朧かな   大平 睦子

二人居て昔語りの朧かな   大平 睦子 『季のことば』  朧とは春の夜の様子を言う季語だが、五月とは言っても初旬のうちはぼんやりともやがかかったような朧夜が続く。まだ菜の花がさかんに咲いているし、そこに煙るような雨が降り注ぎ、宵闇ともなれば街灯は暈がかかったようにうるむ。  こんな晩はとかく思い出話に耽りがちである。長年連れ添った夫婦にはこういう場面はよく訪れるだろう。子どもはみな巣立って、それぞれの家庭を作っている。老夫婦は孫のことなど喋っていたのが、いつの間にかその親たちである息子や娘がまだ幼かった頃を思い出して、あれこれ話し出す。  こうした老夫婦の昔語りもなかなかいい雰囲気だが、それほど珍しい場面とは言えず、句としてはやや新鮮味に欠ける。やはり、久しぶりに会った昔なじみと二人だけでくつろいでいる場面の方がいい。同性の旧友同士でもいいし、あるいは昔の恋人同士でもいい。朧月を見上げながら、盃をやりとりしている。二人ともそう饒舌というわけではないが、どちらかがひと言いっただけで、朧の中にぱっとその場面が甦って来るのだ。今夜は満月である。(水)

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十念を唱え戻るや花馬酔木     鈴木 好夫

十念を唱え戻るや花馬酔木     鈴木 好夫 『この一句』  十念とは何か。「広辞苑」で調べたところ念仏、念法、念僧、念戒、年施、念天、念休息、念安般、念身、念死のことだという。ではそれぞれの意味は? さすがの広辞苑も個々に説明しているのは念仏など三つだけ。しかし、その中の念死の説明にぐっときた。「人の死は避けられないものであることを念じ、忘れないこと」。分かっていることではあるが、改めてそう言われてみると……  この句は、当欄の前掲載句と同じ、師の墓参後の吟行で詠まれた。墓所からだらだら坂を二十分ほど下って行った「森林科学園」は、まさに花の山であった。浮き浮きした気分にならざるを得ず、満開の花や花吹雪の句を詠むことになる。それが浮世というものだろう。  しかし作者は地味な馬酔木(あしび、あせび)に目を向けた。あそこには確かに馬酔木も咲いていた。あの壺型の小さな白い花は、桜とは別の美しさがあり、墓参後の心のあり様を静かに表わしている。念仏、念天、念身、それに念死。次の墓参にはこの四つくらいを念ずることにしたい。(恂)

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谷越えてなほも飛びゆく落花かな      田中 頼子

谷越えてなほも飛びゆく落花かな      田中 頼子 『この一句』  俳句の師・村田英尾先生の墓参を兼ねた小吟行での作。場所は墓所に近い東京・八王子市の多摩森林科学園である。日本全国の有名な桜の遺伝子を保存するために作った森林園だから、種類の異なる桜が次から次へ現われ、いくら見ても見飽きることがない。説明書によると二百五十種、千五百本。二月下旬から五月上旬まで、さまざまな種類の桜が咲き続けるという。  山あり谷ありの地形で、「吉野に似ている」という人が多い。ちょうど染井吉野の散る時期だった。風が吹く度に桜吹雪が湧き起り、花見の人々の歓声も湧き上がる。作者は園内の高所から、落花の飛び行く方をじっと見定めていたのだろう。一群の花びらが帯のようになって谷間を越えて行く。  普通なら、そのあたりで目を離してしまう。さらにその先となると誰もが「どうだったかな」と首をひねるはずだ。しかし作者はその先を見ていた。視線の先にあるのは此岸(しがん)か彼岸か。僧籍を持ち、師の墓前で朗々と経を読み上げた彼女に、落花の行方について聞いてみたいと思う。(恂)

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一片のまた加はりし花筏      佐々木 碩

一片のまた加はりし花筏      佐々木 碩 『この一句』  「花筏(はないかだ)」は、桜の花びらが水に落ちて一固まりになり、筏のようになって流れていく様を言う。地面などに落ちた花びらの「花屑」とは対照的な、まことに風雅な命名であり、桜に係る数多の季語の中で近年、人気の高まったものの一つと言えよう。かつてこの季語を採用しない歳時記もあったが、このところ気象予報士がよく説明することもあって、一般にも知られるようになった。  水面の花筏に、また一片(ひとひら)が加わって行くという情景。これは写生の句か、頭の中で描いた句なのか。初めはそんなことも考えたが、どちらでもいい、と思い直した。作者の記憶の中に無数のスケッチがあり、その中からこの一場面を取り出して一句としたことに間違いないのだから。  写生と現実は必ずしも一致しないと思う。俳句の場合、読み手の頭にその情景がありありと浮かべば、写生と呼んでいいのではないか。作者は「たんぽぽの絮(わた)一呼吸しては発つ」という句も、同じ句会に投句している。両句ともに、素晴らしい「写生の句」と言うほかはない。(恂)

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客とぎれ陶芸展の日永かな      大澤 水牛

客とぎれ陶芸展の日永かな      大澤 水牛 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 私、現場を実見しましてね。この句を見た時、なるほど、こういう時に「日永」という季語を使うのだなということを、まざまざと思い知らされました。 水牛 いやぁ、まさにそうなんです。お客さんがぷつんと途切れちゃいましてね、受付のカウンターを前に坐っているうちにうつらうつらし始めた。そうしたら目の前で誰かがごそごそ記帳しておられる。はっと目が覚めてみたら春陽子さんだった。 厳水 そんな雰囲気が、目に浮かんで来ました。 克恵 素直に情景を詠んで、季語がぴったりですね。 *               *  春になり、少しずつ日が長くなってきた、と感じる頃が日永の時期。最も日が長くなるはその先の夏至の前後だが、日本人に備わった季節的、言語的感覚は理屈を超えたところにある。この句を見せて、季節は春か夏かと問えば、俳句を知らない人でも「春」と答えるのではないだろうか。(恂)

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