閏日やおまけのやうな雪が降る   金指 正風

閏日やおまけのやうな雪が降る   金指 正風 『合評会から』(酔吟会) 烏幸 うまいね。僕には詠めないような句。目のつけどころがいいし、言葉の使い方がいい。ことしがうるう年なんて忘れていたし、その日に雪が降ってそれがおまけ、二月二十九日もおまけ、うまく作ったなあと感心する。 涸魚 おまけという言葉がいいね。ユーモラスだ。 反平 うるう日もおまけ、その日の雪もおまけだなと思う人の、人柄の良さがわかるね。 恂之介 四年に一度のおまけの日。その日に雪が降った。これは春の雪でしょう。二月二十九日は春と決まっているから、「春の雪」とした方がよかったと思うが、ともかくうまい、いいところに気がついた。           *  これは「閏日」を季語としたのか、「雪」が季語なのかという議論があった。しかし二月二十九日の雪なのだからやはり季節としては春だろう。「閏日の雪」と春雪を詠んだものと理解すれば良かろう。「おまけのやうな雪が降る」とは言い得て妙である。(水)

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春風に柾目の下駄をおろしけり   大石 柏人

春風に柾目の下駄をおろしけり   大石 柏人 『合評会から』(酔吟会) 光久 春風にこころ浮き立つ。その気分が柾目の下駄をおろすというところによく現れている。 涸魚 いよいよ散歩の季節になった。「下駄をおろしけり」がぴったりですね。 詠悟 私も真似して下駄をおろしたくなった。 恂之介 新しい下駄は、なかなか指が通らない。ギシギシやっていて、そのうちにうまく収まる。履いて歩き出したときの感じがするな。 二堂 これに類する句を私も考えた。「春風にゴルフシューズを新調す」とか、「黄色い帽子新調す」などと。春風に誘われるとそういう気分になるものです。 正風 こだわるようだけど、下駄でしょ。素足ではくのだし、春風の季節にはいささか早い。五月の薫風の方がぴったりするんじゃないかな。           *  この作者には4,5年前に「梅雨明けて吉野の下駄をおろしけり」というのがある。とっておきの下駄をおろす時期としては、梅雨明けの晴れ晴れとしたお天気の方がふさわしい感じがするが、春風そよぐ朝も悪くはない。あなたはどちらに軍配を?(水)

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朝の東風絵馬の三千打ち鳴らす     玉田春陽子

朝の東風絵馬の三千打ち鳴らす     玉田春陽子 『この一句』  この時期、絵馬と言えばもちろん「合格祈願」「学問成就」。それが三千枚となれば、東京では学問の神様、湯島天神(湯島天満宮)以外になさそうだ。受験生や親たちの人気は抜群で、あまり広くない境内が満杯状態になることもあるらしい。願いを込め、結びつけられた絵馬のボリュームがもの凄い。  作者によれば、「白髪三千丈」など中国式の誇張に倣ってのことというが、実際のところ、その数「万」を超えていると思う。所定の場所に結ばれた絵馬の集合体は背丈より高く、幅は両手を広げたより広く、横長に連なっているのが何カ所か。しかしこの句は実際がどうの、と論じても意味がない。  「絵馬の三千」とは、いかにも俳句的で、魅力的な表現である。こう詠んだことによって、数字が前面に押し出され、虚実を超えた存在感が生まれた。三千も一万も固まっている絵馬はどっしりとしていて、東風くらいでは鳴りそうもない。しかし「打ち鳴らす」という語の勢いによって、そうなのだ、と思ってしまう。絵馬は朝の東風に揺すられて、「合格、合格、合格」と響き合っているのだろう。(恂)

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夕東風や遠き岬に灯の点る       前島 厳水

夕東風や遠き岬に灯の点る       前島 厳水 『この一句』  典型的な風景の句である。それだけに類句がありそうだとは思うが、けれん味のない、好感の持てる句であることは間違いない。日本画を見ていてよく思う。同じような風景の作品が何百、何千とあるはずだが、いい絵はいい絵なのだ。俳句もそうなのだろう。いい句はいい句なのである。  作者は鎌倉から江の島にかけての海岸によく出かけるという。ドイツ生まれの奥さんが、このあたりの風景が大好きなので、いっしょに散歩するのである。作者にとっては当たり前の風景だったが、奥さんが「日本の風景は本当に素晴らしい」と何度も言うので、自分もそのことに気づかされたそうである。  昨年のちょうど今頃、ご夫妻はいつものように稲村ケ崎のあたりを歩いていた。日暮の頃で、夕東風が柔らかく吹いている。手前、三浦半島・城ヶ崎の灯りが見え、さらに遠方に房総半島の館山、洲崎と思われるあたりの灯りが、かすかに一つ、二つと点っていったという。その後にドイツ人女性のやっている古いレストランへ――。そんな話を聞いて、この句はもう忘れられなくなった。(恂)

