ひさびさの賽銭の音山桜   玉田春陽子

ひさびさの賽銭の音山桜   玉田 春陽子 『この一句』  山桜というのは、ソメイヨシノのような華やかさは無いが、茶色がかった新葉とともに咲く風情が奥ゆかしい。吉野山のように無数の山桜が一斉に咲くのも壮観だが、山の中で常緑樹などに囲まれてたった一本、くねり曲がった枝に花をつける山桜の老樹にはなんとも言えない味わい深いものがある。この句の山桜もそういう年を経た樹なのだろう。普段はあまり人が来ないが、花時になると大勢押し寄せるのだろう。  しかし、それだけを詠んだ句ではあるまい。これはやはり東日本大震災一周年の句に違いない。昨年の花時は大地震と津波の後始末で花見どころではなかった。もしかしたらこの社殿も山桜も被害を受けたのかもしれない。一年経ってまた桜の季節になった。まだまだ解決すべき問題は残っているが、まずは何とか落ち着いた。山桜の名木も忘れずに花咲かせて人々に希望を抱かせてくれる。久しぶりに社殿は賑わいを見せている。4月21日開催の第5回NPO法人双牛舎総会の俳句大会で堂々「天」賞獲得の句である。(水)

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水打って斑の際立てり銀鰆   野見山 恵子

水打って斑の際立てり銀鰆   野見山 恵子 『合評会から』(番町喜楽会) 塘外 水を打った途端に銀白色の鰆の斑模様がぱっと浮かんだ。その鮮やかな様子に目を止めて詠んだところが素晴らしい。 而雲 魚って大概は陸に上がるとねずみ色っぽい一色になっちゃう。それが水を打たれるとさーっと鮮やかな色が浮き立つ。よく見ているなと思いましたね。 正裕 そう、私も同じこと思いました。魚屋はよく水を打ってますよね、そうすると魚は生き生きとする。そういう場面を目ざとく捉えています。 沙羅 そうですね、鰆のぴんと張った様子が目に浮かんで来るようです。           *  鮮やかな印象の、分かりやすい句である。腹部は真っ白、体側から背中にかけては青みがかった銀色で、褐色を帯びた黒斑が入っている。サハラ(狭腹)というのが語源らしいが、その通り細長く平べったいまことにスマートな体型。身が柔らかいから照焼きや味噌漬けが旨いが、新鮮なものの刺身はすこぶる良い。これが食膳にのるころ、春はたけなわ。(水)

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見えぬ手に誘はれ歩く朧かな   山田 明美

見えぬ手に誘はれ歩く朧かな   山田 明美 『この一句』  句会の合評会で「最初はちょっと分からなかったが、『見えぬ手』は色々考えさせられる。自分の悩み事とか、考えながら歩くとか、朧の中を歩きたい理由付けに『見えぬ手に誘はれ』とは、面白い言葉を考え出したなと感心した」(二堂)という感想が述べられたが、これに尽きると思う。  何も信仰心が篤くなくとも、「見えぬ手」に導かれているような感じになることはよくある。ましてや朧夜である。朧とは夜間の霞を言う。空気がなんとなく湿った感じで、月がヴェールをかぶったようにぼうっとかすんで見える。街灯も川面も海の波もぼんやりとにじんだようになり、時には遠くの鐘の音まであやふやな感じに聞こえる。  そういう中を歩いていると、頼りない気分にもなるが、なんとなく温かく、すべてが懐かしく思えたりする。これが春の宵の「おぼろ」というものだ。気象学ではこの現象も明快に科学的解釈を下すのだろうが、俳人はそれを感性でとらえる。(水)

