春眠の起きなくてよい寂しさよ   杉山 智宥

春眠の起きなくてよい寂しさよ   杉山 智宥 『季のことば』  「春眠」という季語は、唐時代の詩人孟浩然の「春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聴く」という有名な詩から生まれた。とにかく朝寝坊というのは気持の良いもので、それも陽気の兆す春の朝寝が格別だというので、「朝寝」というのまで春の季語になった。朝寝の楽しさは何もしないことに身を置く、怠けることを許す心地良さにあるようだ。  ところがこれは「もう何もしなくてもいい、早起きなんかしなくてもいい身分になってしまった」状態での春眠を詠んだめずらしい句である。定年後の「御用済み」といったちょっと自嘲めいた気分。しかしこの老人、「寂しさよ」などと言っているくせに、少々の自堕落に身をゆだねるのも悪くはあるまいと開き直った、したたかさも持ち合わせているようだ。年を取ると目覚めが早くなり、あまり長くは寝ていられないのが普通だが、朝寝坊が出来るのは若さを保っている証拠とも言えそうだ。こういう元気な老人が近頃増えている。(水)

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春風や回らぬ舌の満二歳   徳永 正裕

春風や回らぬ舌の満二歳   徳永 正裕 『合評会から』(酔吟会) 正風 いい句だね。満二歳と収めているところがいいし、春風というおおらかな気候、舌がまだよく回らないころの子供との取り合わせがうまく合っている。 反平 可愛い盛りの満二歳が、春になって活発に動き回るようになり、ますます可愛さが増す、そんな詠み手の気持ちが目に浮ぶね。 二堂 二歳というと、意味のある言葉をしゃべり始める時期で、春風が吹くころに活動的になっていく。可愛いですね。私の孫もちょうど二歳になります。 てる夫 満二歳というと歩き始める、活発な動きが出来るようになってくる。季節といい、のびのびと動く二歳の子、それらが目に見えるようですね。「回らぬ舌の満二歳」というのが、実にいい調子で、いい表現です。           *  こういう句は孫にめろめろのオジイチャンたちにはたまらない。高得点をあつめた。孫俳句というものは甘ったるくてどうにもならないのが多いのだが、この句はぐっと抑えて写生に徹したところが成功の所以であろう。(水)

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沈丁花女の支度門で待つ        星川 佳子

沈丁花女の支度門で待つ        星川 佳子 『合評会から』(水木会) 智宥 「女の支度門で待つ」。私も被害者で(笑い)、そういう観点でいただきました。ただ春だから季語は「沈丁花」で、ほかの花でも、「時雨るるや」でもよさそうですが。 定利 ぼくは「沈丁花」という季語がすごくいいなと思いました。着物を着ているのかな、待っているとフワっといい匂いがして、出てくる人が美人みたいで。色っぽくていい句だと。(笑い) 智宥 私は、お母ちゃんを待っているつもりでしたが。(笑い) 弥生 私はこの句、あらあらと思った。よく読むとなまめかしさがあって、沈丁花の香りとぴったり。 水牛 そう、危ない感じも…(笑い)。初めは季が動くかなとも思ったけど、沈丁花はいいですね。 *             *  季が動く、ということ。女性が例の美人なら沈丁花、「お母ちゃん」なら他の花、となるのかな。季語を動かして、それぞれに魅力的な世界が生まれるなら、どちらもOK、と私は考えています。「時雨るるや」というのも、いいですねぇ。(恂)

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老梅や朽ちるがままの三重の塔      野田 冷峰

老梅や朽ちるがままの三重の塔      野田 冷峰 『この一句』  横浜・三渓園での作。その広壮な庭園のほぼ中央、園内の最も高い丘の上に聳えているのが旧燈明寺の三重塔である。室町時代に作られ、高さ二十四メートルほど。京都・相良郡にあった廃寺から移築したものだという。同じ日、私は丘の上まで登り、間近からよく見てきたつもりだった。  三渓園は生糸の商いで財を成した原富太郎(号・三渓)が作り上げた庭園で、国の重要文化財の建物が三重塔を含めて十件、十二棟もある。元来は京都、和歌山、岐阜、神奈川などにあったものをここに移築してきたものである。それらの象徴とも言える建物が「朽ちるがまま」とは驚いた。  この句を読んだ後に調べてみたら、三重塔が移築されたのが一九一四年(大正三年)。三渓園に建てられてから百年近くになる。風雨にさらされてきた寂びた風情に「さすがだ」などと感嘆していたのだから、わが目は節穴だった。作者は朽ちかけている塔の各所をしっかりと見定めていたのだ。近くに咲いていた老梅を配して、「保存・修理をしっかりせよ」と訴えているのだろう。(恂)

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墨提の春の日統べて天空樹       吉野 光久

墨提の春の日統べて天空樹       吉野 光久 『この一句』  墨堤(ぼくてい)の春の日統(す)べて天空樹(スカイツリー)。「墨提」は隅田川の堤、「統べる」は、支配するの意味。さて、「天空樹」という新語をご存じだっただろうか。実は中国語ではスカイツリーを「日本天空樹」あるいは「東京天空樹」と書くのだという。しかしこれ以外にも「東京晴空塔」などがあって、中国の国家機関が認めた公的な固有名詞ではないようである。  中国人に感想を聞いたところ「天空樹は直訳ですね。可口可楽(コカコーラ)のようなセンスに欠けている。中国人にはまだ広く知られていないし、一般的な呼び名になるかどうか」ということであった。しかし日本人にとって、特に俳句愛好家にとって、とてもいい漢訳と言えるのではないか。  「天空樹」には「スカイツリー」のルビが振ってあったのだが、「てんくうじゅ」と読んだ方がいい、という意見があった。私も賛成である。五七五にすっきりと納まるし、語感も悪くない。これから「天空樹」の句がたくさん出てきそうだが、この句がその第一号? 少なくとも先駆けと言えるだろう。(恂)

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つくしんぼスカイツリーも仲間かな     大熊 万歩

つくしんぼスカイツリーも仲間かな     大熊 万歩 『この一句』  この句を見て、どこで詠んだのだろう、と思った。土筆(つくし)が生えていて、スカイツリーが見える場所、ということになる。大きな川の土手かも知れない。しかし隅田川はスカイツリーに近すぎるし、土手がしっかり固められている状況からして、土筆(杉菜)は生えていそうにない。  となると荒川か、江戸川か。そういうことを調べるには、インターネットの情報が最も手軽であり、風景写真がついていたりして便利である。さっそくパソコンで検索してみたら、スカイツリーが見え、土筆が生えているという土手が荒川や江戸川にいくつもあった。おまけに富士山まで見えるところもある。  晴れた春の一日。作者は草の生えた土手に、ごろりと横になったのだろう。ふと気付くと視線のすぐ先に土筆が何本も生えている。さらにずっと先に、何とスカイツリーがマッチ棒くらいの大きさに見えるではないか。どちらが高いのか。手前の土筆の方がスカイツリーより高い。土筆たちの話し声が聞こえた。「スカイツリーって小さいな。でも俺たちに似ているから、仲間に入れてやろうか」(恂)

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