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亜麻色に髪染めてみむ雲雀東風     高橋 楓子

亜麻色に髪染めてみむ雲雀東風     高橋 楓子 『合評会から』(番町喜楽会) 玉田 この句は、何と言っても亜麻色の髪ですよ。「♪亜麻色の長い髪を風がやさしくつつむ♪」(と口ずさむ)。季節が変わる時、髪を染めよう、という女性の気持ちがよく分かります。 水牛 ドビッシーにも同じ題名の曲がありましたな。 光迷 雲雀東風(ひばりごち)は季節が今より少し後かな。しかし浮き浮きした感じがいいですね。 てる夫 開放的な季節の到来を詠んでいるんですね。金髪でないのがいい。ブロンドではちょっと……。 厳水 雲雀が高く揚がっているのと、髪を明るく染めるのが、よく合っている気がします。 冷峰 亜麻色は、この句を選んだ人たちの青春の色なんですよ。いまの若い人はもっと大胆な色を選ぶ。 六甫 亜麻色ってどんな色なのかな。(「灰色がかった薄茶色」「黄色みを帯びた薄茶色」などの説明あり) 而雲 美容院に行って「亜麻色に染めて」と言って分かるのかな。 楓子(作者) 分からないときは、色の見本を持ってくるから、「これ」と指させばいいんです。 男たち「なるほどねぇ。そういうものですか」(恂)

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うずうずと大地もうずく春暁に     山田 明美

うずうずと大地もうずく春暁に     山田 明美 『季のことば』  午前六時過ぎに窓の外を見て、これが「春暁だ」と思ったのは数週間前のこと。いま同じ時刻は、すっかり朝の明るさで、「春の暁闇(ぎょうあん)」を意味する春暁は五時台に退いている。そんなことを考えながら、前の句会の作品を読み直していたら、この句が目についた。  春暁に大地がうずくとは、目の付けどころが奇抜である。春を迎えて変化してくるのは、空や周囲の明るさだけではないのだ。万物が春の到来に気づき、地中の虫や草の芽が動き出せば、大地までがうずうずとしてくる。気温は寒曉の頃と同じでも、目に見えぬところでいろいろな変化が起きているらしい。  先々週の当欄で、春暁の句をいくつか紹介した。それらの句を選ぶ際、この句を見逃していた。それが今になって、なぜ目についたのだろうか。あの頃は六時頃に起きても、室内から春暁の様子をうかがうだけだった。ところがつい最近のこと、目が覚めたらばかに暖かい。さっそく今年初のウォーキングに出かけ、芝生のグラウンドを歩いてみた。あの時、靴底に大地のうずきを感じ取っていたのかも知れない。(恂)

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あたたかやどこまで伸びる亀の首   堤 てる夫

あたたかやどこまで伸びる亀の首   堤 てる夫 『季のことば』  「暖か」は春の季語。二月から三月はじめはまだ寒い日が続くが、時にぽかぽかと暖かい日が訪れる。するとまた寒くなり、暖かくなりして本格的な春になる。「三寒四温」は俳句では冬の季語だが、これは中国大陸の初冬の様子を表した言葉が暦と一緒に取り入れられたもので、本来、我が国では「三日寒い日が続くと四日暖かい」というのは春先の気象変化を言うにふさわしい。  この句はぽかぽか陽気の日の名園散策であろうか。大きな池の中の石に亀が日向ぼっこしている。まるで置物のように動かない。「あれは本物の亀かな」「いやあ、石の作り物だろう」なんて言い合っていたら、亀が首をにゅうっと伸ばした。「おやおや聞いていたんだな」と大笑いになる。  精一杯伸ばしたって亀の首の長さは大したことはないのだが、甲羅の中に引っ込めていたのをぎゅっと伸ばすと、いったいどこまで伸ばす気なんだと思うほど長く見える。まさに全身で伸びをして春の到来を喜んでいる気分にあふれている。見ているこちらもすっかり長閑な気分になる。(水)

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風邪の熱下がりし朝の新しき   高瀬 大虫

風邪の熱下がりし朝の新しき   高瀬 大虫 『この一句』  今年はインフルエンザが大流行する兆しありなどと言われていたが、それほどでもなく本格的な春を迎えようとしている。しかしもうしばらく寒さが続くそうだから、まだまだ油断はできない。寒さが峠を越えて暖かくなり始める頃、得てして風邪の神が大暴れする。  とにかく風邪にかかった時の鬱陶しさはやりきれない。無理をするとてきめんに響き、ひどく寒気がして発熱し、食欲が無くなり、猛烈な頭痛を伴うこともある。こうなるともう寝ているより他はない。熱のせいだろう、身体の節々が痛んだり、全身だるくなってしまう。それでも、薬を飲んで布団をかぶってじっと我慢していると、びっしょり汗をかいて、よほどこじらせてしまったものでも無い限り、丸二日もたてば熱が引いて起きられるようになる。  熱がすっかり引いた朝の感じは素晴らしい。すっきりして、「ああ直ったんだなあ」と嬉しくなる。まさに「朝新しき」という感じである。(水)

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