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ぽつぽつと語ることあり朧月   高橋 淳

ぽつぽつと語ることあり朧月   高橋  淳 『合評会から』(水木会) 二堂 この人色々思っているんでしょうね、朧の夜ですから心にあることを何となく語りたくなって・・。「朧月」と「ぽつぽつと」が非常に合っている。 碩 親が息子に今までしなかった話をしている光景かなと思いましてね。 睦子 「ぽつぽつと」の表現は、ぼんやりと滲んでいるような感じがします。重たげな話題が朧な夕空にぴったりくる。 青水 目新しくはないが、丁寧に心情を描写している。「ぽつぽつと」がよい。           *  いかにもおぼろ月夜にありそうな情景だ。ことに碩さんの句評は面白い。「お前にこのことを話したことがあったかなあ」と言いながら、父親が息子にぽつぽつと話し始める。父親の大昔の苦労話かも知れない。  朧とか朧月はロマンチックな幻想をかき立てられる季語だが、こういうしんみりした雰囲気を詠むのもなかなかいいなと思う。(水)

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老木のそつと息する朧かな       金田 青水

老木のそつと息する朧かな       金田 青水 『合評会から』(水木会) 弥生 老木の息遣いなんて、昼間だと気がつかないでしょう。朧の夕暮れでしょうか、自分の気持ちが普通の生活から離れたとき、こういう感じを受けたのですね。きれいな句だと思います。 碩 本日一番の好きな句だった。「そっと息する」。うまいですね。 昌魚 先日、岐阜・根尾谷の薄墨桜を見に行きました。ちょうど満開だったので、人がいっぱいで。夕方に天気が崩れて皆が帰って行くと、老木ですからね、「ああ、やっと、帰って下さったか」なんて、ほっとしているんじゃないかと……。この句は全くそんな感じですね。いい句です。 水牛 そうですよね。薄墨桜もいやになっちゃうだろうぁ。あそこは回りに柵があるからまだいいけれど、桜は根っこを固められたらすぐ枯れてしまいますからね。 博明 自分のことを詠んだのかな、と想像しました。(同じ意見が他に二人からも) *           *  昌魚さんのコメントに感心した。実際に薄墨桜を見きたからこその説得力がある。(恂)

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麗らかに時移りゆく別れあり      藤野十三妹

麗らかに時移りゆく別れあり      藤野十三妹 『この一句』  誰との別れか、どのような別れだったか、などについてはおおよそ想像がつくが、この際は触れないことにしよう。ともかく誰かと別れた。それから後のことを、この句は詠んでいる。暖かな一日である。作者は公園のベンチにでも腰を下ろし、眺めるともなく周囲の景色を眺めているのだろう。  光陰矢のごとし、なんて考えているのかも知れない。あの人と別れてから、もう一か月も経ってしまった。桜が咲くまではばかに寒かったが、このところようやく春らしくなった。別れるってとても辛い、とふさぎ込んでいたけれど、麗らかな陽気に身を置いてみると、必ずしもそうではなかった。刻一刻と過ぎていく時間が、悲しさを少しずつ融かしてくれるようだ。  結局、どんな別れも時間が心の痛みを和らげてくれるらしい。麗らかな陽気に身をゆだねていると、あの人もこのような心地よい世界に住んでいるのだろう、と思えてくる。つい先日までは辛くて苦しくて、耐えられぬほどだったのに、今では別れた人の笑顔が心の中に浮かんでいる。(恂)

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うららかや河馬の歯みがく動物園    大倉悌志郎

うららかや河馬の歯みがく動物園    大倉悌志郎 『この一句』  河馬が大口を開けている。飼育員がデッキブラシのような大きなブラシを持ってきて、ごしごしと歯を磨く。茶色に染まっていた牙がたちまち、真白になっていく、というような風景が想像される。これはなかなかの見ものだろう。動物園のショーとしても十分に成立しそうである。  この句、句会で最高点を得たが、問題も提起された。「うららか過ぎる」というものである。ある季語に、いかにもそれらしい情景を配するような句は、確かに最近流行らない。しかし「理屈ではない。うららかかそうで、とてもいい句だ」「私は、こういう動物の句が好きなんです」という意見もあった。  作者は動物園に電話を掛けて、いろいろ確かめたそうである。「河馬は獰猛な面もありましてね、気をつけないとパクリと腕を噛まれて、たいへんなことになります」「ははあ、飼育員も命がけですな」。そんなやりとりがあったようだ。俳句作りに取材は大切だが、直接、動物園に訊ねる精神に感服するほかはない。河馬の歯磨のことを聞いている作者の様子を想像したら、自然に笑いがこみ上げてきた。(恂)

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白躑躅天の蒼さに冴えわたる      久保田 操

白躑躅天の蒼さに冴えわたる      久保田 操 『この一句』  青空に花を配した句というと「まさおなる空よりしだれざくらかな」(富安風生)をまず思い出す。実に印象深い情景を、いとも軽々と詠んでいるが、この句を知った後も、同じような句はもう詠めない、とは思わない。名句を目標にして何度も何度も挑戦するのが、俳句作りというものだろう。  北斎や大観の富士の名画があっても、何千、何万という富士の絵が描かれ続けている。俳句もそれと同じことだ。この句は白躑躅(しろつつじ)を蒼い空の下に置いた。紅の躑躅で似たような句を見たことがあるが、白にはさえざえとした感じがあり、別の美しい世界が生まれている。  紅躑躅の野生種から、まれに白色が生まれるという。おそらくそれらが改良され、白の園芸種になったのだろう。紅躑躅は丘を埋めるほどにもなるが、白躑躅は庭の一隅を占める、という感じである。白い花が緑の葉を覆い尽くすようにこんもりと盛り上がり、空の青さを受けて、さらに白く冴え渡っているのだろう。白躑躅の周辺にいるのは作者だけのようだ。句からひっそりとした感じが伝わってくる。(恂)

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丘ひとつ埋め尽くしけり大躑躅   井上庄一郎

丘ひとつ埋め尽くしけり大躑躅   井上庄一郎 『この一句』  躑躅(つつじ)は大群落を作る。「山歩きをよくやっていた昔、こういう景色に出会いました。あたり一面赤く燃えているような感じです」(頼子)という評があったが、雲仙、霧島はもとより、全国各地の山でこうした光景に出会う。山だけではなく、人工的に植栽された躑躅山も見事である。山躑躅が赤であるのに対して、こちらは白、紫、ピンクがかったもの、時には斑入りのきれいな花もある。古い神社や寺の裏山によく見られる。これもまた「丘ひとつ埋め尽くす」感じで一斉に咲く。晩春から初夏にかけて、桜が終わった後の野山や庭園を賑わす。  堂々たる躑躅山の大らかな景色を描いた句だが、「丘全体を埋め尽くす大躑躅なんてあるんでしょうか」という疑問が呈された。そう言われてみると確かに一本の躑躅が全山を覆うというのはおかしいかも知れない。しかし、躑躅山を眺めていると、あたかも無数の木が根っこでつながっていて、親木の合図に従って一斉に花咲かせたかのようにも思える。この句はそういう躑躅の特徴をよく捉えている。(水)

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ガン告知されて見上げる夕桜   須藤 光迷

ガン告知されて見上げる夕桜   須藤 光迷 『この一句』  句会の選句の時点では当然誰の句だか分からない。句座に連なる一同はっとして「いったい誰なんだろう」と思った。年配者の多い句会だから、既にこうした経験を持つ人もいるし、そうでないまでもあちこち傷んでいる人が多い。こういう句が出て来ると、どきっとしてしまうのだ。身につまされて思わず採ってしまうということもあるのだろう、この夜の句会の最高点となった。  それにしても「見上げる夕桜」とは、出来過ぎと言った方がいいくらい出来ている。花びらがぼーっとにじんで見えるのは、夕靄のせいだろうか、呆然としてうるむ我が眼のせいか。私にはまだこうした経験は無いが、そうなった時には多分こういうことになるのだろうなと思う。  この日はたまたま欠席だったが、前の日も皆と元気に顔を合わせていた光迷さんと分かって、驚いた。ガン告知そのものは事実だけれど、幸い進行も遅く、治療を続けていればしばらくは問題はあるまいと言われたと聞いてほっとした。  とにかくこういう句を発表するのには勇気がいる。よく投句してくれたなと思う。(水)

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